5-3 演劇論
1回目の読み合わせが終了。テレビドラマと同様に4幕構成になっていた。全体で1時間程度と思われるが、台詞もト書きもゆっくり読むし、幕の後の解釈の時間が長いので、昼になっていた。「ほな、昼飯にしよか」と監督が言う。
「志尊くんの分はあるかな」
「全然余裕でしょ」
「しかしたぶん晩もやで」
「足らへんだら明日来る人に頼んで
監督と五条くんが話している。どうやらカフェテリアへ食べに行くのではなく、ここで作るようだ。さすが合宿。
「そしたら昼の料理班、お願い」
「一色さんもですよー」
「何や、俺もか」
どうやら監督と五条くん、そして三井さんが担当であるらしい。他の3人は真倫さんに話しかけようとしている。僕はどうしようか。
「手伝いましょか?」
部屋を出て行こうとする監督に声をかけた。監督は「んー?」と意外そうな顔。
「お客さんに手伝ってもらおうとは思わへんけど、キッチンだけ見といてもらおか。もしかしたら3時の休憩で、お茶を入れてもらうかもしらへん」
「結局、手伝わそうとしてる」と三井さんが笑いながら突っ込む。
「あるいは、俺が指切って作られへんようになるかもしれへん」
「まあそれはそうね。一色くんの切り方、めちゃ危ないもん。血が付いたサラダなんか食べられないし」
「世の中には血を使った料理かていっぱいあるやろ。とにかく志尊くんも来て」
「わかりました」
「ははは、同じ3回生やろ。タメ口で行こうや」
確かにそのとおりだが、監督という肩書きと髭のせいで、つい丁寧な口調になってしまった。しかし以後は是正しよう。
部屋を出ると監督が左を指して「あっちが大広間」と言う。午後の途中からはそこでやるらしい。
そして目の前には会議室2。会議室1と同じ広さだそうだ。キッチンは廊下の右手、会議室1のすぐ隣。その他にトイレとシャワー室がある。
合宿所1階平面図
┌───────────┬───┬─────┬──┬──┐
│ │階 │ │ │ │
│ │段│ │ 会議室 │WC│WC│
│ │↑│ │ 2 │ 男│ 女│
│ │ └─┴=────┴─=┴─=┤
│ 大広間 ∥ │
│ │ ┌=────┬=─┬=─┤
│ │ │ │ │ │
│ │ │ 会議室 │ K │SW│
│ │ │ 1 │ │ │
└───────────┴─=─┴─────┴──┴──┘
正面玄関
∥、=…ドア
(注意:サイズを正確に示した図ではありません)
キッチンはさほど広くなく、給湯室と呼んでもいい程度。流し台にコンロ、冷蔵庫と電子レンジ。調理器具は炊飯器、やかん、フライパンと鍋が幾つか。食器もいろいろ揃っている。ただ、今いる8人分なら何とでもなるだろうが、30人分は無理に違いなくて、カフェテリアへ食べに行くことになるのだろう。そうたいした距離じゃない。
今日の昼のメニューはミートソーススパゲティとサラダ。五条くんが大鍋で湯を沸かし始め、三井さんが野菜を冷蔵庫から出して洗って切り始め、監督が……何だ、レトルトのミートソースじゃないか。
「これに挽肉と玉葱を炒めて混ぜるとちょうどええ具合になるんや」
監督がしたり顔で言うが、それほどのことでもない。それに普通は缶のミートソースを使うものでしょ。レトルトは、たぶん生協で安く売ってたんだよね。
「炒めるのは後で私がやるから、一色くんはレトルトを温めて」
横で、野菜をすごい勢いで切りながら三井さんが言う。手慣れてる。
「おう」
監督は中鍋に水を入れてレトルトを8人分ぶち込み、コンロにかける。後は温まるのを待つだけだろう。それでも料理担当か、という感じ。しかし僕には全くすることがないのがわかった。
狭いからという理由でキッチンを追い出され、向かい側の男子トイレで用を足してから、会議室に戻った。演劇部3人が真倫さんを囲んでおしゃべり中。身の置き場がなくて困るが、話を聞いていれば去年の〝西園寺さん〟のことが少しはわかるかもしれないので、横に座っておく。
しかし話は主に演劇論だった。二宮くんと四方くんが熱心にしゃべっている。真倫さんが適度に相槌を打つ。六車さんは質問役。真に迫る演技のためには様々な実体験が必要か、とか話し合ってるけど、そこまで行くとほとんど精神論だな。犯罪者の役とか、どうやって実体験するんだろう。
「志尊さんも、そんなところにいないで、こっちに来て一緒に話しましょうよ。葉色さん、彼はどういう役割なんです? 去年は一人で来てたのに」
四方くんが気を使って声をかけてくれたが、話そうと言いながら早速真倫さんに振ってしまっている。しかし僕も自分の役割を聞きたいと思っていたので、いい機会だろう。
「彼は〝刑事A〟なの」
「〝刑事A〟? ああ、今回の本の。探偵役の警部補に、調べたことをいろいろと報告する助手ですね」
「それだけじゃないわ。彼は探偵に知識そのものを与える役割をするの。探偵は、観察力と推理力は優れているけれど、それだけでは事件の真相が見えない。何かが欠けているのはわかっているけれど、それが何か正確に掴めない。それを教えるのが彼の役割。建築に喩えると、川に橋を架ける時に、両端の場所は決まっていて、技術はあるし材料もある。でも橋桁を置く位置が決められない。流れが複雑で、川底の形状がわからないから。それを正確に測量するのが彼なのよ」
わかるような、わからないような。
彼女は〝ワトスン不要派〟のはずだが、考えを変えたのだろうか。あるいは、小説の中では探偵は全知全能としていいが、現実ではそんなことはそうそうあり得ないので、探偵を知識的に補佐する役割が必要、となったのだろうか。
僕はクイズ好きなのでいろいろなことを知っているが、彼女を満足させられるほどの知識があるのかどうか。
「ふうん、それほど重要なら、端役じゃなくもっといい役者を当てた方がいいように思いますが」
「いいえ、観客がその重要性になるべく気付かない方がいいの。それを知っているのは探偵だけというのが大事」
「劇中の台詞や所作には現れないけれど、観客のうち何人かが、もしかしてと気付く程度の……」
「そうね。でも証拠はないから違うかもしれない、と思ってくれれば」
「なら、監督や五条にもちゃんと言った方がいいですよ。特に五条は、アドリブで刑事Aを目立たせようとするかもしれない」
「彼は何も意識しない方がいい演技になるんじゃないかしら」
「それはそうかもしれませんが……ところで、見る人が重要性を気付かない方がいいのは、刑事Aだけじゃなくて、志尊さんも、なんですよね?」
そう訊かれても、僕も今知ったばかりなので答えようがないんだけど。今のとおりなら、真倫さんは僕のことを「大事だけど他人には教えず、独り占めしたい」と考えてくれているのだろうか。それをここにいる人たちに言うのはどうなんだろう。
「以前はそういうこともたまにあったけど、演劇の知識はないので、ここで事件が起こっても僕は役に立たへんと思うよ」
「あれ、じゃあ今は素なんですか?」
「もちろん」
「でも容姿的には、目立たへんけど常に舞台におって、探偵役とちょっと絡むだけやのに、おいしいとこだけ持っていきそうに見えるけどなあ」
最後に二宮くんが混ぜっ返し、四方くんと六車さんが笑う。彼こそ、おいしいところを持っていってしまった。容姿がアレなのに、こういう嫌味っぽいことを言っても全く悪気があるように聞こえないのが不思議だ。むしろイケメンの四方くんが言うと洒落にならないのかもしれない。
そのうち、料理ができたと言って監督たちが皿を運んでくる。その際「テーブルくらい並べとけや!」と監督がキレ芸の口調で言い、みんなで笑いながら、大急ぎでテーブルと椅子を並べる。車座ではなく、4人ずつの向かい合わせになったが、僕は真倫さんと席が離れてしまった。しかも端と端だ。二宮くん、五条くん、六車さんに囲まれた。しかし演劇部を知るのにいい機会だろう。クイズのネタが拾えれば儲けもの。
幸い、演劇論ではなく雑談。合間に、いつから合宿に来ているのか訊く。昨日からで、6人で泊まるのは今夜まで。明日からは他の役者やスタッフが加わり、立ち稽古が始まるそうだ。
「みんな高校から演劇を?」
「俺はそう。でも、ここにいるメンバーでは、俺と四方だけかな」と二宮くん。
「高校にも演劇部があるところって多いはずやけど、そんなもんなん?」
「そんなもんちゃう? 高校演劇って、特に力を入れてる学校はそんなに多くないし、大会に勝つのが目標っていう、ちょっと違う世界やから」
全国高等学校演劇大会。なるほど、吹奏楽部もそんな感じだし、その他の文化系の○○甲子園、そしてスポーツも似たような事情だろう。だから「大学に行っても続けるとは限らない」というわけか。代わりに大学から始める人もいると。
「僕は放送部でした。文化祭でDJとかやってめっちゃ好評やったんですけど、声の出演だけでは我慢できなくなって」と五条くん。
六車さんは「私はバレエを習ってました」。
「部活じゃなく、プロの先生の教室で。大学で京都へ来ることになったので、やめる代わりに何か別の表現芸術をと思って」
「彼女は表情の作り方と、身体の切れがええんよ。
「でも今日は読み合わせやから動きが見られへんのかな」
「いや、夕方からたぶん荒立ちをやるから、その時にちょっとは」
立ち稽古、つまり演技を付けながらの稽古のうち、早い段階を荒立ちというらしい。ちなみに特定の俳優だけで特定のシーンを集中してやるのを〝抜き〟という。ゲネプロ(本番前の通し稽古)は知ってたけど、他にいろいろあるものだ。クイズネタを拾ったかも。
「ちなみに一色は何やってたかわかる?」
一足先にスパゲティを食べ終わった二宮くんが訊いてくる。彼は4人の中で一番たくさん話していたのに、食べるのも早かった。
「格闘技とか」
「半分当たってる。映研。アクション物を撮ってたんやて。高校の1、2年は俳優で、3年で監督。大学も去年までは俳優やってんで、あの顔で」
「大物やなくて、下っ端ですぐやられる役が似合うかも。吉本新喜劇の……」
「俺のことか! ええ加減にせえよ、お前ら!」
監督がまたキレ芸で割り込んできて、すぐに真倫さんとの会話に〝真顔で〟戻る。変わり身の速さにみんな大笑い。いや、真倫さんだけどうして笑ってないんだろう。
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