第3話 シケイの宣告

3-1 将棋部の高級駒

 セメスター制度を導入している大学では、前期は4月から9月、後期は10月から翌年3月まで。半期の講義は15週だが、祝日が挟まったりして14回になってしまうことが多い。前期は4月の第2週から始まって、7月の第3週あたりで終わるのが常。

 そこから試験期間が2週間。正確には1週目が試験で、講義と同曜日・同時間に行われ、2週目はフィードバック。フィードバックとは、試験結果や半期の講義内容について、学生から講師に質問をする時間のことで、今後の学習に活かすためのもの。ごく稀に追試があったりするが、基本的に期待してはいけない。

 学生の本分は勉強であるので、試験は大事。だから多くのクラブやサークルは、試験の1週間前になると活動を休止する。不文律だが、破っているクラブはほとんどないらしい。我がクイズ研究会もご多分に漏れず。

 そしてフィードバックの翌週である8月の第2週から夏休みに入る。9月末まで約8週間。小中高校よりも長い。遊ぶも良し、クラブ活動するも良し、バイトに勤しむも良し。僕は一人で旅行に行ったりもする。

 とにかく7月の半ばになると試験のことが気になり始めるのだが、その分岐点となる、クラブ活動休止直前の金曜日のこと。三限の後の休み時間に、真倫さんからスマートフォンにメッセージが入った。

『今からボックスに来てくれる?』

 6月に哲学教授の依頼を調査して以来、すっかり音沙汰がなくなって、僕は大変心やすく過ごすことができたのだが、久々に依頼が入ったということだろうか。しかしなぜこの微妙な時期に。しかも今日は5時過ぎからクイズ研の例会があるというのに。

 ただ、ミス研も今日は活動日のはずだから、5時以降も引っ張り回されるということにはならないだろう、と期待する……

 幸か不幸か四限は講義がないので『今から行きます』と返事して、自転車でクラブボックスへ向かう。5分足らずで到着し、ミス研の部屋のドアをノック。声も出さずに真倫さんがドアを開け、無表情で「入って」。

 今日の彼女はベージュの七分袖ブラウスにカーキのロングスカート。シンプルだが、リケジョらしくない感じもする。しかしメッセージを飛ばしてきたタイミングからすると、〝変装〟をする暇はなかったはずで、だとするとこれが素体である〝麻生雅子〟に近い姿なのだろうか。

「実はついさっき調査依頼があって」

 座るとすぐ真倫さんが言った。

「そうでしたか」

「今日はクイズ研の例会があるはずだけれど、それまでの時間を使っていいかしら」

「いいですよ」

 予想どおりとはいえ、ちゃんと配慮してくれたことは嬉しく感じる。

「将棋部からの依頼だけれど、将棋のこと、どれくらい詳しい?」

「ルールと駒の動かし方は理解してますが、強くはないです。あと、用語とプロ将棋界の事情はそれなりに」

 ルールや用語はもちろんクイズのネタになるし、プロのタイトル戦のことも一応調べている。何しろ藤井聡太は羽生善治を超える八冠を達成するか、というのがちょうど話題になっているから。

「大学の将棋部については?」

「アマチュアのことですか。強い人の名前までは憶えてませんが、関西なら立命館大学が強豪として有名、というくらいは知ってます」

「ここの将棋部は強いのかしら」

「さあ」

「私はチェスのことを少し知っているから、将棋について感覚的にわかる部分もあると思うけれど、わからないことは教えてくれる?」

「はい、それはもちろん」

 どうしたんだろう。やけに謙虚。先月とは全く違う感じ。もっとクールにぐいぐいと……いや、余計なことを期待してはいけない。

「頼りにしているわ。行きましょう」

 期待してたらクーデレを呼び込んでしまった。無表情なのが刺さるなあ。本当に頼りになれるだろうか。

 部屋を出て将棋部の部室へ。二つ隣、A棟の2階だった。部屋に入る前から駒音(盤に駒を置く音)が聞こえている。何なの、君ら。こんな時間からもう活動してるの?

 真倫さんがドアをノックし、返事を待たずに開ける。駒音が大きくなり、畳の上にいくつもの盤が置かれて、十数人が指しているのが見えた。へえ、和室なのか。隣の囲碁部もかな。一つの盤に4、5人が集まっているところは、感想戦でもしているのだろうか。

 そして面白いことに、誰もこちらの方を見ない。盤面に集中しているのだ! しかしそのうちの一人だけがぼくらに気付いて、盤の間を縫ってこちらへやってきた。がっちりした体型で、短髪で額が広く、てかっていてチョイ強面。学生っぽく見えないが学生なのだろう。しかも「どうもどうも」とやけに愛想がいい。

「すいません、急に変なこと持ちかけてしもうて、こんな時期に」

「いえ、こちらも時間があったので」

「ここではちょっと話しにくいんで、どっか空き部屋を探して……」

「それなら、ミス研の部屋へどうぞ。空いてますから」

「ああ、さっきの。そしたら二人ばかり連れて行きますんで、先に行っとってくれはりますか」

「わかりました」

 結局、ミス研の部屋に逆戻りということか。引き返して机を並び替えている間に、先ほどの男子学生が男女二人を連れて来た。机を挟んで向かい合う。僕は例によって真倫さんの隣。しかもお互いの肘が触れそうなほどの距離。だんだん近くなっている。

「部内の問題についての相談なんですが、今のところ事情を知ってるんは俺とこの二人だけなんで、どうか内密にお願いします」

「心得ています」

 まずこちらの自己紹介。僕はやはり偽名〝志尊華斗〟を名乗らされた。そしてやはり真倫さんの「友人でパートナー」。その言葉に相手の目が興味深そうになる。

 そして相手の3人。強面は部長で3回生の玉田。連れて来た二人のうち、男子は2回生の佐藤歩夢、女子は同じく2回生の佐藤香子。

「うちは佐藤という名字がやたらと多いんで、この二人も下の名前で呼んでます」

「そうですか」

「で、この二人は棋具係で」

「キグ?」

「将棋の道具のことですよ。盤とか駒とか駒台とか」

 僕が横から囁きでフォロー。真倫さんが軽く頷く。

「普段使うプラ駒や折り畳み盤なんかは手入れをせえへんのですが、手彫り駒とか脚付き盤もいくつか持ってまして、二人がその手入れをするんです」

「なるほど」

 将棋用語がいくつか出てきたが、これくらいだと真倫さんも理解できるようだ。

「手入れというても毎日やなくて、月にいっぺんくらい。だいたい月初の例会日です。ただ今月は試験前の休みに入るんで、その時にも手入れをすることになってました。つまり今日です」

「その時に何か気付いたのね」

「そうです。この二人が昼休みに来て、手入れをしようと……他の部と活動時間がだいぶ違うんで一応説明しときますけど、だいたい毎日昼からなんです。昼休みに最初に来た人が鍵を開けて、三限、四限に講義がない人はずっと指してて、夜の10時くらいまでやってます。で、今日はこの二人が最初に来たんですが」

 ようやく話が二人の方へ振られたかに思ったのだが、また玉田部長が続ける。

「手入れをする駒は、けっこう高価な物なんですわ。不動産会社の社長になったOBから、5、6年前に寄贈された物で、部内では〝名人駒〟と呼んでます。〝叡山名人〟というタイトル戦があって、その番勝負だけに使うんです。それが、この二人が見た時には、なくなってたんですわ」

「紛失ではなく、盗まれたと思っているのね?」

「そう思いたくはないんですが、たぶん誰かが盗んだんでしょう。ほんで、フィードバックが終わった次の週から番勝負をやる予定ですんで、それまでに犯人を探して駒を取り戻して欲しいんですわ」

 つまりこれから約3週間の間に探せということ? あのなあ、僕らかって試験勉強するし、試験を受けなあかんのやで。そんな時間あるかいな。

「高価って、どれくらいの物なの?」

 しかし真倫さんは冷静に質問。受ける気なんや。マジですか。

「OBは値段をはっきりと言わんかったんですが、他のよう知った人の見立てでは20万円くらいかと」

「それは駒の価値としてはどれくらいのレベルなの?」

「は? レベルというと……」

「松竹梅の竹です」

 また僕がぼそっとフォロー。駒の価値は木の材質と文字の仕上げ、それに駒師の有名度で決まるはず。材質は御蔵島みくらじま黄楊つげが最高級、というのは将棋界とクイズ界では常識レベル。文字の仕上げは、彫り駒、彫り埋め駒、盛り上げ駒の順に高くなるんだったかな。駒師は……さすがに憶えてない。

 そして最高級の駒(プロの名人戦に使われるような)なら100万円はすると聞いたことがあるので、20万円なら〝竹〟。

「ありがとう。それで、その駒は誰でも触れられるところに置いていたの?」

「とんでもない。部室内のロッカーに金庫を入れてて、その中に保管してました」

「ロッカーや金庫に鍵は?」

「ダイヤル式で、番号は俺と棋具係だけが知ってます。年に一度、番号を変えるんです。部内の役柄を引き継ぐ4月の頭に」

「つまり部外者が駒を盗もうとすると、部室の鍵、ロッカーの番号、そして金庫の番号が必要なのね」

「そういうことです」

 おや、三つの鍵が必要というのは、ホームズの話の中にあった気がするぞ。『ブルースパーティントン設計書』かな?

「でも部室の鍵は、学生なら誰でも借りられるわよね。学生証さえ提示すれば」

「まあそうですね」

 クイズ研はボックスに部室を持っていないが、どうやったら持つことができるかを僕は調べたので、鍵のことも一応知っている。西部構内に学務部学生課の分室があり、そこで鍵を受け取る。その際、学生証でカード読み取り機にタッチして、IDを登録するようになっている。鍵を返す時も同じ。

 そして記録されたIDは、部長であれば申請書を提出することで見せてもらえるはず。

「私が記録を見たいと言ったら協力してもらえる?」

「それはもちろん」

「その前に、怪しいと思われる人がいるか、聞いておきたいわね」

「何人か心当たりはありますが……ただ、部員に聞き取りをする時でも、駒が盗まれたことは伏せといてもらいたいんですが」

「もちろん気を付けるわ」

「お願いします。ちょっと今、部内に別の問題が持ち上がってて、ピリピリしてるところなんで」

「盗難以外にも何か?」

「いや、その調査を依頼するつもりはないんですが」

「差し支えなければ聞かせて。知らずにそれに触れてしまったら困るから」

「ああ、はい。えーと……」

 玉田部長はとても話しにくそうだ。しかし盗難以外に重大な問題なんて……

「うちの部に、女流プロの南瀬みなせ銀沙ぎんささんがおるのは知ってはりますよね?」

「プロ……?」

 真倫さんが意外そうな声、そして当惑の表情を見せた。なるほど、将棋の女流プロのことを知らないんだ。しかし僕は思い出した。4月頃にはそこそこ話題になったのに、すっかり忘れていたのである。

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