2-3 学生からの情報
さて、怪しい学生のリストは入手した。これで第1次調査は終了。いや、ちょっと待て。まだすることがあった。
「リアペを見せてもらえますか。提出前の白紙でいいです」
「標準フォーマットですよ」
笑顔で言いつつも、執務さんはリアペの束を見せてくれた。標準とは大学のウェブサイトで公開しているテンプレートファイルのことだろう。A5サイズで、日付、講義名、学生の学部、学科、学籍番号、名前、それに本文を書く欄がある。
なお紙に印刷せず、電子ファイルをメールで送っていいという場合もある。またウェブ上の入力システムに必要事項を書き込んで〝提出〟ボタンをクリック、というのもある。しかし哲学の講義では紙を採用している。
確かに標準フォーマット。ただし講義名の欄にゴム印で「哲学・関戸教授」と押してあるし、右肩の空きスペースにはやはりゴム印の5桁の数字が。
「これ、通し番号ですか」
「そうです」
押すと数字が自動でカウントアップされる〝ナンバリングスタンプ〟を使っているとのこと。
通し番号は講義毎ではなく、半期毎。つまり4月または10月の最初の講義に、00001から始まるものを200枚用意し、学生に配る。次回は余った分に、続きの数字を押したものを適宜補充して……とするわけ。最近は5、60枚ずつ。
これだと、標準フォーマットをダウンロードして、書いて提出、というわけにいかない。同じゴム印を押さなければいけないのだ。しかも通し番号は、たとえ同じナンバリングスタンプを入手したとしても、数字が他と重複していればバレてしまう。
ということは、講義中にリアペを入手しなければならない。代返者に、自分用と代返用に2枚もらってきてくれ、と頼むことになる。
どうやって配布しているのか、執務さんに訊く。教授が講義に持っていって、既に座っている学生に対して配り、後から来た学生は前の方の空き席に置いてある束から1枚抜いていく、というやり方だそうだ。普通だな。
つまり、少し遅れていったら2枚ゲットは可能か。
「誰が何番のリアペを出したか、管理してます? このエクセルファイルの中に」
「してますよ。見えないようにしてありますけど」
ああ、それも非表示に。それから、と言って執務さんは、提出されたリアペを綴じたリングファイルを持ってきてくれた。番号順に綴じてあり、重複があれば容易にわかると。もちろん、提出しなかったら番号が飛ぶが、5月の後半からは(つまり最近の3、4回分は)綺麗に連番で揃っているそうだ。
「教授はこれを見るんですよね」
「そうです」
代返者が代筆してたら、筆蹟で容易にわかるだろう。だから本人が書くか、PCで書いて印刷してあるに違いない。標準フォーマットファイルには「枠線なしで印刷」というオプションがあり、もらったリアペをプリンターに〝手差し〟でセットすれば、(ゴム印が押された)講義名と枠線以外を綺麗に印刷できる。
「中を見るのはダメですよね」
「見せてはいけないと言われました。私も、記録する時や綴じる時に、本文はなるべく見ないようにしてます」
書いてあることを見れば、代返者がわかるかと思ったが、やはり無理だった。しかしそれも教授が読めばわかるはずだよなあ。「こいつ講義を聞いてないな」って。
こんな表面的な情報ばかりで、見つけ出せるんだろうか。受講してる学生に尋ねることもできないのに。
ともかく、執務さんには礼を言う。ああ、もう一つ忘れていた。
「僕を呼び出すのに使ったというビラを見せてもらえます?」
すると執務さんはたちまち頬を緩め、吹き出すのを我慢しているような表情になった。何ですか、そんなにおかしなものなの?
「いいですよ、これです」
声が震えてる、声が! やっぱり笑いそうになっとんのや。
執務さんはスマートフォンを操作して、僕に見せた。どこかで撮った写真。何だ、単なるミス研の勧誘ビラじゃないか。サークル名に、ホームズっぽい男性(鳥打ち帽を被りパイプを咥えている)の横顔のシルエット、キャッチコピー、活動内容紹介、SNSアカウント名と連絡先メールアドレス。
……だけじゃない、その上に付箋紙を貼り付けるかのごとく、「調査依頼歓迎!」「あなたの問題をミス研実践部が解決します」などの惹句、そして連絡先として〝ミス研
なんで僕だけ実名なんや。偽名はどうなったんや。これでどうやって真倫さんに連絡取ったんや。それはともかく。
「これってそんなにおかしいですか?」
「いえ、そんなことはないと思いますけど」
執務さんはそう言いつつ目元も口元も緩みっぱなし。さては入手の経緯におかしなエピソードでもあるのか。
とにかくもう一度礼を言い、ついでに「もしかしたら明日も来るかもしれません」と言っておく。別に、お友達になりたいとかそういうわけじゃなくて。
「いいですけど、休み時間じゃなく講義中の方がいいですね」
「なんでですか」
「ここ、けっこう人が来るんですよ。そうなるとあなたの用事を聞くだけというわけにはいきませんし、履修登録者リストみたいに、他の人に見せられないものを見せてと言われたら困りますから」
なるほど、やはりここは学生の出入りが多いようだ。用がなくても来る人もいたりするんじゃないのかな。
事務室を出て、スマートフォンを確認したが、真倫さんからの返事はなし。リストから代返容疑者を暫定的に絞り込んだとメッセージで報告しても、反応なし。全部四限終了後に、ということだろう。
四限の講義の後でクラブボックスのミス研の部屋へ行くと、真倫さんがいた。表情が冷たい。突き刺すような視線。
「来たわね」
言い方も冷たいですね。クーデレの演技ですか。
それはそうと、紺のブレザーに白いブラウス、赤いネクタイ、茶系のチェックのミニスカートに黒いハイソックスって、何ですかそのファッションは。女子高生ですか。若作りしすぎですよ。それもクーデレの一環? 僕はそこまで要求したつもりはないんですが。それともまだ試行錯誤の段階なのかな。
「えーと、絞り込んだ結果ですが……」
「少し待って。先に確認しなければならないことがあるの」
はい? 何のことでしょうか。
それから「座って」。座りますけど……なぜ隣に。今までは四角に並べた机の角を挟んでたんだけどなあ。
「何を待つんですか」
「ミス研のメンバーを一人呼んでいるの。哲学科の4回生」
なるほど、その人があのビラの経緯を知ってると。まあ、待ちましょうか。
特に雑談をするでもなく、10分ばかりが無為に過ぎ、これなら僕の話を先に聞いてくれた方がよかったんじゃ、と思った頃に、ドアにノック。こちらの返事を待つまでもなく、男が入ってきた。
茶色の無造作ヘア、黒縁のスクエア眼鏡、だぶだぶの紺と白のボーダーシャツ、リップドジーンズ。なるほど、これが今どきの哲学青年ですか。というか、ミステリー愛好者にはとても思えないんですけど。
「電話で話すって言うてるのに、なんでわざわざ呼び出すんや……お、誰やそいつ。ひょっとして……」
不機嫌そうだった男の顔が、僕を見た途端に、いろんな感情を含んだ微妙な表情に変わった。何ですかその、ドナドナされる仔牛を見送る時のような、憐れみと嘲笑を混ぜ合わせた視線は。
「ミス実のメンバーよ。東洋文化学科の志尊華斗くん」
ここではその名前か。でもやっぱり自分のこととは思えない。だから挨拶をしようとも思わない。
「へーえ」
「華斗くん、彼は哲学科の岩本サンセキ」
男の方も、紹介されても挨拶しない。少し離れた椅子に座った。まるで僕と真倫さんの関係を観察するかのよう。
しかしサンセキとは妙な名前。漢字が思い浮かばない。まさか偽名、いや、ペンネーム……
「ミス実に哲学科の関戸教授から依頼が来たの」
「それは聞いたよ。しかしカントさんも物好きな」
カントさん……なるほど
「どうして教授が知っているのかしら。ビラはボックスの掲示板に貼った1枚だけなのに」
えっ、撒いたんやないんや。広く知られてないようでよかった。
「それを電話で説明するって言うたのに」
「ここで華斗くんも聞いて欲しいから」
「ずいぶんお気に入りやねんなあ」
こっちはそんな興味深そうな目で見られたくないんですけど。
「とにかく話して」
「学科の学生の誰かが、何かの時にここに来て、あのビラを見つけたんやろ。それを面白がって写真に撮って、執務に見せたんや。俺は執務から葉色真倫は誰かって訊かれて、お前のことを教えた。それだけ」
ああ、そういうことか。写真を撮った学生は、美人の執務さんとお話しするきっかけにしたと。執務さんはそいつの態度か妙な作り話を面白がってたということか。謎は全て解けた。
「それだけでどうして教授に伝わるのよ。執務までが面白がって見せに行ったんじゃないんでしょう?」
「それはないわ。と言うか、最初は俺が手伝わされたんや。代返の件やろ?」
岩本さんが僕を見て言う。僕は「はい」と返事。彼も知ってたのか。
「学科の他の奴は知らんことやけど、先週と先々週や。講義で手伝って欲しいことがあるとカントさんに言われて」
依頼時には真意を説明されなかったが、講義の開始時に学生の数を数えて欲しいと。そしてリアペを配る。さらに講義開始から15分待機して、その間に来る学生にリアペを配りながら、数を数えて欲しいと。ちなみに15分を過ぎるとリアペは配らないので、欠席扱いになってしまう。
「わざわざそんなことするんは代返のチェックしとるんやと、誰でも気付くわな」
「確かにそうね」
真倫さんが相槌を打つ。僕も同意。しかしおかしいな。それならどうやって代返者はリアペを2枚入手したんだろうか。配るのなら1人1枚は当然だよな。
「ほんで、代返した奴がおったかどうか、俺は知らんのやけど、カントさんからはもう少し手伝って欲しいと言われたんや。俺としてはもう面倒くさかったんで、執務さんが
なるほど依頼が来た経緯はわかった。しかし真倫さんはそんなことを知りたかったんだろうか。
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