僕らのキャンパスにミステリーを!
葛西京介
第1話 クイズ研とミステリー研
1-1 早押し機の紛失
ゴールデンウィークが明けてしばらく経った後の、ある火曜日の夕方。
僕は自転車に乗って、大学のキャンパス南部にある、教養部の建物へ向かっていた。
我が叡山大学でも、他の多くの大学と同じく、1、2年生は教養課程であり、教養部で講義に出る。3年生になると専門課程に入って、各学部の講義に出る。もちろん、教養部の単位を規定の数だけ揃えたら、の話。
ついでながら書いておくと、叡山大学は京都・左京岩倉にあり、すぐ近くの京都大学と同じく、N年生のことをN回生と呼ぶ。以降はN回生という言葉を使わせていただく。
さて、3回生である僕が教養部へ行こうとしているのは、そこでサークルの例会があるため。サークルは〝クイズ研究会〟。その存在は、もはや一般的に知られているだろう。テレビで東京の某大学のサークルが有名になったおかげである。ただし〝オタク集団〟であると認識されているに違いない、という気はしている。それを改めるのは少々難しいのではと思う。
クイズ研究会の例会というのは何であるか。いろいろあるのだが、この日は〝クイズ大会〟が予定されていた。会員のうちの一人または数人が主催者となってクイズ問題を作り、クイズ形式を考え、他の会員が解答者となって優勝を競うもの。活動のメインとも言える。
とにかくその日、僕は例会が行われる校舎の駐輪場に自転車を停めた後、困ったことに気付いたのだった。前のカゴに入れていた〝早押し機〟がなくなっていたのだ。
マンションの部屋から持って出たのは間違いない。保管は3回生のうちの何人かが交替でするのだが、今日は(正確には前回の例会が終わった先週金曜から今日までは)僕の担当で、三限(午後一の講義)が終わってからいったんマンションへ取りに帰った。前カゴに乗せて自転車を漕ぎ出したのをはっきり憶えている。
ただし教養部へ行く途中で、文学部の建物に寄った。僕の所属学部で、事務室にちょっとした用事があったから。その間になくなったのでは、と想像するのだが、どうやら僕は建物を出てから考えごとをしていたらしく、前カゴの中身のことは頭からすっかり抜け落ちていた。そして教養部に着いてから、早押し機をカゴから取り出そうとして、ないのに気付いたという次第。
気付いた瞬間に、気持ち悪い感覚が背中から頭のてっぺんまで駆け抜けた。「どうしよう、ヤバい」。みんなにしばかれてしまう。今日の例会ができないのはもちろんだが、大変に高価な品なのだ。弁償させられたら貯金が……
すぐ探しに行かなければならないが、既に来ている他の会員には知らせておく必要があるだろう。特に会長。ちなみに例会の開催場所は、教養部の空き教室。我がサークルは専用の部室(クラブボックスと呼ばれる)を持たない流浪の民である。今日の活動の場は教養部E号館201号教室。僕は手ぶらのままそこへ急いだ。ちなみに、その部屋では例会開催時間に講義がないから選んだのだが、ときどき突発的に謎の講義をやることもあって、その際には大急ぎで他の空き部屋を探すことになる。
2階へ上がり、教室に入ると数人の会員がいた。会長であるMくん(3回生、工学部数理工学科)の顔もある。挨拶をしてから「ちょっと大変なことになって」と事の経緯を話す。〝ちょっと〟と〝大変〟という言葉は噛み合っていないが、気が動転していたのでしかたない。
「それは大変や! とりあえず開始を30分遅らせるから、その間に探してきて」
Mくんがあまり大変でなさそうな顔で言った。軽く考えているらしい。しかしこっちの心境としては「え、手伝ってくれへんの?」だった。
「見つからへんかったら?」
「うーん、延期するしかないやろうな。予選のペーパーだけやるわけにもいかへんのやろ」
ペーパーとは〝ペーパークイズ〟。学校のテストのように、紙に書かれた問題を解く。参加者は二十数人いるので、点数で順位を付けて、上位なら後のラウンドで立場が有利になる仕組み。
ちなみに予選で失格する、即ち〝予選落ち〟はない。弱いとクイズが楽しめない、というのでは可哀想なので。最近は高校にもクイズ研究会があって、大学のサークルに入る前からクイズ経験者、という人もいるけれど、大学から始める人だっている。
「ちなみに最初から持ってくんの忘れたということはない?」
そう訊いてきたのはKくん(3回生、農学部水産学科)。僕は「それはないわ」と即座に否定。
「持った感覚をちゃんと憶えてるし、前カゴの中で位置を調整したし」
「どの時点ではあったん?」
「マンション出てから文学部に……」
それはさっき〝事の経緯〟として話したと思うが、もう一度説明する。
「なんで建物を出る前に確認せえへんかったん?」
「よう憶えてないけど、考えごとしてて。だいたい、建物に入ってる間になくなるなんて思わへんやん」
「そやけど他のところに寄り道するんやったら……例えば大学へ来る前に外の本屋へ寄るんなら、店に持って入るやろ」
「それはそうやけど」
「そやなかったら、指差呼称で確認するべきやったな」
「そんなん、Kくんかってやらへんのちゃうの」
「まあ、やらへんけど」
それなら余計なことを言わないで欲しい。Kくんはだいたいにおいて一言(いや二言も三言も)多く、話していると長くなってしまう。ただ、ときどき思い付きで言うことが妙に役立ったりするので侮れない。
「どこかで落としたんやないんよね?」
と、Jくん(3回生、理学部物理学科)。ちなみに彼はそれほどクイズが強くない。しかしクイズが好きであればクイズ研には在籍できるのだから問題なし。普段の挙動も飲み会での言動も面白いし。
「自転車に乗ってる間に落としたら気付くはずやし」
「それやったら盗まれたんちゃうんか」
「盗んで……どうすんの?」
「いや、それはわからへんけど」
身代金を払えと言ってくるのだろうか。いや、人間を誘拐するから〝
「そういうの考えるより前に、とりあえず探してきてえな。もしかしたら落とし物として文学部の事務室に届けられてるかもしれん。もうすぐ5時やから、閉まったら訊かれへんやろ」とMくんが言う。
「そやんな、ほんならちょっと行ってくるわ」
「おっす、今日はYちゃんの担当やんなあ。何問くらい作ってきたん?」
Aさん(4回生、医学部医学科)がやって来た。医学部の4回生といえば臨床実習があって忙しいはずなのに、この人は例会に毎回欠かさず来る。しかもサークル内で最強。いつクイズの勉強をする時間があるのか。
なお、Yちゃんというのは僕のこと。僕が担当する例会では問題をたくさん用意するので、Aさんは楽しみにしてくれているらしい。彼もたくさん作ってくるので、僕のことを〝同類〟と思って親しみを持っているようだ。別に、迷惑ではない。他にもそういう人は何人かいて、4回生や院生が多い。
「いえ、ちょっと急いでやらなあかんことができまして」
説明を3人に任せ、僕は教室を出た。自転車に飛び乗り、文学部の建物へ。さっき僕が自転車を置いたところには、他の人が既に停めていた。別の空き場所に停め、辺りを見回す。地面には落ちておらず、壁際の植え込みの中にもない。
建物に入り、事務室へ行って、落とし物の届けがないか、事務員さんに訊く。まだ5時前なのにもう帰り支度を始めていた女性の事務員さん(さっき用事を頼んだ人)は、笑顔を無理に作りながら「今日は何も届けはありません」。
「落としたのはいつですか?」
「さっきです。まだ30分も経ってないです」
「ないですね」
笑顔だが、「早く帰ってね」と言いたそう。面倒くさいので調べない、というのではないだろう。一応、礼を言って、外に出る。自転車を置いた場所の周辺をもう一度念入りに調べたが、早押し機はなかった。
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