第32話Rosa negra sediento de sangre

「つまんなかったわ」


そう言うとミチェリは氷の杖を回転させると、尖った部分をカリエンテに向けて突き出す。このままカリエンテの心臓を刺し貫くつもりなのだろう。

だめだ。ミチェリを止めねば……気が付いた時には私は大声で叫んでいた。


「か、かかっ、カリエンテ様ぁ!しっかりしてください!」


カリエンテの名前を呼んだ私の顔を見て、ミチェリは一瞬だけ悲しげな表情をしたかのように見えた。だが、すぐに凶悪な笑顔を顔に浮かべると、カリエンテの心臓に目掛けて容赦なく突きをくり出した。


しかし、次の瞬間にはミチェリの杖は弾かれ、彼女の体は宙を舞っていた。


「……なにそれ」


ミチェリばかり見ていた私には何が起きたのかわからなかったが、カリエンテを見て何が起きているかを理解した。


ラ・フエンテ・デ・サングレを覆っている氷の亀裂から、数本の赤黒い蛇のようなものが伸び、それがミチェリを弾き飛ばしたのだ。


カリエンテは死んでいない。


それどころかその身体を覆う氷は蒸気を上げ、わずかに亀裂が入っていた。

彼女は戦う意志も失っていなければ、諦めてもいないのだ。


「ああ……カリエンテ様……」


魔剣から伸びた蛇の頭はミチェリを狙い、鞭のように唸りをあげ、空気を切り裂いていく。だが、ミチェリは冷静に杖を構えると、先端を高速で回転させ蛇をことごとく打ち落とす。


「これがあなたの奥の手ぇ?しょっっぼいわねぇ」

「……」

「じゃあ私の本気を見せてあげる。あなたが言う魔女の力ってやつを」


ミチェリがそう言った直後、突然周囲が明るくなり始めた。


「なんだ……これは……」


老人が眩しさのあまり目を細めながら呟く。


「空が……あれは星か……?」


思わず上空を見上げると、まるで銀河が降りてきたかのような光景が広がっていた。

鋭い光を放つ無数の氷の刃が全天を包囲しており、太陽の光を浴びてキラキラと瞬いているのだ。


しかし、その光が徐々に強くなるにつれ、大気から熱が奪われていくのがわかった。

肌にぴりぴりとした感覚を覚え、無意識に腕をさすり、体を震わせる。


「……ダメだ」


老人は顔を青ざめると、私の肩を掴み引き寄せた。


「無理だった……どうしようもない……もう逃げるしかない」

「え、あ……」


私は全身が震えだし、歯がカチカチ鳴るのを止めることができなかった。


「あの……魔女の力はまだまだこんなものじゃない。これでもまだ……本当の力を出してない。魔法使いが十人だとか百人だとかなんの意味もない、何人いたって無駄だったんだ……気の毒だがあの女剣士のことはあきらめるしかない……」


「……」

「俺があんたを担いで逃げられるかわからないが、とにかくここから離れないと……」

「……」

「おい、アズマーキラ、聞いているのか?」

「……」


私は返事をすることができず、ただ呆然と震えていた。


「綺麗でしょう?」

「……!?!」


いつの間にかミチェリが私のすぐ傍らに立っていた。私は恐怖を感じ、反射的に後ずさりしてしまう。老人も硬直し、指一本動かせないようだった。


「あ、いや。お嬢様……はい、と、とっても綺麗だと思います……」

「ふぅん……」


ミチェリは私のことをじっと見つめていたが、やがて視線を外すと空を見上げた。


「ねえ、この光景に比べたら、私たちの存在なんてちっぽけなものだって思わない?」

「……い、いいえ。おっ、おお、思いません」


「…………どうして?」


「だっ、だだっ、だって、私に……夢を語ってくれた時のお嬢様は……も、もっと、もっと楽しそうだったじゃないですか……」

「……あっそ」


ミチェリは馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの顔をすると、ふわりと浮かび上がり、凍りついたカリエンテの姿を見下ろす。


「冬の風が動き出すと、すべての命は枯れ果てる。塵となればその形は失われ、やがて忘却されて虚空へと至る。神々でさえその運命からは逃れられない。これが私に与えられた力。さようなら、カリエンテさん」


ミチェリは杖をゆっくりと持ち上げる。辺りを照らす光がさらに強くなる、もはや目を開けていることすら難しかった。


彼女を止めねば……しかし、どうやって?

透明化するだけの薬を持った爺さんにできることなどあるのだろうか?


周囲には膨大な力が渦を巻き、少しでも動けば、その瞬間に身体が吹き飛びそうなほど大気は張り詰めている。


『千軍の矢』


ミチェリがその言葉を紡いだ途端、銀河の星々のように瞬いてた氷の刃たちが一斉に解き放たれ、超新星の最期を思わせる閃光と共に大地へと降り注いだ。


「……」

「……」

「……」


恐ろしく長い時間が流れたように感じたが、実際にはほんの数秒のことだっただろう。粉雪や破片が舞い散る中、私は恐る恐るまぶたを開く。

周囲の地面はひび割れており、辺りの木々は根こそぎなぎ倒され、巨大なクレーターができているのが見えた。


私の側にいた老人はしばらく無言だったが、突如糸が切れたかのように地面に転がる。カリエンテの姿はどこにもなかった。

私はほとんど無意識にカリエンテの名を叫んでいた。


「カリエンテ様!どこです!カリエンテお嬢様ぁ!」

「……お嬢様ではないと言っただろ」


声のした方を見ようとした一瞬、老人の傍らから、赤黒い人影が凄まじい蒸気を吹き上げながらミチェリに飛び掛かった。


カリエンテだった。


「なにその恰好、趣味悪いわね」


だが、トウメインの効果が切れ、透明化が解除されたカリエンテの姿は私が知るものとは違っていた。


彼女の赤い髪は炎の如くメラメラと立ち上り、その瞳は血のような赤に染まっている。そして何より、カリエンテの全身は漆黒の鎧で覆われていたのだ。


鎧には薔薇をあしらった装飾がされており、まるでドレスのようにも見えたが、ところどころが鋭利になっており、刺々しい印象を受けた。

また、恐ろしいことに赤黒い薔薇の装飾はあたかも生きているかのように脈打ち、血を流していたのだ。


鎧をまとって露出度が大幅に下がった彼女の姿は、残念に感じると共に頼もしくも思えたが、一方で何か禍々しいものを秘めた呪いのようにも見えて背筋が凍った。


しかし、ミチェリはカリエンテの姿を見てもさほど驚いた様子はなく、ため息をつくと氷の杖をくるりと回す。


これまで何度もくり返してきたことだ。

きっとミチェリは今回も、ラ・フエンテ・デ・サングレの一撃を弾き返そうとするつもりだったに違いない。


だが、次の瞬間、ミチェリの左腕は切断され宙を舞っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る