林邑・占城(チャンパー)

 まず、解説の引用から入るのがわかりやすいと思います。



 中インドのアンガ国の都チャンパーの住民がヴェトナム南部の東南アジア東海岸に移住し(チャム人)、漢の支配をうけていた。192年後漢の支配体制の衰えに乗じて日南郡象林県からチャンパーとして独立した。中国では象林邑を略して林邑と記録され、8世紀中頃に「環王」10世紀以降は「占城」と漢字のあて字は変えられたが、15世紀後半、ヴェトナムに征服されるまで存続した。チャンパーの残存勢力が完全にヴェトナムに支配されたのは17世紀末であるから、この方面で最も長く続いた国といえる。初期は中国文化が優越していたが、海上活動を通してインド文化の影響が濃くなり、4世紀後半の碑文にはヒンドゥー教シヴァ神廟の建立の事実が刻まれ、サンスクリット碑文も存している。



 チャンパーが長く続く国となったのは、単一の国家ではなくて、長い海岸線の各港市勢力を結んだ、ゆるやかな国家連合体だったため、拠点がたくさんあったため、支配されにくかったと別の本に書いてありました。

 資料としては4~5世紀のチャンパーの首都インドラプラが広南地方に進出した時代の豊かな生活ぶりを示すものが引用されています。



「吉貝(木綿)の花は熟すると、がちょうのむくげのような無色で細い糸を出し、それを紡ぎ、どの色にも染まる美しい布衣をつくる。また、沈木香が多くある。焼煉瓦の家は、露台の上に建っている。王は象に乗って外出する。ほら貝と太鼓を打ち、傘をさしかけ、旗を振る。従臣たちに取り巻かれる。婚儀はかならず第8番目の月齢日にとり行なわれ、男との婚姻を求めるのは娘の方である。」



 チャンパーの末裔のチャム人は東南アジア各地に逃れ、散らばり少数民族となったそうですが、今でもつながりがあるそうです。ほぼイスラム教徒です。






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