扶南

  

 メコン川下流域に起こりシャム湾に面していた扶南について解説から引用します。



 扶南は、クメール人がインド文化の影響をうけ、メコン下流域に形成した、東南アジア半島部最初の国家で、1~2世紀の建国から7世紀中頃、真臘の圧迫で滅亡するまで、海上交通の要衝をおさえて活躍した。3世紀の初め、呉の使節をうけて中国との通交が始まり、またインドのクシャーナ朝との交渉を始めた。

 4~5世紀にインド出身の王が出、インドの諸制度を導入した。裁判には神判、宗教はヒンドゥー教及び仏教、言語はクメール語と考えられるが、現存する碑文やオケオ遺跡出土の印章はインドのサンスクリット文字である。



 インド文化の影響が強いみたいですね。資料の引用をします。



(1)「城壁にかこまれた城市には、王宮や家屋がある。住民はみな色黒くしてみにくく、髪を巻いて、はだかで歩く。性質は正直で、決して盗みをなさず、耕作をもって務めとしている。1年種をまけば、3年分の収穫がある。さらに、好んで細かな彫刻をする。食事する食器は多く銀製品を使用する。税は金・銀・宝珠・香料をもっておさめる。その文字は(中央アジアの)胡の文字に似ている。」


(2)「住民は金・銀・絹布をもって交易し、金製の指環や腕輪、また銀食器をつくっている。大家の男は、錦をきって横に巻き、貧者は布でもっておおっている。国王は数階の楼閣に住み、象に乗る。女官や近侍もまたこれを使う。村の住民は、家に井戸を掘らず、みな一つ池から水をくむ(カンボジアにおいて、慣習になっているチャピアンの制度である)。娯楽として闘鶏、闘豚があり、この国には牢獄は存在しない。」



資料(2)はジャワルマン1世(480~514)治下の扶南の全盛期についての紹介。



 遺跡からローマの貨幣が発掘されたり、海上貿易が栄えていたみたいですね。



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