「解脱」は基本、「六道輪廻から解放される」ことが目的です。インドのさまざまな宗教は、手法や信仰が異なるだけで、ほとんどが「いかにすれば解脱できるか」が根本思想なのです。
そのうち仏教は、一つに「中道」や「執着を捨てること」が解脱への道だと考えたわけですね。
ともあれ、「解脱」という言葉はなかなか難しいですよね……。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
解説書を読んで「解脱」のあたりは難しかったです。色々説明したあげく言葉で説明することはできないとか言い出す。
でも「解脱」はそんなに素晴らしいことなのか? と思います。目指したいとは思えないです。よほど苦しんだ人が考えたことかな? と思います。
個人もですが、社会に対しても「無駄な執着が多い」ということを言いたかったのかもしれませんね。
現代日本も100年前の制度がそのまま残っていて、時代が変容しているのに未だに引きずっているケースもあるわけで「筏を担いでいるようなもの」とみられても不思議じゃないのかもしれません(^^;)
作者からの返信
コメントありがとうございます!
感服いたしました。何も仏教のたとえ話だからと言って、解脱へのヒントのように考える必要はないのですね。
あの筏のたとえ話から敷衍して、社会の無駄な執着についてご指摘されるとはさすがです。時代の変容への心構えにもなりますね。
筏のたとえ話のような説話は単純なようでいて、読む方によっては奥が深いと思いました。
諦めることが肝心で、楽になれるのはわかってるんですが、人間、なかなかいろんなことを諦められないものなんですよねー。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
仏教を本当に理解しているわけではないけど、現代的価値観から見ると諦めを肯定的に考えるのはどうかな? と思います。
無理のない範囲の執着なら、生きるハリになるかもしれません。
とにかく執着してはダメなんですね。
仏陀の話をする時、脳内では手塚治虫さんの絵が浮かびます。
影響力スゴいなぁと思います。
弟子に囲まれて説法している仏陀が。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
苦しむ原因は執着なのだと言っているみたいですけど、欲や執着を肯定的に考えることもできるのではないかと思います。別に解脱目指してないし(笑
手塚治虫先生のブッダは読んだことがあるのですが、女性の登場人物のトップレスが気になってしまいました。古代インドの彫刻では、あんな感じですけど本当にあんな露出があったとは驚きです。
と仏教とは関係ないですね。法に執着するなの法がポイントではないかと思えてきました。仏教のことはよくわからないけど、仏陀にはカリスマ性があったと思います。
執着を捨て、中庸を知る。
憧れでもあり、辿り着くための筏が見つからない私は、ただ放浪してゆくのかもしれない……そんな事を想いました。深いお話です。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
執着を捨て、中庸を知る教えは立派かもしれませんが、つまらないかもしれないとも思います。適度になら執着したり、極端に走っても良くない? と私のような凡人は思ったりします。
説話に出て来る筏は、そのへんの草や枝などで作っているので、難易度は高くないかもしれません。そして筏で渡ることにこだわらず、ただ放浪するのも面白いかもと思ったりします。