絹の道今昔
YuoTubeを見る習慣がなかったので気づかなかったのですが、「ソグド人」とか調べるとかなり詳しい解説があったりして、私のこの連載の意義はないかもしれないと思ったのですが、「シルクロード」で検索したら有名人の話題ばかりだったので、地図もないし、地名の羅列ばかりだし、かと言って元の資料の漢字で変換できないものが多いのですが『漢書――西域伝』からの引用です。
西域は孝武の時をもって始まる、もと36国、その後やや分かれて50余に至る。皆、匈奴の西、烏孫の南に在り。南北に大山あり、中央に河あり。東西6000余里、南北1000余里なり。……ホータン(コータン)は南山の下に在り。その河は北流してパミールの河と合し、東してロプノール湖にそそぐ。ロプノール湖は一名塩沢なるものなり。……玉門・陽関より西域に出づるに両道あり。ミーランあたりより南山の北にしたがい、河にしたがい、西行してヤルカンドに出づるを南道とす。南道は西のかたパミールをこえ、即ち大月氏・安息に出づ。トルファンのあたりより北山に随い、河にしたがい、西行してカシュガルに至るを北道となす。北道は西のかたパミールをこえ、即ちフェルガナ・サマルカンド・クリミア半島あたりに出る。
大まかにパミールのあたりということですかね? 続いて『隋書(巻67)』から引用します。変換できない漢字だらけ(泣)
敦煌より発して西海に至るのは、ぜんぶで3道よりなっている。そして、天山北路はハミ(クムル)よりバルクル・鉄勒部・突厥河汗の庭を経てイリ川を渡り、ローマの東方領に至り、アラル海に達する。天山南路の北道は、トルファン・カラシャール・クチャ・カシュガルよりパミールを渡り、またフェルガナ地方やサマルカンド・クシャニャ・ブハラを経てペルシアに至り、西海に達す。天山南路の南道は、ミーラン・コータンなどよりパミールを渡り、また護密・吐火羅・帆延・漕国を経て、北インドに至り、西海に達す。
この資料集にはヘディンの「さまよえる湖」も紹介されているのですよね。引用すると長くなるけど、ロマンがあると言えなくもないので引用します。1934年のことです。
最後の日、12月14日の朝、東北東の嵐で目をさまされた。嵐は時速35マイルの速さで、濃密な砂塵をテントに吹き付けていた。疎勒河の三つの分流は凍結していた。……11月12日、全く思いもかけずに盗賊団に遭遇して以来1か月以上の間、われわれはゲオルク以外、だれにも会わなかった。その間われわれは人跡未踏の地に住んでいたのである。長いこと石灰化していたこの静脈にも、かつてはやはり生命が波打っていたのだということを示している唯一のものは、商人やラクダ隊に「絹の道」の道順を示すために、小丘や段丘や山の峰の上に建てられた石塚のみであった。この多くの石塚は疑いもなく北から南へ行く道を示していた。少なくともそのうちハミ・敦煌間にある三つだけは多くの地図にのっている。われわれはほうぼうでこの道を横切った。しかもこれを建てた人々は、2000年ものあいだ墓場の中に眠りつづけている。そして、その墓はアジアとシナの内奥にひろがっているのだ。われわれの時代にこの忘れられた道をたどって旅する者は、ラクダの鈴の音が遠くに消えるこだまや、ラクダを追う馭者の叫び声のこだまを、ただ想像の中で聞くのみである。
彼らの知識が絹の大貿易に負うていることは疑うべくもない。隊商たちはセレスの国、シナから敦煌を過ぎ、われわれがちょうど今知ったばかりの砂漠を通り、ロプ湖の北岸とクム河とに沿って進み、さらにコルラ・クチャ・アクスを経由してカシュガルにいたる世界最長かつ最古の通商路を通って、あの高貴な絹を運んだのである。西方から来た商人たちもまたこの道を通り、彼らが見てきた国々や湖や川について語ったのである。かくてこれらの知識がマリノスに伝わり、マリノスからプトレマイオスに伝わったのである。それゆえ初期の地理学があの有名な湖とその河川の水系に関する知識に対して感謝しなければならないとしたら、ただ絹の通商に対してのみ感謝すべきである。北部ロプ湖の西方ほど遠からぬところにあった楼蘭の町は、この絹の道に沿っていた。しかし、330年ごろに、タリムの川筋とロプ湖の位置に大異変が起こった。
(中略)
砂漠の南部に数個の新しい湖を作ったのである。同時に古い川筋と古い湖は干上がってしまい、楼蘭の町は住民に見捨てられて、完全に忘却にゆだねられたのである。
ヘディンの『さまよえる湖』は文庫で持っていますが、未読のまま放置していました。面白そうではあるけど、読むことがあるかどうか……。
解説を引用します。
絹の道の内陸ルートは数本あり、時代によって主要路は変わっている。
このルートの最初の商品は彩陶と琥珀などの玉石を遊牧民族が中国に運んでいたから絹の道とはいいにくい。ローマ時代になると、ローマ女性が絹を愛したことから、絹は中国輸出品の代表となり、ローマ市場では絹と金が同じ目方で交換されたという。
長く東西貿易の幹線であった内陸アジアのオアシス都市を結んだ絹の道も、大航海時代の到来で海の道にその座を譲って、転落の歴史をつづる。ティームール治下のサマルカンドの全盛14~15世紀が絹の道の最後の繁栄であった。
昔、シルクロードブームだった頃、興味がなかったわけではないけど、あまり特集番組を見たりしませんでした。それで今、YouTubeで検索すると「シルクロード」という有名人(ユーチューバー?)ばかりが出てくるのでした。
追記:その後しつこく検索して「天山北路 天馬の故郷」という動画に辿り着きました。白髪の見事な司馬遼太郎先生が出演していて、天山山脈の風景が素晴らしかったです。
それで昔、放送されていたシルクロードの番組が見たくなりましたが、今どきDVD BOXは邪魔なだけだし、どこかの配信で見たいと思いました。そこで現在加入しているNHKオンデマンドで昔のに限らず、様々なシルクロード関係の番組の配信を視聴できることがわかり、しばらく盛り上がろうと思います。
そして色々視聴して4Kで撮影された「シルクロード・美の回廊」が映像が美しく素晴らしかったです。
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