アテネの没落
アテネはシチリア遠征の失敗によってギリシアの覇権を失うことになりました。
この辺のアテネの没落に関する資料は引用するには長いし、私にはわかりづらかったですが、説明のしようがないので引用します。
こうしてこの動揺は最初に軍勢の中から発し、やがてここから本国にむかって伝播した。サモスからは幾名かのものたちがアルキビアデースのもとに渡ってきて、会談を申し入れた。するとかれは、民主政治を廃止するなら(そのほうが、王の信頼を得やすいから、と言ったのである)先ずはペルシア軍の指揮官を、次いでペルシア王を味方につけてみせようと約束したので、市民らの中でもとくに戦費負担にあえいでいた最有力者層の者たちは、今こそ政治の実権を自分たち自身の手に確保でき、外敵をも屈服させうると、前途に大いなる希望を見出した。彼らは(サモスに帰着すると)諸兵の中でも気心の通じた仲間をあつめて謀議に加盟させると、一般将兵を前にして公然と声明を発した。民主政治を廃し、アルキビアデースの復帰を認めるならば、ペルシア王が自分らの味方となり、軍資金を提供するであろう、と。するとむらがる一般軍兵は、このような裏面工作がなされたことに対して、いったんは腹を立てる者もあったが、ペルシア王からの給費にありつけるという期待に道をゆずって、事を荒立てようとはしなかった。他方、貴族政治樹立を目的に結盟を交した者たちは、こうして一般将士に計画を知らしめたのち、かれらの内輪の集まりに、自分らの党派に属する者たちの殆ど全員を招いて、アルキビアデースの提案内容をさらにくわしく検討した。その結果、他の者たちはみな、これが容易に実現されうるものであり、かつ信頼に値するもの、と思ったが、当時なお指揮官職にとどまっていたプリューニコスのみは、両手をあげてこれを受け入れるべきではない、と言った。
資料は続きますが長いので省略して、解説へ
この資料はギリシアの民主政が崩壊の危機に瀕した状況を冷静に著述している部分である。B.C.413年にシラクサで全滅に近い敗北を蒙ったアテネは動揺していた。こうした事態につけこんでアテネに復帰しようと画策しているアルキビアデースの動き、長い戦争の戦費負担に耐えかねている有力者の実態、兵士もまたペルシア王の金の力に期待を寄せていることなどに注目したい。戦争を終結させるためにはアテネ民主政を廃棄してもよいという大方の流れに、抵抗するプリューニコスもスパルタと手を組むなどの術策に溺れこんでしまう。政治屋が横行し、アテネ民衆が衆愚政治に堕落したしまった。
今ひとつわからないです。長いペロポネソス戦争が負担過ぎたということ?
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