古代オリエントの地主

 この本で紹介されている大地主が財産を増やす、やり方についての記述は難しくなくて興味深いので長々と引用します。



 テヒプティラ家や富裕な地主たちが、どういうふうに貧しい農民たちから土地をまきあげたかを文書によってたどるのは、大変面白いがまた心を痛ましめるものがある。明らかに法律は農民が土地を売ることを禁じていた。これは多分人類愛的動機からではなく、農民に課税するためには生活の資と耕す農地とを保有させねばならなかったためだろう。地主たちは法律を破りはしなかったが非常に巧妙な方法で法網をくぐりぬけた。

 遥かな昔からバビロニア・アッシリア人は老境におよんで世話をしてもらうために養子をとる習慣があった。子のない老夫婦が畑仕事がつらくなったようなとき、彼らは若者を養子にし、もし彼が老夫婦の在世中一定額の穀物、わずかの油、必要な衣服などを保証するなら、全財産を与えるという条件で養子にした。彼らが受ける品物の量は、その財産に比例して変わった。これは正に現在年金とよばれるものの最古の形式で、その際、保険会社は報酬として契約者の払ったプレミアムに比例した金額を保証するのである。

 ヌジの富裕な地主はただちにこの習慣に目をつけ、貧しい農民に自分を養子にさせはじめた。そうすれば遺産相続の分け前にあずかれるし、ときには全財産をも相続しうるのである。彼らが毎年年金を払わないときには、贈物とよばれた全額払いをしたが結果は同じことであった。

 このやり方は大々的に行われたので、同じ地主が300人も400人もの百姓の養子となっている例さえある。彼が一人だけの息子でないことは発掘文書中の法廷手続きから知りうる。貧しい養父たちは養子どもが契約以上のものを要求したり、あるいは協定したとおり年金を支払わないといって訴えている。文書は一般にこのみせかけの「親子関係」で押し通しているが、書記はときに失念して明らかにこの関係の実際を暴露するような言い方をしている。この慣行は大変便利なものだったにちがいなく、一つの文書に大々的な養子縁組の記されているものがある。

 5人か6人の百姓が1人の男を養子として財産を遺贈している。一人一人が「遺産」の価格に匹敵する金・穀物その他の「贈物」を受け、土地は従来のままでこれを「息子」のために耕している。この貧しい連中はもちろん所有権をすべて放棄したのである。こうして国中に、法律で禁じられている以上の奴隷制が発達することになった。法律で養子を禁じることはできず、地主たちはこれを大いに活用したのである。



 古代にこんな年金方法があったのか! とか豊かな人がますます豊かになっていく様子は今と変わらないなと思いました。




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