第5章 動き出すそれぞれの思い
見渡すかぎりの庭園といくつもの建物で構成されている大邸宅は、一般家庭との違いをまざまざと見せつけていた。
「これが小鳥ちゃんの家なのか・・・」
総次は驚嘆しながらくまなく屋敷を眺めた。まるで別世界に入ったかのような感覚になる。それほどここは世界が違っていた。
「こいつは驚いた。小鳥ちゃんって、正真正銘のお嬢様だったんだな」
「ほんと凄い屋敷よね。私の想像以上だわ」
倭と千歳も同じく驚嘆している。
「ウフフ、やっぱりみなさんも驚きましたね。私も初めて小鳥の家に招待されたとき、みなさんと同じようにびっくりしました」
小鳥と一緒に総次たちの前を歩いていた青葉が、振り向きざまに小さく笑った。
「ここが小鳥のお家でーす。さあ、どうぞ入ってください」
小鳥は無邪気な笑みを総次たちに送ると、玄関のドアの前に立った。すると、自動的に仲からドアが開き、男の使用人とメイドが総次たちを出迎えた。
「おかえりなさいませ、小鳥お嬢様」
右の壁際で一列になって並んでいる使用人とメイドがいっせいに頭を下げる。彼らの一糸乱れぬ動作は、十分な教育が施されていることを裏付けていた。青葉と小鳥を除く面々は、その大規模な出迎えに圧倒された。
「ただいま、みんな。いつも出迎えありがとう」
小鳥が満面の笑みで答える。
「小鳥お嬢様、お客様をお連れする部屋はいつものところでよろしかったですか?」
先頭にいたタキシード姿の老紳士が、柔和な笑みを浮かべながら小鳥に歩み寄った。恐らく、彼がこの屋敷の執事で、使用人たちを取り仕切っている人物なのだろう。
「うん、そこでいいよ、爺や。あとは青葉ちゃんたちを部屋まで案内してあげて」
「かしこまりました」
執事が一礼する。
「小鳥は着替えてきますので、みんなは先にお部屋に行ってくつろいでいてください」
小鳥はそう言うと、メイドのひとりと一緒に歩き出した。
「皆様の案内は私がさせて頂きます。どうぞこちらへ」
執事は一礼をすると、総次たちに背を向け歩き出した。
総次たちは執事の後をついていく途中、しきりに周囲を見回した。
「だけど、ここは本当に凄いな」
「ああ。凄すぎるぜ」
「本当に凄いわね」
総次の言葉に、倭と千歳が同感の意を示す。どこかどう凄いのかと答えることができないくらい視界に入るものすべてが凄かった。
「こちらになります」
執事は2階にある一室まで総次たちを案内すると、目の前にあるドアを開けた。その瞬間、総次たちからまたもや驚嘆の声が漏れた。
室内は無意味にすら思えるほどの広さがあり、天井に備え付けられたクリスタルのシャンデリアが部屋の隅々までに光を注いでいた。壁には気品のある絵画や装飾品が掛けられており、総次たちのような一般家庭との格の違いを誇示していた。
総次たちは物見をしながらソファに腰掛けた。すると、同時にドアが開き、ふたりのメイドがケーキとジュースを持って現れた。
「うわあ、これって、今有名人のあいだで話題になっているケーキだわ。確か限定品でもうどこにも売っていないと言われているケーキなんだけど、まさかこうしてお目にかかれるなんて思ってもみなかったわ」
千歳がテーブルに置かれたケーキを見て、興奮気味に語った。
「そんなにすごいケーキなのか。俺には普通のケーキにしか見えないんだけどな」
倭は無遠慮にケーキを口に入れた。
「そのケーキは、ひとつで5000円もするそうですよ。私もまさか食べられるなんて思っていませんでした」
青葉がそう言った瞬間、倭はケーキを喉に詰まらせて咳き込んだ。
「こ、これだけで5000円もするのか!俺なら絶対に買わんぞ」
倭はジュースを飲んで落ち着きを取り戻すと、空になった皿をしげしげと見つめた。
「まあ、なんでも食べる倭君には、これの価値が分からないわよね」
千歳は苦笑しながら言った。
「おまたせしましたあ」
私服に着替えた小鳥が大きな箱を抱えてやって来た。
「小鳥、その箱は何なの?」
真っ先に青葉が尋ねる。
「エヘへ、これは新しいボードゲームだよ。みんなでこれをやろうと思って持ってきたの。ただし、それだけじゃ面白くないから、ビリの人は1番の人のお願いを聞くというルールを入れてやろうと思うんですけど、どうですか?」
「へえー、なんか面白そうね。私はいいわよ」
「俺もいいぜ。うまくいけば、総次に無理難題を言えるからな。もちろん、総次も逃げずにやるよな」
倭が不敵な笑みを浮かべた。
「ああ、いいぞ。あとで後悔するなよ」
総次は倭の挑発に乗るような形で賛同した。
「みなさんがやるなら私もやります。でも、私がビリになったとき、あまり変なお願いはしないでくださいね」
青葉は不安げに総次と倭の顔を交互に一瞥した。
「いやだな、青葉ちゃん。俺はこいつと違ってそんな下心なんてないから安心してくれ」
彼女の視線に気づいた倭は、笑いながら総次の肩を叩いた。
「おい、ちょっと待て。おまえのほうこそ下心の塊じゃないか!」
総次は倭を睨みつけながら反論した。
「大丈夫よ、水無月さん。もし、このふたりが変なこと言ったら、即張り倒してあげるから。ふたりとも、勝ったあとの言動には十分気をつけるようにね。いいわね?」
『はい、十分気をつけます。千歳さま』
千歳の鋭いまなざしを受け、男ふたりは体を小さくさせた。そんな彼らを見て、女性陣のあいだから笑い声が上がった。
「それじゃあ、早速始めましょう!」
小鳥は嬉しそうボードゲームをテーブルの上に広げた。そして、それぞれの順番を決めたのち、ゲームを始めた。
「やったあ!小鳥が1番です!」
小鳥は自分のコマがゴールに着いた瞬間、満面の笑みを浮かべて両手を上げた。
「残念。私は2番か」
「ふう、なんとかゴールすることができました」
続いて千歳、青葉の順でゲームが終わり、残るは男ふたりのみとなった。
「まずいな・・・」
倭は苦渋に満ちた表情を浮かべた。それに対し、総次は余裕の表情を見せた。
「悪いな。でも、これが勝負というものだ」
「いや、まだこれで終わりと決まったわけじゃない」
「確かそうだが、もう決まったも同然だ」
総次はダイスを手の平で転がしながら勝利宣言ともとれる発言をした。総次のコマはゴールまで残り2マスのところにある。つまり、ダイスで1さえ出なければ、総次の勝ちが決まり、倭が罰ゲームの対象者となる。ゴール前のマスがふりだしに戻るマスとなっているので、倭の言うとおり総次の勝利は確約されていないが、それでも限りなく不動のものだといえた。
総次は我が勝利を確信しながらダイスを転がした。ダイスは、乾いた音を立てながらテーブルの上で何度か弾んだのち止まった。その瞬間、総次の余裕が凍りついた。
「な・・・」
ダイスを見て絶句する。そこに書かれていた数字が出てはならない数字だったからである。
「よっしゃあ!天は我に味方せり!」
一方、崖っぷちから這い上がる格好となった倭は、ガッツポーズをしながら歓喜の声を上げた。これで完全に形勢が逆転し、総次は大逆転負けを喫した。
「む、無念・・・」
自分の最下位が決まった瞬間、総次はがっくりとうなだれた。
「ハハハ、これも行いの違いの差だな。まさに天網恢々、疎にして漏らさずってやつだ」
倭は得意満面の笑みを見せた。奇跡的な大逆転だったので、最高の気分になっていることであろう。それが容易に分かるため、総次は余計に自分自身がみじめに思えてならなかった。
「さあ、小鳥ちゃん。総次に思いっきり無理難題を言ってくれ」
倭が意気揚々と言い放った。
総次は、なんでおまえが積極的になっているんだよと心の中で文句を言いながら、倭を横目で睨みつけた。
「エヘへ、総次先輩、小鳥にキスしてください」
「へ?今、なんて言ったの?」
総次は思わず我が耳を疑った。
「小鳥にキスしてください。もちろん、場所は先輩におまかせです。きゃん、小鳥なんか恥ずかしいです」
「えええええっ!」
「ちょっと待った!それって罰ゲームになってないぞ!」
倭が異議を唱えるが、小鳥は何事もないように話を続けた。
「さあ、総次先輩。いつでもどうぞ」
小鳥は目を閉じ、まな板の上の鯉となった。
「い、いつでもどうぞって言われても・・・」
積極果敢な小鳥の態度に総次はすっかり参ってしまった。男としては嬉しい限りのシチュエーションなのだが、みんなの前でそんなことなどできるはずがない。それ以前に、いくら合意があるからといって、恋愛対象となっていない異性にキスをするのは節操がなさすぎる。しかし、かといって拒否すると女の子を泣かせてしまうことになり、男の面目が丸つぶれとなる。特に総次は女の子の涙に人一倍弱いので、それだけはなんとしても避けたかった。八方塞がりの状況に総次は頭を抱えた。
「総次先輩は、そんなに小鳥にキスするのが嫌なんですか?」
小鳥は目を開けると、うっすらと涙を浮かべながら悲しげに尋ねた。そんな彼女を見て、総次の動揺がさらに激化した。
「い、嫌というわけじゃないんだけど・・・」
総次は助けを求めるように視線を彷徨わせた。そのとき、青葉と視線が合った。
「総次さん、小鳥がいいと言っていますから、頬にキスするぐらいならいいんじゃないですか」
青葉が控えめな口調で申し出た。その発言から親友に対する気遣いがうかがえた。
「え、えっと、頬というのも・・・」
さらなる窮地に追い込まれて言葉を濁す。
「それなら、王子様がお姫様にするような感じで、手の甲にキスするのはどうかしら?」
途方に暮れていた総次に救いの手を差し伸べたのは千歳だった。
「うーん、そうだな。それならなんとかできそうだ」
総次は助け船を出してくれた女友達に、心の底から感謝した。
「小鳥ちゃんもそれでいいよね?」
「はーい、それでもいいでーす。あ、そうだ。それなら、ついでにお姫様抱っこもしてもらおっと」
小鳥は瞬時に笑顔を作って即答した。
「え、お姫様抱っこ?」
ふたたび驚きの色を浮かべる総次。
「まあ、それぐらいはしてあげてもいいんじゃないかしら。本来なら総次君には拒否する権利もないことだし、私はやってあげるべきだと思うわ」
「う、まあ、確かにそのとおりだな。分かった、それでよければいいよ」
痛いところを突かれた総次は、しぶしぶその条件を飲むことにした。
「やったあ!それじゃあ、総次先輩、優しくしてくださいね」
小鳥は嬉しそうに右手を差し出した。
「それじゃあ、やるよ」
「はい。いつでもどうぞです」
総次は彼女の小さな手を軽く握ると、片膝をついて手の甲にキスをした。
「きゃあああん!小鳥、大感激ですー!」
小鳥はその場で飛び跳ねながら全身で喜びを表現した。
「小鳥ちゃん、リクエストのお姫様抱っこをするけど、いいかな?」
「はい、いいですよー」
小鳥は笑みをたたえたまま答えた。
総次は小鳥のそばに寄ると、遠慮がちに彼女の体を抱えた。両腕に伝わる柔らかい感触と間近に迫った小鳥の顔が、総次の胸の動悸を激しくさせる。
「エヘへ、小鳥、すごく幸せですー」
小鳥は総次の腕の中でとろけそうな笑みを浮かべた。すごく喜んでいる彼女を見ているうちに、総次もなんとなく嬉しい気分になった。
「あ、そうだ。このままだと不公平だから、小鳥もキスしてあげますね」
「え・・・」
その一言に総次は驚愕の表情を浮かべた。このとき、わずかな隙が生まれた。
小鳥はその隙をついて華奢な腕を総次の首に回すと、頬にキスをした。その瞬間、彼女以外の表情がいっせいに凍りついた。
「こ、小鳥ちゃん・・・!」
突然の出来事に、総次は慌てふためきながら小鳥を降ろした。たちまち顔が熱を帯び始める。しかし、小鳥は何事もなかったように無邪気な笑みを浮かべていた。
「エヘヘヘ、総次先輩とキスしちゃいました」
「総次!おまえという奴は、なんて羨ましいことをしやがるんだ!」
一番に動き出したのは倭だった。彼は総次のもとに駆け寄ると、有無言わさずヘッドロックを決めた。
「イテテテ、あれは別に俺のせいじゃないだろ!」
「問答無用だ!おまえなんかこうしてやる!」
総次はさらに頭部を締め付けられ、必死にもがいた。
「私、助け舟を出したつもりだったけど、余計なことをしちゃったみたいね」
「もうっ、小鳥ったら・・・」
千歳と青葉は、それぞれ複雑な面持ちで総次と小鳥を見た。
波乱のゲームが終わったあと、総次たちは新たに運ばれてきたババロアに舌鼓を打った。
「小鳥ちゃん、トイレに行きたいんだけど、どこにあるかな?」
「えっとお、お手洗いはここを出て右に曲がり、それからふたつ目の十字路を左に曲がって、さらにその次の十字路を左に曲がって、そのあとの通路を右に曲がったところにあるのが一番近いと思いますよ」
「そ、それで一番近いんだ」
総次の顔から引きつった笑みがこぼれる。
「結構複雑なところにありますから、もし、よかったら一緒について行きますけど」
「いや、道順さえ分かれば、ひとりで大丈夫だよ」
総次はそう言うと、立ち上がって部屋をあとにした。本当ならそのまま案内してもらったほうがよかったのだが、ボードゲームでの一件のせいでそうすることができなかった。ふたりっきりになると否応なしに小鳥のことを意識してしまうと思ったからである。さっきの出来事は不可抗力だと思うようにしようとしたが、簡単に割り切ることができなかった。経緯がどうであれ、結果として小鳥にキスされたことはまぎれもない事実だからだ。
───まさか、あんなふうになるとは思ってもみなかったな。
先ほどの小鳥のキスが鮮明に思い出され、体中が熱くなる。総次は火照った頬を手で押さえながら足早に通路を歩いた。
トイレまでの道のりは思った以上に遠かったものの、なんとかたどり着くことができた。ところが、用を足してから部屋に戻る途中、総次はいつの間にか見知らぬ場所にいることに気づいた。どうやら迷子になってしまったようだ。
「あれ、おかしいな。確か来た道を戻っていたはずなんだけどな」
総次は周囲を見渡した。必死に記憶をたどるが、残念ながら今、自分がどこにいるのかまったく分からなかった。
「おや、どうなさいましたか?」
不意に背後から声を掛けられ、総次は振り返った。声の主は総次たちを部屋に案内してくれた執事だった。
「あ、実は道に迷ったみたいでして・・・」
総次は赤面しながら事情を話した。いくら屋敷の内部に詳しくないといえど、この年で迷子になるというのはかなり恥ずかしかったりする。
「そうでしたか。この屋敷は広いので、初めてのお客様はよく迷われるのですよ。それでしたら、私がお部屋までお連れいたしましょう」
「すみません。お願いします」
総次は頭を下げると、執事と一緒に歩き出した。
「確かあなた様が伊倉総次様ですね?」
最初の通路を右に曲がったところで、隣にいた執事が話しかけてきた。
「ええ、そうですけど、どうして俺のことを知っているんですか?」
総次が少し驚きながら尋ねると、執事は穏やかな微笑を浮かべた。
「あなた様のことは小鳥お嬢様から、よくうかがっていますので、それで存じております」
「そうなんですか」
「ええ。小鳥お嬢様は伊倉様のお話をするとき、本当に楽しそうに話されます。お嬢様の口から殿方の話題が出たとき、正直驚きました」
と言って、執事が目を細める。しかし、すぐに真顔に戻った。
「失礼を承知で伊倉様にお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「どんなことでしょうか?」
執事の改まった口調が総次の興味心をくすぐった。
「単刀直入にお尋ねします。伊倉様は今、付き合っている方とかいらっしゃいますか?」
「いえ、今のところいませんけど」
気になっている女の子はいますけど、と心の中で付け加えながら総次は答えた。
「そうですか。それなら、小鳥お嬢様と結婚を前提にして、お付き合いされてはいかがでしょうか?」
「ええっ、け、結婚!」
総次は思わず大声を上げてしまった。まさかこんな形で結婚話が出るとは思ってもみなかったからである。
「結婚って、俺たちまだ高校生ですよ。だいいち、俺と小鳥ちゃんと知り合ってまだ間もないのに、いきなり結婚なんてはなしが飛躍しすぎですよ。それに、こういうことはまず初めに小鳥ちゃんの意思を確認してからするべきです」
ふたたび小鳥のキスを思い出し、総次の顔が朱色に染まった。
「そのことなら問題ありません。小鳥お嬢様のあなた様に対する好意は並々ならぬものがありますから。それに結婚はあくまで先のことですから、この場合は婚約と思ってください。実の家族ではない私がいうのもなんですか、小鳥お嬢様は多少わがままなところはありますが、とても優しくて思いやりのある方ですから、お付き合いすればすぐに小鳥お嬢様と将来を共にしたいと思うようになるはずです」
執事の真摯な発言には確固たる自信が含まれていた。
「俺と小鳥ちゃんは友達ですけど、そういう関係にはならないと思います」
その言葉に対し、総次はきっぱりと対称的な答えを出した。
「そうですか。しかし、人の心は移りゆく季節と同様、不変のものではありません。先の質問で伊倉様は意中の方がいらっしゃらないとのことでしたから、時の流れとともにいつしか気持ちが変わり、小鳥お嬢様のことを好きになる可能性が残されているはずだと私は信じています」
執事がまっすぐ総次を見据える。彼のその言葉に対し、総次は肯定も否定もできなかった。総次には気になる異性がいる。そして、それが小鳥ではないことは断言できる。しかし、それでも執事の言葉を否定できないのは、その女性に対する気持ちが今のところ淡い思いにすぎず、確固たる恋愛感情までにいたっていないからである。
執事の言うことは間違っていない。確かに今の心境ならば、小鳥に気持ちが傾く可能性はある。執事が誉めそやすように、小鳥にはそれだけの魅力があるからだ。もし、気になる相手がいなければ、あるいは初めに小鳥と知り合っていたのなら、きっと執事が望むような関係になっていたのかもしれないとふと思ってしまい、総次は複雑な心境にかられた。
「私は小鳥お嬢様が幼少の頃よりお世話しておりましたので、お嬢様のことを本当の孫のように思っています。ですから、小鳥お嬢様には幸せになってもらいたいというのが私の一番の願いです。伊倉様、私はあなた様が小鳥お嬢様の幸せの鍵となる方だと思っています。もし、叶うのならば伊倉様が小鳥お嬢様のことを好きになって、将来を誓い合えるような関係になってもらいたいと切に願っています」
執事はそう言うと、総次から視線を外した。
一方、総次はときどき執事の横顔をうかがいながら歩を進めた。
「客室のほうに到着しました」
見覚えのあるドアの前で執事が立ち止まった。
「ありがとう、執事さん」
「どうしたしまして。それから、先ほどは一方的に話をしてしまい、大変失礼しました」
深く頭を下げる。
「いや、俺は気にしていませんから、執事さんもそんなに気にしないでください」
総次は慌てて顔を上げさせた。
「そう言って頂けると助かります。伊倉様は心根の優しい方ですね。小鳥お嬢様があなた様のことを好きになる気持ちがよく分かります」
執事は微笑みながら言った。
「先ほどの話とは関係なく、小鳥お嬢様のことをよろしくお願いします。それでは私はこれにて失礼させて頂きます」
執事はふたたび最敬礼をして、総次の前から立ち去った。
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