第2章 secret elegy

今日の夕方の食卓には、久しぶり全員が顔を合わせていた。

「はい、お兄ちゃん、ごはんのおかわりだよ」

すっかり総次の妹に成りきっている紅葉が、ごはんをよそった茶碗を渡した。

「あら、紅葉、総次君のことをお兄ちゃんって呼ぶようになったの?」

若葉が少し驚いたような顔をして尋ねた。

「うん!今日から総次さんは紅葉のお兄ちゃんになってくれるんだよ」

「へえ、そうなんだ。総次君はそれでいいの?」

「ええ、少し恥ずかしいですけど、別に構いません」

総次は受け取った茶碗をおきながら答えた。

「よかったわね、紅葉」

「うん!」

紅葉は嬉しそうにおかずのから揚げを皿によそった。

「でも、よく考えると、総次君と青葉が結婚すれば、紅葉のお兄ちゃんになるよね」

「グッ、ゲホゲホッ」

いきなりの発言に総次は、ごはんを喉に詰まらせた。

「ち、ちょっとお母さん!」

青葉が顔を真っ赤にさせて抗議の声を上げた。

「た、大変!お兄ちゃん,お茶だよ」

紅葉が慌ててお茶を注いで、総次に渡した。

「あ、ありがとう、紅葉ちゃん」

総次は一気にお茶を飲み干した。

「フフフ、ごめんなさい、冗談よ。でも、総次君みたいな子が息子になってくれたら、大歓迎なんだけど」

「お、お母さん!」

「わ、若葉さん!」

すっかりうろたえる青葉と総次。

「お母さん、すごく楽しそうだね」

紅葉も笑顔を浮かべながら、会話に加わった。

「そうね。こんな楽しい食卓は久しぶりね」

「うん、なんかお父さんがいるみたい・・・あ・・・」

そう言ったとたん、紅葉の顔から急に笑顔が消えた。

それだけではない。若葉や青葉の表情も暗くなった。

「お父さん・・・」

青葉が消え入りそうな声でつぶやく。

「・・・」

若葉はそんな娘を無言で見つめた。

先ほどまで、あんなに笑いのあった食卓が一気に変わってしまったことに、総次は戸惑いを感じずにはいられなかった。

───まさか、ここまで影響があるのか・・・

総次は、この家の住人が今でも「父親の死」という呪縛の鎖に捕われていることを改めて認識した。


いつもどおりの学校生活を終え、帰路についていた総次は、その道中で、ブランコと滑り台だけが置いてある小さな公園を通りかかった。

そこで総次はブランコに座っている紅葉を偶然、見つけた。

「おーい、紅葉ちゃーん」

総次は中に入って、紅葉に近づいた。

「どうしたんだい?ひとりでこんなところにいて」

「・・・お兄ちゃん・・・」

紅葉の顔には、いつもの元気がまったく感じられなかった。

初めて見せるそんな表情に、総次は疑問を抱いた。

「何かあったの?」

「・・・お兄ちゃん!」

紅葉はブランコから勢いよく立ち上がると、総次の胸に飛び込んだ。

「も、紅葉ちゃん?」

「ひっく・・・ぐすっ・・・」

急に泣き出したので、総次は戸惑ってしまった。

いつも明るい紅葉が涙を見せるのだから、これはきっとただごとではないと思った。

「どうしたんだい、紅葉ちゃん?いったい何があったんだい?」

「あのね、今日、学校でね、『イデアールパーク』の話題があったの・・・」

「『イデアールパーク』って、確かつい最近、新しくできた遊園地のことだよね」

「うん、それでね、クラスのお友達がみんな、お父さんと一緒に行ってとても楽しかったって言ったの。紅葉、それを聞いていたら、すごく悲しくなって・・・紅葉にはお父さんがいないから・・・」

「そんなことがあったんだ・・・」

泣きじゃくる紅葉の姿に、総次は胸が苦しくなった。

このとき総次は初めて知った。

今まで見せた紅葉の笑顔が本物ではないことを。

きっと母親と姉のことを思って、悲しい気持ちを悟られないように無理していたのだろう。

偽りの笑顔に隠されていた涙・・・

小さな体に大きい悲しみを抱えていた少女は今、本当の姿をさらけ出していた。

抱えているものの重さに耐えきれず、ずっとためていた涙を一気に流していた。

この娘が抱えている悲しみを取り除いてあげたい。そして、本当の笑顔を見せられるようにしてあげたい。

総次は強く思った。

「紅葉ちゃん、俺と一緒に『イデアールパーク』に行こうか」

「え?」

紅葉が目を大きく見開いた。

「本当に一緒に行ってくれるの?」

「もちろんさ。俺も週末、暇だからよかったら一緒に行こう。お金だってあのバカ親父の貯金がいっぱいあるから、好きなだけおごってあげるよ。だから、もう泣かないで・・・紅葉が泣いているとこっちまで悲しくなるから」

総次は紅葉に笑いかけながら、ハンカチを渡した。

「ありがとう、お兄ちゃん・・・」

紅葉はハンカチを受け取って涙を拭いた。

総次は紅葉が落ち着くまでじっと待つことにした。

それから5分ぐらいが過ぎ、紅葉が総次から離れた。

「紅葉ちゃん、もう大丈夫かい?」

「うん。ごめんね、お兄ちゃん。待たせちゃって」

「そんなの気にしなくていいよ。それじゃ、あまり遅くなるとみんなが心配するから、そろそろ行こうか」

「うん」

紅葉が総次の隣に並んで、右手を握ってきた。

総次は何も言わず、その小さな手を優しく握り返した。

公園を出ると、すでに辺りが薄暗くなり始めていた。

電柱脇にある街灯も、少しではあるが明かりが灯りだしていた。

「ねえ、お兄ちゃん、少し遠回りして帰りたいけど、いい?」

二手に道が分かれたところで、不意に紅葉が立ち止まった。

「ああ、俺は別に構わないけど」

理由はよく分からないが、特に反対する理由もなかったので、総次は紅葉のお願いを聞き入れた。

「ありがとう」

総次と紅葉は普段、まっすぐいく道を迂回して、右に曲がった。

「お兄ちゃん、お兄ちゃんの家にはお父さんしかいなかったんだよね」

「ああ」

「お母さんがいなくて、寂しいって思ったことないの?」

「うーん、あまりよく分からないな・・・」

そう答えるのが精一杯だった。

寂しさを感じていても、それを抱えている暇などなかった。

ひとりで自分のことをやっていくことに必死だったからだ。

「紅葉はお父さんがいなくて、とても寂しかった・・・他のみんながお父さんと一緒に遊んでいるのを見るたびに、とても悲しかったの・・・」

紅葉は立ち止まって、握っていた手に力を込めた。

「紅葉ちゃん・・・」

総次は、紅葉の前に立つと、華奢な肩に手を置いて、微笑みかけた。

「紅葉ちゃん、俺はお父さんの代わりにはなれないけど、何か悲しいことや困ったことがあったら、力になってあげるよ」

「お兄ちゃん・・・ありがとう」

紅葉は総次の背中に細い両腕をまわして抱きついた。

───兄として、この娘を守ってあげたい。

総次は紅葉な頭を撫でながら、強くそう思った。

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