異世界でも闇バイトやってます

僕は人間の屑です

海賊王の手袋

俺はドアにつけられた小さな格子の隙間から廊下を眺めていた。白く淡い光を放つ蛍光灯をただじっと見つめる。今は朝の6時ごろ。死刑が行われる日は毎回この時間に廊下の電気がつく。革靴が冷たい廊下を踏む音が遠くの方から聞こえて来た。先週は向かいの牢屋にいたジジイが連れていかれた。そいつは服役して20年目の奴だった。対して話したこともなかったのであれだが、まぁなんともいえん。ここに服役して早3年。遠くの方から喚き声やら泣き声やら怒号、命乞いが聞こえることは度々あったが、あと数十分で死が確定してしまった人間の顔を見たのは初めてだった。俺は海賊王を名乗る男のしたで強盗をしながら生計を立てていた。あの当時、数か月の間に起きた強盗事件はだいたい俺が犯人だ。海賊王の話しでは名前も知らない俺の同僚たちは他の強盗ですでに捕まってしまったらしい。まだ足のついていなかったのは俺を含めた数名で、俺は実質的に海賊王の右腕のような扱いを受けていた。だがそれがダメだった。毎月配送されてくる100万が入った封筒を受け取るたびに俺の気は大きくなっていった。今思えばそれともなって仕事の下準備も雑になっていった。俺が最後に入った家はその地域では割かし有名な資産家の邸宅であった。住んでいるのは80代の老婆一人で、地主であった夫が死んだことでその財産を相続したようであった。その老婆は毎週の金曜日に決まって片道1時間先のエステに通い詰めていた。その日も案の定、車がなかった俺はリビングの窓ガラスをハンマーで割って家に入り込んだ。だがリビングには老婆の姿があった。後から知った事だが、俺が強盗をする前日に老婆は自動車事故を起こしていたようであった。そのため家に車がなかったようだ。だがそんなことは知らない当時の俺は初めて自身の計画が失敗したことによりパニックになっていた。老婆は目を見開きその場で身を固めたままであった。もし今叫ばれたら俺は終わる。そう思ったら一瞬だった。最初は少しの間気絶してもらおうと思っただけだ。でも気が付けば血が滴るハンマーの先には床に倒れた老婆の姿があった。充血した両目をカッと開けながら床に伏した老婆はすでにこと切れていた。俺は初めて人を殺した衝撃に半ば呆然としながらも、何の成果もなくこの場から逃げる訳にも行かず、老婆の寝室から宝飾品や現金、ブランド物をあらかた奪うとすぐにその場を後にした。そして俺は邸宅の敷地内にあった防犯カメラや、現場で見つかった犯人のものとみられるDNAの結果から逮捕、有罪判決を受けた。罪状は複数の強盗および強盗殺人。裁判長からは死刑が言い渡された。


気づけばすぐ近くまで近づいていた革靴の足音がぴたりと止まった。なんだと顔を上げれば三人の見慣れた刑務官が格子の隙間から俺を見つめている。一番前にいた男は俺を見つめながらドアの鍵を開けた。


「野口、出動だ」


開かれたドアの向こうでは見慣れた男がゆっくりとした口調でそう呟いた。俺は何も言えずただ体を硬直させながら男の顔を見上げることしかできなかった。少し遅れて呼吸が浅くなり、そしてまた深くなっていく。俺は床を手でつき、男を見つめながら立ち上がろうとした。だが肩が前後に揺れたと思えば、俺は腰が崩れる様にまた床に座っていた。靴下が畳に擦れてキュッと音が鳴る。そしてそれが合図になったかのように、ドアを開けた男の後ろにいた若い刑務官たちが部屋の中に入ってきた。先頭に入ってきたガタイの良い男は俺を見るなり少しだけ戸惑うようなそぶりを見せた。だが座りながら後ろに仰け反る俺に男はすぐに手を伸ばす。


「さあ早く…立てっ」


腕を掴まれた俺は後ろに引っ張りながら抵抗した。何の意味のない事だと分かっている。でも俺は必死に抵抗した。あの時ばかにした、処刑所へと連れていかれる手前のじじいと同じように。


「高橋!」


だがその必死の抵抗もむなしく、見慣れた男の呼びかけに応じてもう一人の刑務官にも腕をつかまれた。そしてその一瞬だけ腰が浮いた隙をつくように、見慣れた刑務官は俺の両脇に手を滑り込ませていく。そして二人の刑務官にズボンをベルトを通す輪っかを持たれた俺は、足を床に擦りながら廊下に引きずり出された。


後ろで自分が先程までいた部屋の扉が閉まる音が聞こえた。


「っ……ぐ…」


必死に身をよじらせ抵抗しながらも、俺の両脇を肩で担ぐ刑務官は手前を見つめながら淡々と廊下を進んでいく。通り過ぎていく幾つもの扉につけられた小さな格子の隙間からは強い視線を幾つも感じた。だが俺はそんなことよりこれから自分が殺されるという怖さでとにかく意味もなく体をよじることしかできない。


嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!嫌だ!!

むりっ…死にたくない!!


なんでなんて言えない。俺はとっさに左を向いて、肩を担ぐ刑務官の顏を覗いてしまった。若い男は何を思いその表情を浮かべていたのか分からなかった。ただ男は一歩一歩廊下を踏み進んでいく自分の革靴を黙って見つめていた。



廊下を何回か曲がった末に俺を担ぐ刑務官はある扉の前で止まった。ここがきっと処刑所なのだろう。俺の前を進んでいた刑務官の一人が扉を開けて中に入っていく。その後を追うように俺も刑務官に連れられて部屋の中へ入っていた。


部屋の中には小さな机と椅子が並べられていた。反対にはキリスト教の神父が座っている。部屋には中央の椅子に座る神父を挟むようにして、刑務官たちが均等に立ち並んでいた。そして神父の手前にある部屋の壁はカーテンで隠されていた。俺は二人の刑務官に押されるように椅子に座らされる。すると部屋の隅に居た刑務官の中から一人中年の男が俺の前に出てきた。男は背筋を伸ばし小さく息を吸う。俺も黙って男の方を見つめた。


「311番、野口秀樹くんだね…大変残念ですが、執行の日が来ました。今から…刑の執行をします…お願いします」


男はそう言い終えると同時に男から見て右に座る神父に軽く頭を下げる。そして後ろに下がった男をいちべつした神父はゆっくりと顔を上げて俺の方を見つめる。神父は唾を飲み込むように喉を少し鳴らすと、ゆっくりと立ち上がった。


神父が上から見下ろすなか、俺はただ机を見つめていた。


「…はい……ご起立ください」


神父は落ち着いた様子で、立つようにと俺の前に手を伸ばした。それと同時に刑務官たちが足を閉じる音が聞こえた。俺はなにも考えられずただ神父に言われた通り直ぐに立ち上がった。立ち上がった俺に神父の視線が突き刺さった気がした。だが俺は神父を見る事が出来ず、肩を曲げてうつむいたまま机を見ることしかできなかった。


死ぬのか……し……あぁ……。


ここに来て俺は遂に自分の運命をやっと悟る事が出来た。神父は机に置かれた聖書を手に持つとページをめくっていく。そして神父はまたゆっくりと顔を上げて俺を見つめた。


「ではっ……創世記13章を読みます。主は……ロトと別れ行ったあとに、アブラムに言った。さぁ、目を上げて…貴方の場所から東西南北を見渡しなさい…見える限り…全ての土地を…私は、永久に、貴方と…貴方の子孫に…与える。貴方の子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数え切れない様に、あなたの子孫も数えきれないであろう。さあ、この土地を縦横に歩き回るが良い。私は、それをあなたに…与えるから」


神父が最後にそう言い終えた時には俺の体は小刻みに震えていた。息を吸おうにも力が入らず吸ったと同時に息が肺から漏れてしまう。静かな部屋には俺の浅い呼吸音と足が地面に擦れる音だけが妙に響いている。


「野口…秀樹さん」


神父の呼びかけに顔を上げたとたん、こぼれた涙が頬を伝って首まで流れ落ちた。


「貴方は、この世で…許されない罪を犯し…長い間罰を受けてきました。しかしっ…貴方がしっかりと悔い改め、清らかな心で神の元に行けるのなら…貴方はそこで、土地を得て、子孫を得て、永遠に…幸せな生活を…送る事が出来るでしょう……私は、あなたを罪人だとは思っていません。ただ一人の…信者として、旅立つことを祝福します。アーメン」


その言葉を最後に頭を下げた神父は、聖書を片手に刑務官にも礼をすると早々に部屋を後にしてしまった。残された俺は乱れた呼吸のままただ肩を震わせることしかできない。そしてそんな俺の方を後ろに居た刑務官たちは掴み、なんとか持ちこたえていた膝の力は刑務官の腕の力にあっさりと抑え込まれた。力が抜けたようにドサっと椅子に倒れ込んだ俺の肩を後ろに居た刑務官は強く握りしめる。そしてすぐに視界は一瞬に真っ暗闇に包まれた。目元を覆う布の感触、頭を後ろに引っ張られるほど何かを強く締める音。


「ぁ…ぃや……はあっ…はぁ…はぁ…はぁ…」


後ろへを持ってかれた両手には手錠がかけられていく。ドアの開く音。自分の横を通り過ぎていく微かな風。革靴の音。そして後ろにかけられたカーテンの開く音と共に俺は両脇を刑務官に持ち上げられた。


そして後ろに引っ張られた俺の脚を今度は縄できつく縛っていく。そしてすぐさま首元に固い縄が当たる感触があった。


肩が上がって息が途切れて苦しい。



死ぬ…。

もう死ぬ……死にたくない…死…死にたくない……しに…いや…やだっ…死にたく…ないっ死にたくない死にたくない!死にたくない!!やだ!!死にたくない!!死にたくない!!!死にたくない!!!!




「ふっ…は……ふ…ふ…ぁ……はっ…は……」



肺の中にたまっていた最後の息が潰えた。一瞬だけ静寂に包まれる。

そして次の瞬間――ガタっと音が聞こえ足元の感覚が消えたと同時に、俺は意識を手放した。

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