第5話 欲望

大切なひとに、食欲を向けてしまった。


 リヴェリアは揺れる馬車の中で激しい後悔に苛まれていた。

『俺の魔王』『吸って欲しい』『俺はお前に吸われたい』

思い出しただけで顔から火が出るのではないかと思う位恥ずかしい言葉たち。

 けれどアルヴァーンの事だ、エルナードやメイメルたちにリヴェリアの体の事を聞き、心配して気を使って言ってくれたに違いない。

 そんなアルヴァーンの首に牙を突き立て、本能のまま、あろうことか理性をなくし彼が意識を失うまで吸ってしまった。

 アルヴァーンは、美味しかった。

「消えたい……」

 喜び、恥ずかしがり、落ち込む

 これを既に12セット程キめ、リヴェリアは更に鬱になる。

 血を吸わなければいずれ獣になる。過去に同族の一部は吸血を拒んだ結果理性を失った。

知識としては知っているし、なんなら見たこともあるが、リヴェリアはその兆候もない。

むしろ、この抗いがたい本能に屈する自分も獣とどこが違うのか。

 アルヴァーンへの欲を自覚してから、リヴェリアはますます吸血に嫌悪を抱いていた。筈、なのに……


 起きてまず、自分を抱き締めるアルヴァーンにリヴェリアが抱いた感情は、食欲だった。寝息を立てる彼の喉に噛みつきたかった。欲望を恐れ、リヴェリアは逃げるように城を出た。


「へ、陛下……どうされたんですか?」

 リヴェリアの百面相に堪えきれなくなったのか髪が白い羽根になっている有翼種の少女、ウィピルが声をかける。

「なんでもないの……本当に……ごめんなさい……」

私は貝になりたいと溢すリヴェリアに、配下は更に狼狽する。

「ウィピル、大丈夫だから放っておきなさい」

アリアの静かな声に少女は口を噤む。

隣に座るブルネットの長髪で顔を隠した魔族、カデンツァが白い少女の頭を撫でた。ウィピルは今回が初めての討伐参加なので緊張もあるかもしれない。

「せ、折角ですし、あたし陛下とアリア様の昔のお話が聞きたいです。確か、アリア様は小さい頃からあちらの、灰のお城に通われていたんですよね!」

「アリアは正確には城に住んでいたのよ。今は外に家があるけれど」

「わたくしのところは、家庭があまりうまく行ってなかったのです」

「あ、う、すみません……」

「いいえ、構いません。家族と折り合いの悪かったわたくしを、陛下は城に招き勉強や魔法を教えてくださったのです」

「へ、陛下手ずからご教育を……だからアリア様は国有数の魔法使いでもあるのですね」

「関係ないわ」

リヴェリアははっきり否定した。

「学問は最終的に自身がどれだけ理解するために邁進したかが結果になるのだもの、称賛はアリア自身が受け取るべきものよ。私は最初の基礎環境を整えただけ」


+++


 この方は変わらない。

 リヴェリアを見ながらアリアは思い出す。かつての、春の庭を。

「アリア、陛下にご挨拶を」

アリアが12歳になった年に、陛下の側仕えの募集があった。

「……」

 父は厳格な魔人だった。今思えば、星観台の研究所長と、それなりに続いている魔人の家系の家長という立場は父をがんじがらめにしていたのだろう。

星観台とは天体研究と魔術研究を行うこの国の頭脳だった。

規律に煩く、決して笑わない父と、義務的に結婚した母。

アリアの知る家庭には最初から愛情など無かった。

アリアが物心付く前に前に母は出て行ったそうだ。アリアを置いて。

母の責務は子供を産むことだけ、家を絶えさせない事だけだった。

父はアリアに家庭教師をつけたが立場の低い教師はアリアが嫌と言うとそれ以上食い下がることもしなかった。

父がそれを咎めることもなかった。

わがままも怠惰も咎められることはない。どんな手を使おうと結果を残せ、それが結果主義の父の口癖で、アリアが出来ないと言うと父は手を上げた。

側仕えにだっておそらくなれるなどと端から思っていなかっただろう。ただある程度の家の子女は皆選考を受けていたからアリアも受けさせられた。

 陛下の前で押し黙るアリアを、父は平手で打った。

いつもの躾。いつもの折檻。

「ごめんなさい」

「最低限の義務すら果たせないのか」

この出来損ない。父の目はそう訴えていた。

「やめなさい」

その時、陛下は父を止めた。使用人も、家庭教師も、親戚も、一度も父を止めてくれた事などなかった。

「完成されて産まれる子供はいないわ、もう一度言います、やめなさい」

「は、お見苦しいところを晒し申し訳ございません。今回は辞退を……」

アリアは頬を抑え自分より少しだけ小さな陛下を見る。

「……そうね。この娘にしましょう。城で預かりたいのだけど、構わないわね」

「は、はぁ……しかし……連れてきてはみましたがこのように礼節も欠き、この歳でまだ読み書きすら満足に出来ません……」

「私が教えるから大丈夫よ。不安なら雇っている侍従を暫く寄こして頂戴」


 あの頃、まだ廃都はこうなっておらず、陛下のお父様も健在だった。

城の中は白を基調としており、夜でもどこも明るかった。

アリアは一人で城に残された。

「今回は私の侍女を探していたのだけど、あなたは先に教育が必要ね」

「……わたくしを憐れんだのですか?」

「……?どうして?」

「わたくしが殴られたから、陛下はわたくしを引き取られたのでしょう」

「それが、あなたの伝えたいこと?」

「?」

「何か言いたそうにこちらを見ていたから。私はあなたとお話してみたくて決めたのよ」

「わたくしは……別に……」

 陛下は不思議な少女だった。

側仕えはついでとでも言いたげに、彼女はアリアを図書館に連れていき、文字の読み書きの基礎を説明し、書き取りの本と道具をアリアに渡した。

毎日少しずつ文字を覚え、読み書きの次は基礎学問を教わっていった。

アリアが陛下の公務の合間、勉強を教わる部屋は春の庭と名付けられていた。

天井には青空、壁には様々な土地の春に咲く花が描かれ、魔法で小鳥のさえずりが聞こえた。陛下のお父様が作られた美しい部屋。

「帰りたければもう勉強はしなくてもいいわ、勉強も大切だけど、一人で考える時間がなによりあなたには必要だと思うわ。でもね。勉強すれば、それだけあなたには選択肢が増えるのよ」

「せんたくし?」

「あなたの産まれは変えられないけれど、あなたがなりたいものになれる可能性は増えるのよ」

 最低限文字の読み書きが出来れば後は下働きで侍女の仕事は務まっただろう。

 家に戻ればまたやる気のない家庭教師と実りのない日々を送り、婿を取って子を産み、やるせないが苦難もない余生を暮らしただろう。

 しかしリヴェリアはアリアに興味があるだけ、流石に座学のみではあったけれど色々な事を学ばせてくれた。

リヴェリアは身の回りの事は自分でできてしまっていたのもあり、アリアは式典用の豪奢なドレスの着付け以外、魔法や父と同じく研究をして過ごすようになっていった。リヴェリアはいつもそれを嬉しそうに見ていてくれた。


そしてアリアが15歳を越えた頃、悪魔オーセの侵攻があり陛下のお父様も、アリアの父も、皆死んだ。


+++


 廃都までは片道3日の旅程になる。

時々馬と御者を休ませながら放った使い魔や偵察に出した魔族からの報を聞き計画を立てる。

半日過ぎたあたりでウォーロックも鎧が治ったから参加できると伝えてきた。

先行させている部下も含め顔ぶれとしては最良に近い。

全てはいい方に向かっている。


その筈なのに、アリアは何故かずっと胸がざわついていた。

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