022:冷涼の冷やし担々麺に秘められた力と、勇者からの助言

 魔王マカロンと勇者ユークリフォンスは、ニヤニヤと笑みだけを溢したまま作業を始めていた。

 ガタガタ、カラカラと、散らばった調理器具や丼鉢どんぶりばちを片付けているであろう音が、盗賊団の二人の鼓膜を振動させる。

 『片付けているであろう音』と表記したのは、盗賊団の二人はこうべを垂れたまま顔を上げて魔王マカロンと勇者ユークリフォンスの行動を確認していないからだ。

 聴覚から得られる情報だけで、彼らが何をしているのかを感じ取っているのである。

 盗賊団の二人は諦めている。忍び込んだ自分たちに料理など作ってくれるはずがないと。

 しかし濃厚で芳醇な胡麻の匂いがただよい始めた。聴覚だけでなく嗅覚からも情報を得られるようになったのだ。

 けれど盗賊団の二人は期待しない。料理屋の仕込みをしているだけだと思考する。


 何かが温められる匂い――

 何かが炒められる匂い――

 何かを切る音――

 何かを混ぜる音――

 何かを入れる音――


 どれもこれも料理屋の仕込みをしているだけなのだと、盗賊団の二人はその考えを変えなかった。


 そんな時間が数分間続いた。

 その間、一度も頭を上げなかった盗賊団の二人にようやく声がかかる。


「ほら出来たぞ。〝冷涼の冷やし担々麺〟だ」


 ニヤニヤとした笑みが含まれている勇者ユークリフォンスの声だ。


「冷蔵庫の中にあったものよりも何倍も美味しいぞ。だってこれは試作品とは違ったの〝冷涼の冷やし担々麺〟じゃからな」


 魔王マカロンもニヤニヤとした笑みが含まれた声で口を開いた。


 こうべを垂れていた盗賊団の二人は、その言葉を聞いてゆっくりと頭を上げていく。

 すると今まで情報を一つも得ることができなかった視覚から、信じられない情報が脳へと伝わった。


「こ、これは……」


 盗賊団の二人の瞳には冷蔵庫内にあった〝冷涼の冷やし担々麺〟とは、比べ物にならないほどに完成された〝冷涼の冷やし担々麺〟が映っていた。

 縮れ麺にかけられた艶々に煌く胡麻ダレ、その周りには色鮮やかな具材が飾られている。

 白い湯気を立たせている旨辛の豚挽肉、シャキシャキで水々しく色の濃い青梗菜チンゲンサイ、シャキシャキで針のように真っ直ぐに尖った白髪ネギ、くるくると渦巻きながら彩りを加えている真っ赤な糸唐辛子、新鮮で水々しい水菜、新鮮で真っ赤で水々しいトマト、黄身がとろとろで白身がしっかりとしているゆで卵、それらが飾られているのだ。

 冷蔵庫にあった試作品の〝冷涼の冷やし担々麺〟とは、比じゃないレベルの洗練された〝冷涼の冷やし担々麺〟。もはや芸術作品のそれである。


「いいのか? 俺たち盗賊団なんかに……こんなにも美味しそうな料理を……〝冷涼の冷やし担々麺〟というものを……」


 目の前に出されたのはいいが、本当に食べていいのか、自分たちに食べる資格があるのか、拘束されていて食べれない以前にそのことが気になっていた。


「何言ってるんだ? 盗賊団だろうと誰だろうと、担々麺を食べたいって言ってるやつに、担々麺を作ってあげないわけないだろ」


 来るもの拒まず去るもの追わず。それが『魔勇家』のモットーでもある。


「同感なのじゃ。それにあの量を二人で食べたとなると、妾たちの〝冷涼の冷やし担々麺〟を相当気に入ってくれたってことにもなるからのぉ。魔法も解除なのじゃ」


 魔王マカロンの言葉に合わせて、闇属性魔法によって出現した闇の鎖が解除される。

 これで盗賊団の二人を拘束するものは何もない。

 あるとしても目の前に料理屋の店主が二人。彼らがいる時点で完全に拘束が解かれたわけではない。

 けれどその二人を掻い潜りさえすれば、ここから脱出が可能だということでもある。

 闇の鎖で拘束されていた時よりは、脱出の難易度が極端に低下しているのがわかる。

 しかしその二人の店主の正体が魔王と勇者じゃなければの話だ。


 脱出のチャンスだというのに盗賊団の二人は脱出する様子を一切見せなかった。

 目の前に置かれた〝冷涼の冷やし担々麺〟に釘付けだからだ。脱出することよりも食べることを考えているのである。


「か、かしら……お、俺我慢できないッスよ。た、食べるッスよ。俺、食べるッスよ」

「ま、待て。まだ店主の兄ちゃんと姉ちゃんから許可が下りてない。我慢だ。まだ我慢するんだ」


 必死に食べるのを堪えるその姿は、まるで飼い主に『待て』と言われ、ひたすらに『よし』の二文字を待つ飼い犬のようだった。


「許可とかそんなのないからさ。早く食べろよ」

「そうじゃそうじゃ。早よ食べるのじゃ」


 勇者ユークリフォンスと魔王マカロンの言葉を合図に盗賊団の二人は、目の前に置かれた〝冷涼の冷やし担々麺〟を食べ始めた。



 ――ズルズルッ、ばぐばぐッ、ズルッ、もぐばぐッ!!



 箸も置かれていたため、その箸を使っているが、食事と呼ぶには相応しくないようなほど、荒々しく、そして乱暴に食べている。

 それだけ〝冷涼の冷やし担々麺〟を求めていたと言うことだ。



 ――ズルッ、もぐばぐッ、ズルズルッ、ばぐもぐッ!!



「美味い! すごい美味い! めちゃくちゃ美味しい――!!!」

「美味しいッス! すごい美味しいッス! めちゃくちゃ美味しいッス――!!!」


 美味しいの三段活用とでも言うのだろうか。やはり美味しさを前にすると語彙力を失ってしまうようだ。

 それでも涙を流して食べている姿は、発する言葉の通り、本当に美味しいと感じているのがわかる。

 その食べっぷりに魔王マカロンと勇者ユークリフォンスも思わず目が離せずにいた。


 白色の平らな丼鉢に載っている〝冷涼の冷やし担々麺〟は、ものの一分で完食される。

 さすがに〝冷涼の冷やし担々麺〟用に開発された胡麻ダレを一滴残らず飲み干すことはない。

 冷やし系の麺類に使われるタレというものは、直で飲むと喉が辛く感じるほど濃いのである。

 氷などが最初から入っているものに関しては徐々に薄くなるため、最後まで飲み干すことは可能だ。

 しかし魔王マカロンと勇者ユークリフォンスが作った〝冷涼の冷やし担々麺〟には氷が入っていない。

 急遽作ったが故に氷の準備ができなかったのである。

 もちろん普通の氷はある。氷属性魔法で氷を作ることも可能だ。

 しかし担々麺にこだわる二人は氷にも妥協などしない。

 厳選された水から作った氷ではない限り、他の氷を入れることはしないのだ。


「氷が入っておったら、その胡麻ダレの最後の一滴まで飲み干せるぞ。あの透明で綺麗な氷は格別じゃからなぁ。妾も冷やし担々麺が食べたくなってきたのじゃ」

「俺も冷やし担々麺が食べたくなってきたわ。あとで綺麗な水を汲んでくるよ。凍らせるのに時間がかかりそうだけど」

「何を言っておるのじゃ。妾の氷属性魔法で瞬きの刹那に凍らせてあげるのじゃよ」

「おお! さすがまーちゃんだ!」


 魔王マカロンと勇者ユークリフォンスは、盗賊団の二人があまりにも美味しそうに食べてくれたせいで腹を空かしてしまったのだ。

 彼らの脳は、すでに〝冷涼の冷やし担々麺〟を食べることでいっぱいである。

 今日の口はもう、〝冷涼の冷やし担々麺〟以外受け付けないだろう。


「それじゃ俺たちの朝食も決まったことだし、そろそろこの件も解決したいよな」

「そうじゃのぉ」


 魔王マカロンと勇者ユークリフォンスの意識が、幸せそうな表情を浮かべる盗賊団の二人に向けられる。

 その視線を感じた盗賊団の二人は、すぐに表情を変えた。

 幸せそうな表情から真剣で、そして反省と覚悟が入り混じったかのような表情だ。

 盗賊団たちの表情が変わったことにより、話を聞く体勢ができたのだと悟った勇者ユークリフォンスは、咳払いを一度してから口を開く。


「お前たちに無料で食わせんのは、これで最後だからな? ちゃんと金払えよ。もちろん盗んだ金じゃなくてちゃんと働いて正当に得た金でな」

「俺たちに次なんてないだろ。これから俺たちは国王軍の連中に連行されて……いや、違うか。国の中央に放り投げられるんだったっけか? だったらこれが最後のちゃんとした食事だ」

「あー、その件なんだけど、やっぱり無し! お前たちの食べっぷりを見てたら、そういう気がなくなったわ。担々麺好きには悪い奴はいないからな。だからもう行け。これに懲りたら二度と悪さなんてすんなよ」

「は?」「へ?」


 盗賊団の二人から情けない声が漏れた。


「だから悪させずに真っ当に生きろって言ってんだよ」

「で、でも……俺たちは盗賊として生きてきた。他に仕事なんてない。真っ当に生きるなんて今更不可能だ。金や飯に困ったらまた盗みを働くかもしれない。いや、絶対にやる……そんな俺たちを本当に逃していいのか? 俺はもう満足してるんだ。こんなに美味しい冷やし担々麺ってやつを食べれてな。だからお前たちの優しさはこれ以上受け取れない。俺たちは罪を償うよ」


 盗賊頭であるブリガンには盗賊頭なりのプライドがある。

 一度手を汚してしまった者は簡単に社会復帰などできないのだ。

 どこかでまた同じ道に戻るに違いない、と容易に想像できてしまうのだ。


「ん〜、それじゃ、勇者のファン……いや、勇者のファンである俺が、勇者ならこの状況でこんなこと言うだろうなって言葉をお前たち授けるよ」


 勇者のファンというスタンスを守り己の正体を隠しながら、勇者本人は真剣な表情で口を開く。


「誰かのために行動しろ。人助けをしろ。盗むことしかできない、盗賊としてしか生きていけないんなら、その盗みで、盗賊として誰かを助けてやればいい」

「ど、どうやって!? 盗みで誰かを助けるだなんて不可能だ!」

「不可能なんかじゃない。例えばだな、盗難品を盗み返して持ち主に返したりとかってのがある。勇者も魔王軍との戦いでよくやってたぞ。まあ、勇者の場合は聖剣を使った実力行使だったけどな。まーちゃんがいるのにここまで潜入せんにゅうできたお前たちの技術なら実力行使なんてしなくても勇者と同じようなことができるんじゃないか? 言うならばだな。盗難品を盗み返して持ち主に返す。正義の盗賊団になれよ」

「正義の盗賊団……正義の盗賊団か……」

「正義の盗賊団ッスか……正義の、正義の盗賊団……」


 その言葉を反復してむず痒い気持ちを噛み砕こうとする盗賊団の二人。


「そう。正義の盗賊団。イーリスの東の大陸にも兎人族とじんぞくが率いる正義の盗賊団ってのがいるって話を友人から聞いたことがあるからさ。だから正義の盗賊団って職業も全然ありだと思うぜ。まあ、みんなから認められるには時間がかかるかもしれないけどな。それにもしかしたら認められないかもしれない。でも罪を償えるチャンスだと思ってやればいい。誰かのために行動するのって想像以上に気持ちがいいものだよ」

「な、何だか本物の勇者のような発言だな」

「あ、え、あ? そ、そうかな? 勇者の大ファンだからさ。憑依させた的な。はははっ」


 愛想笑いで誤魔化す勇者本人。

 そんな勇者ユークリフォンスに対して盗賊頭のブリガンは「それだけ気持ちが伝わったって意味だよ」と言った。


「正義の盗賊団……盗難品を盗み返して持ち主に返す、か………………わかった。やってみよう」


 不安の色が目立つが、それでもブリガンはやると言った。

 その言葉にバンディーもうなずき、進む方向が同じだと示した。


「よしっ、それじゃ解決じゃな。おぬしらの処罰は一生悪いことをしない、困ってる人を助ける、という形で手を打とう。ほれ、気が変わらん内にさっさと行くんじゃ。妾たちだって朝食を食べたいし、店の準備もしなきゃで忙しいのじゃよ」

「わ、わかった。兄ちゃん、姉ちゃん、いや、兄さん! 姉さん!」

「兄さん!?」「姉さんじゃと!?」


 兄さん、姉さんと呼ばれたことに驚いた勇者ユークリフォンスと魔王マカロンの声が重なった。


「何から何まで、こんな俺たちに親切にしてくれてありがとうございます」

「ありがとうございますッス」

「この恩一生忘れない。必ずちゃんと稼いだ金で、また冷やし担々麺を食べに来る。今度は氷が入ったやつを!」

「俺たち頑張るッスよ! 正義の盗賊団として、人助け頑張るッス!」


 決意表明するブリガンとバンディー。

 担々麺には悪人を改心させるすごい力が秘められているのかもしれない。

 こうして担々麺専門店『魔勇家まゆうや』は、盗賊団のブリガンとバンディーを常連客として迎え入れたのだった。

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