第62話 バイト初日

 翌朝、千颯ちはやたちは古い町家が立ち並ぶ通りにある和菓子屋にやってきた。


 表には『甘夏屋あまなつや』と書かれた年季の入った看板が掲げられている。瓦屋根と紋の入った暖簾からは歴史を感じられた。


 開店前ということもあり、店内はしんとしている。緊張した面持ちのまま、みやびに続いて暖簾をくぐった。


「おはようございます」


 雅がよく通る声で挨拶をすると、店の奥から板前のような白衣と帽子を身につけた青年が現われた。


「おー、雅! おはようさん」


 男は雅ににっこり笑いかける。そのまま千颯たちにも、人の良さそうな笑顔を向けた。


「みなさんも手伝いに来ていただいてありがとうございます。今日からよろしゅうお願いします」


 深々と頭を下げられて恐縮してしまう。千颯も慌ててお辞儀をした。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 それから調理場に案内される。甘い香りに包まれた調理場には、白衣を着た数名の職人が黙々と作業をしていた。


 その中でも調理場を仕切っていた男性を一番に紹介する。


「こちらは甘夏屋の6代目店主、西宮にしみや宗一郎そういちろう。うちの伯父さんや。3年前におじいちゃんが引退してからは、伯父さんが跡を継いでいる」

「どうも。西宮です」


 西宮は昔ながらの職人気質なのか、表情を緩めることなく淡々と挨拶をした。それからも雅は順々に職人を紹介したのち、最初に出会った青年を紹介した。


「こちらは西宮にしみや宗司そうじ。伯父さんの息子で、うちの従兄」

「宗司いいます。この店では一番下っ端なんで、なんかあったら気軽に言ってくださいね」


 ピリッとした空気の中でも、宗司だけは笑顔を絶やさなかった。それだけで場の空気が和む。


 すると借りてきた猫のように行儀良くしていたなぎが、口を開いた。


「雅さんの従兄なんですね! お若く見えるのに調理場で働いているなんてすごい!」


 受け取り方によっては失礼に聞こえる凪の言葉にも、宗司は気に留めることなく笑って受け流す。


「若いゆうても、もう25ですから。高校生のみなさんから見たら、おじさんかもしれん」


 25歳と聞いて千颯は驚く。目の前で微笑む宗司は、少年っぽさの残る顔立ちをしていたからだ。


 高校生、というのは言い過ぎかもしれないが、大学生と言っても差し支えない。てっきり同じくらいの年だろうと勘違いしていたことを申し訳なく感じた。


 すると雅が、調理場を見渡しながら首を傾げる。


「そういえば、お兄ちゃんは? 昨日は宗ちゃん家にお邪魔してたんやろ?」

「あー、朔ちゃんな。来とったで。『かくまってくれ』なんて青い顔してうちに飛び込んできたから何事かと思ったわ。いまは叔母さんと搬入してもらってる」

「匿ってって、どういうことなん?」

「さあ?」


 二人が顔を見合わせて首を傾げていると、朔真さくま本人がやって来た。


「搬入終わりました」


 藍色の作務衣に身を包み、涼し気な表情で調理場に入ってきた朔真だったが、千颯の顔を見た瞬間、サッと顔を青くした。そのまま千颯と一定の距離を取りながら、宗司の後ろに隠れる。


「宗ちゃん、あの子らがいる間は調理場手伝わせてくれへん?」

「えー、そんなん俺に言われてもなー」


 朔真の要望に宗司は顔をしかめる。すると桃色の着物に身を包んだ雅母が、凛とした佇まいで調理場に入ってきた。


「調理場をあんたに任せられるわけないやろ」

「で、ですよね……」


 淡々とした口調で雅母に一喝されて、朔真は渋々納得する。

 それから雅母は、千颯たちに視線を向けた。


「みなさん、お支度をお願いします。制服は休憩室に用意してますんで」


 その言葉で千颯たちは休憩室に案内された。


*・*・*


「ここの制服って着物なんですね! すっごい可愛い!」


 着替え終わった凪は、くるくると回りながら制服を見せびらかしていた。その隣で愛未あいみも制服を見つめながら微笑む。


「和菓子屋さんらしくて素敵だね」


 制服姿の愛未を眺めていると、不意に視線が合う。その瞬間、計算され尽くしたかのような完璧な笑顔を向けた。


「どうかな? 変じゃない?」


 その言葉で千颯はあらためて制服に注目する。


 たもとのない桃色の着物に、足首まである赤い前掛け。和の雰囲気を醸し出しながらも、作業のしやすさを考慮された制服だった。


 昨日の浴衣姿はどちらかと言えば綺麗という表現が適切だったが、こちらの制服は古き良き町娘風で可愛らしい。長い黒髪を後ろでひとつ結びにしているのも、清楚な雰囲気で魅力的だった。


「変じゃないよ。むしろすごく可愛い」

「良かったぁ。千颯くんにそう言ってもらえるとすっごく嬉しい」


 喜びを露わにする愛未も可愛らしくて、千颯の頬は自然と緩んだ。


 すると着替え終わった芽依めいは、恥ずかしがっているのか若干そわそわした様子で休憩室から出てきた。


「着替え終わりました……」


 ほんわかした雰囲気の芽依は、桃色の着物がよく似合っている。肩まであるふわふわとした栗色の髪をゆるっと二つ縛りにしているのも、いつもと違った印象になって新鮮だった。


「芽依ちゃんもよく似合ってるね」


 千颯がそう声をかけると、芽依は恥ずかしそうに俯いた。


「お、お兄さんも作務衣がよくお似合いで……」

「俺?」


 芽依に褒められたことであらためて自分の装いを見る。千颯はさきほど朔真が着ていたものと同じ、藍色の作務衣に着替えていた。涼しくて、そこそこ動きやすいから文句はない。


 似合っているかは自分では判断が付かないが、着替え終わった直後に凪から爆笑はされることはなかったから、少なくとも変ではないと信じている。


 それぞれ制服の感想を言い合っていると、最後に着替えをしていた雅も現れた。


「みんなよく似合ってるなぁ」


 雅は着替え終わった面々を見渡すと、うんうんと頷きながら満足そうに微笑んだ。


 千颯は心の中で「そういうあなたが一番似合っていますよ」と指摘していた。口には出さなかったけど。


 他の女性陣はどこかコスプレ感が否めなかったが、雅だけは制服が板についていた。


 いつものまとめ髪と桃色の着物が絶妙にマッチしていて、まるで日常的に着物姿で店先に立っているようだった。看板娘という言葉がしっくりくる。


 みんなが着替え終わたのを確認すると、売り場を取り仕切る雅母がそれぞれの持ち場を伝えた。


「では、千颯くん、愛未さん、芽依さんは私と一緒に売り場に入ってください。そんで雅と朔真と凪さんは和菓子作り体験を仕切る宗司さんのサポートに入ってください」

「体験に来るお客さんは10時からみたいやから、それまではうちらも売り場を手伝うで」

「そう、じゃあ頼むわ」


 雅の言葉で、10時までは全員で売り場に入ることが決まった。

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