17話 見極める目
「…あ、…あなたは、知って…いたんですか…」
「あぁ、あのときからね」
驚きながらもなんとかケイルは紳士に話しかける。紳士の方は事もなさげに答えるとケイルの描いた絵を再び見つめる。その目には真剣な光が宿っていた。
「…うむ、やはり良い絵だな」
「ですからそれは…」
「あぁ、君の描いた絵だろう。…良い絵だと私は思うよ」
「は…?」
オリバーと同じようにこの紳士もまたケイルの絵を認めているという。今までになかった反応にケイルは戸惑う。しかも、彼はあのときの絵が贋作という事にも気付いていたのだから、それなりの目利きであろう。ということは、贋作を作った罪でケイルを連行しに来たのだろうか。
「君、これからも贋作を作っていくつもりか?」
「あ、…いや、俺は絵が描きたいです…これからは本当の自分の絵が描けそうな気がしてるんです」
紳士はケイルを見て、再び絵に視線を移す。そして彼はケイルが描いた絵をそっと持ち上げる。
「私は絵を収集していてね。どうだろう、これに相応しい額縁を私が贈ろう。違う場所で君の絵を多くの人に見て貰うべきだ。他にも君には絵を、芸術を表現して欲しい。その手助けを私にさせてくれないか」
「いいんですか?俺なんかの絵で…」
「もちろん」
そう言って紳士はケイルに手を伸ばす。その手を力強く握り返したケイルの瞳からはボロボロと涙が零れ落ちる。もう生活のために誰かを欺く必要はなくなるのだ。これも絵を他人に見せようと言ってくれたオリバーのおかげだとケイルは後ろを振り向く。
「オリバー!お前も聞いてたろ?…オリバー?」
そこには誰もいなかった。ケイルの絵が数点あるだけだ。きょろきょろとケイルは辺りを見回すが、そこにはオリバーの姿はない。
「オリバー…?」
「君、話はまだあるんだが、いいかな?」
「は、はい!」
オリバーは先にアトリエに帰ったのであろうか、不思議に思いながらもケイルは紳士との話を続けた。彼は絵の収集家であり、画廊も経営する人物であった。彼の支援もあり、ケイルは再び自身の絵を描くようになっていく。
この人物との出会いをきっかけにケイルの絵は日の目を見る事となる。そして、オリバーから貰った鉱石を使った顔料で描いた作品は「青の作品」と呼ばれ、ケイルの作品の中でも評価を上げる。画家として高名になったケイルだが、その傍らで自身の描いた贋作を償いとして買い取るのも終生続ける事となるのだ。
*****
『いいのかよ?何も言わずに旅に出て』
「うん、だっておじさん、優しいから引き留めるでしょ」
『…まぁ、そうだな』
態度や口調こそ乱暴な印象を受けるが、ケイルは面倒見が良い。オリバーの事情を知れば放ってはおかないだろう。そんなケイルだからこそ、オリバーは紳士との会話を聞いてその場を後にした。オリバーの桃色の瞳にはケイルの描いた作品は色が変わり、光って見えた。その価値は見る人が見ればわかるものなのだ。
「きっとおじさんの絵はたくさんの人の心に残るよ、楽しみだね」
寂しさがないと言えば嘘にはなるが、オリバーの心は晴れやかである。見る者が見ればわかるケイルの絵、その価値を見出した者がいる。ならば、オリバーが案ずることは何もない。きっと、彼の生みだす絵は人々の心を癒していくだろう。
オリバーは再び、コナンと共に旅へと歩みを進めるのだった。
*****
その日、ハワード侯爵家の祝いの夜会にゴードンは招かれていた。招かれた彼らは様々な祝いの品を用意している。それは侯爵家に相応しい品や取り入るための打算もあるだろう。皆、それぞれに気を遣った品を贈ったはずだ。
コリンズ家当主ゴードンもまた同じであった。彼は実家に代々伝わる絵画、一度オリバーが切り裂こうとした絵である。それを侯爵家の祝いに贈ろうというのだ。それは彼としては思い切った行為であった。
他の貴族が追従と共に、贈り物を差し出す光景を、ゴードンは内心鼻で笑っていた。どんな贈り物もこの家宝である絵には勝てるものではないだろう。そう思うゴードンが次の挨拶の順が回ってくる。
「ハワード侯爵、今夜はお招き頂き、ありがとうございます」
「ゴードン伯爵、久しいね。息子さんは元気かい?」
「えぇ!学問に剣にと鍛錬しております」
「それは頼もしいね。立派なご子息がいらしてコリンズ家は安泰だな」
にこやかに対応するハワード侯爵はその柔和で温厚なことで有名だ。高位貴族らしい品のある態度と振る舞い、政治的な強さもあり、また芸術面にも教養がある。そんな侯爵だからこそ、ゴードンも代々続く絵画を贈ろうと考えたのだ。
「侯爵、私からは代々続く絵画をお贈りします」
「おぉ、そうかい!……これは?」
笑顔を浮かべていた侯爵の笑み、その種類が変わる。そのことに気付いた者達に緊張が走る。柔らかな笑みから張り付いたような笑みに変わる。それは微かな、だがはっきりとした侯爵の意思表示だ。
だが、それに気付かないゴードンは絵の価値を殊更に連ね、それを誇る。
「こちらは代々、我が家に伝わる絵画でして…」
「ほう…コリンズ家かい?」
「いえ!わたくしの生家でございます」
「うん、そうだろうね」
代々続くコリンズ伯爵家であれば、このような粗悪な贋作は置かれているわけがない。ゴードンの言葉に頷いたのは、侯爵だけではない。貴族の中にはコリンズ家の絵画ではないという事に同意を示す者が多数いた。それを見たゴードンは優れた作品への賛同ととらえたのか、得意げな様子である。
「だが、私の家にも多数の絵画があってね、あいにくこれを置く場所があるかどうか…」
「いえ、これはぜひ飾るべきです!侯爵に相応しい作品と言えましょう!」
遠回しにその絵を不要だと侯爵が匂わすが、ゴードンには通じない。侯爵の言葉に、不躾にも意見する。その言葉に眼識のある貴族の中からは悲鳴に似た声が上がる。この粗悪な贋作を侯爵家に飾るべきと言い、あまつさえ侯爵に相応しいとまで言ってのけたのだ。その非礼にも気付かないコリンズ伯爵家当主ゴードンはその愚かさを他の貴族の前で露わにしたのだ。
そんなゴードンに張り付けたような笑みを浮かべた侯爵は最後まで紳士的に接する。
「…君の言いたいことは理解したよ。今日はよく足を運んだね」
「ありがとうございます!」
最後まで嚙み合わないまま、2人の会話は終わった。ゴードンは満足そうに笑顔を浮かべているが、周囲の貴族達は青ざめている。
ゴードンが贈った代々受け継がれたという絵画を侯爵家で調べたところ、その質の悪さだけではなく作者の悪意が隠されていたことがわかる。その絵には身体に害を及ぼす絵具が使用されていたのだ。長期的に室内に置いておけば、確実に病となったであろう。
オリバーの桃色の瞳にもその絵は黒いもやに包まれて見えた。そのため、倉庫にあるうちに絵を壊してしまおうと考えたのだ。だが家令や執事に見つかり絵は侯爵家に運ばれ、当主であるゴードンが多くの貴族の前で贋作を差し出す事となる。
ゴードンの様子から推察するに、本人はその意思はないが何者かに指示されたのではないかとの疑惑を持たれ、コリンズ伯爵家は更に孤立していくこととなる。
*****
「…コリンズ伯爵家ですが」
「現当主の話はいいぞ。あれは次代への繋ぎ、そもそもコリンズ家の血を引く者ではない」
サンダーズの言葉に、男は聞く価値もないと告げる。彼の言うコリンズ家とは、桃色の瞳を持つ一族、その瞳で物の良しあしを見極める者達だ。建国の際に尽力した一族であり、レガルフの初代国王が彼らに伯爵家という爵位を与えた。言い換えれば、それを与えることにより彼らをこの地へ留めたのだ。
「日々の些事では彼らの力を使う事はないが、時代の変化に際し、物事を見極める必要となったとき、彼らが呼ばれる」
玉座に座る男が話すのをサンダーズは黙って見つめた。それは彼の独白のようでもあり、独特の熱がある。そこに口を挟むのは無粋な気がしたのだ。
サンダーズは未だ、正当なコリンズ家の者に会ったことはない。確かに先代は大らかで個性的な人柄で、権力争いには距離を置いたが多くの者に慕われたと聞く。その彼の突然の死で、当代の当主ゴードンが継ぐこととなったはずだ。
「あるときは突如、体調を崩した正妃に贈られた品に毒が含まれていた事を見抜き、その者が王家に反乱を起こそうとするのを防いだ。あるときは、同盟国から訪れていた商人達が毒薬を売ったという疑惑を完全に晴らした。毒薬を扱っていたのはその国と敵対する国であり、危うく同盟関係にヒビが入るところだった……コリンズ家は特殊な存在なのだ」
そういったコリンズ家の数々の功績を知るものも少なくなったのだろう。現にサンダーズもコリンズ家を古くから続く家としてしか、認識していなかったのだから。他国との関係も良好であり、長く続く王の治世の安定も変わらぬ中で、その名は目立たなくなっていったのだろう。
だが彼の前の男は、コリンズ家に特別な思いがあるように見える。それは玉座に座る者の立場ゆえ、他者を容易くは受け入れられない事にも原因があるのだろうかと支える立場にあるサンダーズは思う。傍に仕えるサンダーズではなく、まだ見ぬコリンズ家の正式な後継者の意見を受け入れる、そんな危うささえ感じるのだ。
「楽しみだよ、コリンズ家の正当な後継者に会う日が」
その言葉にサンダーズは無言で礼を返すのであった。
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