13話 オリバーの頼み
爽やかな朝の光が差し込む豪華なサロンで、もぐもぐと寝癖をつけたオリバーはパンを口にし、その足元ではもっしゃもっしゃとコナンが茹でた肉と野菜を頬張っている。その向かいには朝から華やかなアレクシスがいて、興奮したように話を続けている。
「でね、あたしは今、肌や髪に本当に良いのは自然の素材を生かしたものなんじゃないかって思っていてね、そこからは体に優しい自然の美が得られる気がするの。もちろん、それにはきちんとした根拠が必要よ?」
「むぐ…うん、そうなんだね」
『はぐぐっもちゃもちゃっ』
「オリバーに出会った時から、なんかこう湧き出すように生まれてきてね、新しい化粧品を作る意欲や発想がどんどん降りてくるのよ!これは天啓なのかしら!」
朝から美の追求に熱心なアレクシスだが、オリバーもコナンも食事に忙しく話半分である。だが、アレクシスはそんな様子を気にした様子もなく話を続ける。
彼は昨日、ほとんど眠れなかった。今までは憂鬱さで寝付けない日々であったが、昨日は違う。どんどんと沸くアイディア、美しさと心との関係、そして今までの自身へを顧みて、寝付けなかったのだ。
「もぐもぐ…ん?なんかアレクシスさん、昨日と雰囲気が違うね」
『もぐぐっ』
「あら、気付いてくれたの?そうなの、あたしいつの間にか変わってしまっていたのよね…」
「?」
そう言ったアレクシスは小さな肖像画に視線を移す。そこにいたのはオリバーと同じ年頃の少年とその肩に手を置く柔和な笑みの女性の姿である。それを見つめるアレクシスの表情にはどこか感慨深げな様子がある。
「…あたしが美容の道に進んだのは、母の影響が大きいの。彼女は自然を愛し、そこから得られる効能を信じていたわ。シンプルだけど体に優しい化粧品を作っていたの」
「お母さんも同じ仕事をしていたの?」
「…そうね。部屋はシンプルだけど清潔で居心地がよかったの。母の作る化粧水や薬草を使った膏薬は肌の状態を改善してくれる。そんな母を頼って様々な人達が訪れてきていたわ。あたしもそんな母に憧れて意志を継いでこの道に入ったつもりだったのだけど…いつの間にか変わっていたのよね」
そう話すアレクシスは部屋を見回す。そこには華やかで美しく高級さで彩られた内装があった。全てアレクシス自身が選び、作り出したサロン、だが今の彼の瞳には全て空虚に映る。先程オリバーに話した母の部屋とは大きく異なっているからだ。
「…母はこんなに華美に着飾らなかったわ。変わってしまったのはあたしも同じ。いつの間にか、貴族に受け入れられるものを作ろうとしていた。根本の考えが変わってしまっていたのよね。そんなあたしが考えた美なんて、時代の流れと共に消えて当然だったんだわ」
アレクシスの言葉にはどこか諦めが感じられる。今まで信じていた自分の価値観が、必死で道を進むうちに本筋からズレてしまっていた事に少なからず彼は傷付いているのだろう。顧客が流行によって離れて言った事よりも、自身の変化を顧みているようだ。
そんなアレクシスに食事を終えつつある、オリバーが尋ねる。
「じゃあ、また新しく作ったら?」
「え?」
「ほら、意欲や発想とかてんけい?とかで新しく作るんでしょう?そしたら、もっと良い物が出来て喜んでくれる人がたくさんいるんじゃないかな、うん!きっといるよ」
オリバーの答えはシンプルなものだ。素直で単純と言っても良いかもしれない。だが、アレクシスにはそんな意見だからこそ響く。そこには建前も計算もなく、純粋な心があった。久しくアレクシスには縁のなかった言葉だったのだ。
「…そうね。せっかく降りてきたんだもの、これはあたしに美を追い求めなさいっていう神からの天啓よね!いいわ!受けて立とうじゃないの!あたしなら、美を求める人々に新たな美を提供できるわ!」
「うん!きっとアレクシスさんならできるよ」
盛り上がるアレクシスとオリバーの様子に食事を終えたコナンがぼやく。
『…なんかまた面倒な事に首突っ込んだな』
*****
鳥の囀りが心地よい森の中を2人と1匹が歩く。軽快な足取りで進むオリバーに対し、アレクシスはぜぇぜぇと息をつきながらやっとその背中を追っていく。
「ちょっと!本当にこっちで合ってるの?」
「うん、多分大丈夫!」
「…多分?多分でこんな長時間、あたしは森の中を歩いているっていうわけ?」
『…あー、オリバーの目の事知らねぇしな。そりゃ不安にもなるわなぁ』
「んー、でも大丈夫だよ。今回は前にも見た事ある草だから。あ!持ってるよ、見てみる?」
オリバーが探しているのは以前、見た事がある草だ。なんなら、今持ち歩いている。そんなオリバーの言葉にアレクシスが今までの動きでは考えられないほどの素早さで駆け寄ってくる。
「ちょっと!それを早く言いなさいよ!見せて頂戴!」
『そうだぞ!オリバー!そもそも持ってるなら見せて一緒に探した方が話が早いだろ!』
「あぁ、そうだね。ちょっと待ってね…はい!これだよ」
「…これ?この何の変哲もない草が?」
それは特別な姿をしているものではなく、その辺にある草にしか見えない。だが、ここに来た理由はオリバーがこれから必要になるだろう薬草を摘みに行った方が言い出した事だ。それは美容に関わるのかというアレクシスの問いに、「わからないが人を救う事になる可能性が高い」そうオリバーは答えたのだ。
その草を見たコナンは怪訝な表情を浮かべる。それはコナンも以前見た事があったからだ。
「そう、これは毒消しの草。これが今後、たくさんの人を救う事になるはずだよ」
そう答えたコナンは悲し気でいつもの呑気な様子は影を潜める。それは日頃共に過ごす、コナンにとっても見た事のない表情だ。アレクシスも気になったようだが、そこには触れず明るい声でオリバーに話しかける。
「…わかったわ!一緒に探しましょう?美を求める人々を救うのはあたしの仕事ですもの!」
「…ありがとう、アレクシスさん」
そう言った2人は再び、その草を探すために歩き出すのだった。
*****
華やかなサロンの白いテーブルには不釣り合いな土の付いた草がどっさりと積まれている。それを見たアレクシスは形の良い指を顎に乗せ、戸惑っているようだ。オリバーは毒消しの草だというが、それがどう美容と関わってくるのかもアレクシスにはピンと来ない。
オリバーはその草を見つめ、何か考えているようだ。
「…今、流行っている化粧品があるでしょう」
「えぇ、勿論知っているわ。あれが流行ってからあたしや他の人が提供しているものは見向きもされなくなったもの。あたしは使ったことがないけれど、発色が良くて長時間持つんですって。貴族女性を中心に流行しているわ」
アレクシスの言葉にオリバーは眉を顰め、苦しそうな表情を浮かべる。いつも穏やかなこの少年には珍しい事にコナンも心配して、近くへと寄ってくる。
『おい、オリバー。どうしたよ?お前にしちゃめずらしいな、何かあるなら言っちまえ!聞いてやるからよぉ…』
「ちょっと、どうしたのよ?何かあるなら話しなさい。あたしも化粧品には知識があるんだからね!」
そんな2人の声に、オリバーは少し笑みを溢す。彼らが自分を案じてくれているのが、伝わってきたからだ。それはオリバーにはわかっていてもどうしようも出来ない事だった。実際、義母のディアーナもその化粧品を愛用していた。だが、それを使ってはならないとオリバーが言っても彼女の耳には届かなかった。まだ少年の彼の言葉では変えられないのだ。
だが、今ここに著名な美容家アレクシスがいる。
「…あの化粧品は良くない物なんだ。使った人を救うために力を貸してくれないかな」
それはコナン以外の者に初めて漏らすオリバーの弱音だった。そんなオリバーの言葉をアレクシスはふっと笑い、オリバーの肩に手を置く。その手は見た目の優雅な繊細さに反し、頼もしいものだった。
「何言ってるのよ!言ったでしょ?美を求める人々を救うのはあたしの仕事だって。子どもがそんな顔するもんじゃないわ!」
『おうよ!オレだっているんだからな!』
「ありがとう…」
そんな2人の力強い味方にオリバーは少し桃色の瞳を潤ませる。これから起こる事、それで悲しむ人を少しでも早く手助けしたい。そんな願いをオリバーは今、抱いていた。
「あの化粧品を使ってしまった人に良い物が届けられるといいね」
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