9話 貴族令嬢ジェニファー

 「コリンズ伯爵家、久しく聞かぬ名ですね。古くから名を聞く家ですが、ここ数年は特に良い評判もないのではないですか?」

 

 そう問うのはこの国レガルフの宰相であるサンダーズだ。コリンズ家は伯爵家でありながら、建国以来続く古き名家である。国に忠誠を誓い、堅実に領地を治めるこの家は古くから名が知られているにもかかわらず、政治には深く介入せず、また権力も求めない。その家から輩出される者達も堅実に国を支えてきた。そのため、ここ数年はコリンズ伯爵家を軽んじる風向きもある。


 「今回の舞踏会は特別なものになるな」

 「…コリンズ家の子息ですか?」

 「あぁ、13歳になるはずだ。楽しみだよ」


  サンダーズにはどうにも腑に落ちない。そこまでコリンズ伯爵家が名家であるならば、もっと爵位を上げているだろうと思うのだ。だが、そんなサンダーズの考えを見通しているのだろう。目の前の男は笑う。


 「お前はまだ若いからな。知らんのだよ、コリンズ家というものを」


 その言葉にサンダーズは一層、戸惑いを深める。現在のコリンズ家は目立った活躍もなく、同じ家格の家の中でも見劣りするくらいである。伯爵家の一つにしか過ぎないコリンズ家にそこまでの価値を感じることはない。


 「コリンズ家は望まぬのだ。権力などつまらぬものを。王家はその力を求め、より高い爵位や婚姻を結ばせようと画策したが、そのすべてが断られた。彼らは自由を好む一族だ。それを我ら一族は無理にその座に縛り付けてきただけなのだから」


  深く玉座に腰かけて男は語る。その振る舞いは人々を惹きつけ、その声の響きは人々を魅了する。そこには上に立つ支配者の圧倒的風格があった。そんな男がまだ見ぬコリンズ家の息子への期待に瞳を輝かせる。それはサンダーズも見た事のない男の姿であった。




*****



 『腹減ったなぁ…』


 オリバーの肩に乗ったコナンが力なくぼやく。2人は今、ウロウロと町の外れを目的もなく彷徨っている。貰ったコインは買い食いで使い果たし、2人は今朝からまだ何も食べていない。オリバーの瞳を使えば、食べられるものがわかるだろうと町外れに来てみたが、見つかるのはどれも食べられるものではない。


 「見てコナン。この草、毒消しになるんだって」

 『へぇ、凄いな。で、味はどうなんだよ?』

 「効果がある反面、凄く苦いみたい」

 『…他にはなんかないのか?』

 「あ!これ、凄く綺麗な石だよ!」

 『そりゃ、食えねえだろ!今、オレ達に必要なのは食い物だ』

 「あ、そうだねぇ…」


 オリバーの桃色の瞳には良い物は光って見えるという。そして、触れることでその情報がわかる。そのため、食べられるものも判断できると踏んだのだったが、周囲に食べられるものがあるとは限らない。見つかったのは毒消しの薬草と良くわからない綺麗な石である。

 コナンの腹がぐうぅーと大きな音を立てる。コナンはオリバーの肩に力なく寄りかかった。

 今日は昨日よりも日差しは強くないが蒸し暑い。そのぶん、体には徐々に疲労がたまっていく。オリバーは先程から喋らず、黙々と歩いている。そんな姿を心配したコナンはオリバーに声を掛ける。


 「なぁ、オリバー。少しは休もうぜ。ほら、あの木陰なんかがいいんじゃないか?」

 「…うん」

 「オリバー?なぁ、おい。大丈夫か?」

 「…」

 「オリバー?」

 「…」


 コナンの呼びかけにもオリバーは答えない。ただ黙ってオリバーは足を進めている。変わらず蒸し暑さが続く中、黙々と歩むオリバーをコナンは気に掛ける。


 『おい、休もうぜ?なぁ…』

 「…」

 『オリバー?うわっ!』



 ぐらりとオリバーの体が傾く。そして、そのままオリバーはばたりと倒れた。



*****



 オリバーが目覚めたのは静かな部屋であった。簡素だが清潔なその部屋のベッドに気付けば、オリバーは横たわっている。オリバーの枕元にはすぅすぅと寝息を立ててコナンが眠っている。気持ちよさそうに眠るコナンを起こすのも気が引けて、オリバーは体を起こし部屋を見渡す。堅い木のベッドに木綿のシーツ、部屋に置かれた家具も木製のもので華美なものは一切ない。ここは誰の家なんだろう、誰がここへと運んでくれたのだろうとオリバーは考えていた。

 そんなとき、部屋のドアを叩く音がする。自身の部屋ではないためどうするべきか悩みながらもオリバーは返事を返す。するとドアが開き、少女が姿を見せた。


 「起きてたのね。どう?具合の方は」

 「あ、はい!えっと、ここはどこでしょうか」

 「私の家よ。馬車で通りかかった時、あなたが倒れていたからここまで運んできたのよ」

 「それは、ありがとうございます!」


 少女は茶色い髪を長く伸ばし、ドレスに身を包んでいる。だが、それは部屋同様、質素なものだ。決して質が悪いというわけではないのだが、馬車を持つような家であることを考えると些か地味である。勿論、伯爵家の出であるオリバーが、爵位持ちであるとは思えない服装であることを考えると、彼女にも何か理由があるのだろうと推察できる。そもそも、オリバーの様子を見に来たのがメイドなどの使用人ではなく、この家の子女であることからも財政に困窮しているのは明らかなのだ。


 「その白い狐、あなたの?」

 「う、うん。コナンっていうんだ」

 「あなたの事を心配してたみたい。ずっと離れないから一応連れてきたわ」

 「ありがとう!コナンは僕の家族みたいなものなんだ」

 「そう」


 素っ気ない話し方をする少女だが、倒れていたオリバーを助けた事や傍にいたコナンを連れてきたことからもおそらくは優しい子なのだろうとオリバーは思う。その証拠に先程から持ってきた盆の水をいつ渡そうかとタイミングを窺っているようだ。気の強そうな雰囲気の少女とその振る舞いのギャップは愛らしく見える。そんなオリバーの心境を察したのか、少女は顔を赤くして怒ったようにカップをグイッと渡してくる。彼女からカップを受け取りながら、オリバーは自身の名を名乗る。


 「ありがとう、僕はオリバー。君の名前を聞いてもいいかな」

 「…ジェニファー。ジェニファー・ウォーレンよ」

 「えっと、もしかしたら貴族の方かな」

 「…まぁ、うちみたいな小さな家でも、爵位さえあれば貴族って言わなきゃいけないわね」


 そう言われたオリバーはどう答えていいかわからない。だが、その言い分はおそらく彼女は貴族なのであろう。貴族である家が必ずしも財政が潤っているとは限らない。オリバーの生家であるコリンズ家も近年はその散財によって状況は芳しくないだろう。

 だが、そう考えると彼女がやはり優しい気性なのだとオリバーは思う。余裕がないにもかかわらず、こうしてオリバー達を招き入れたのだから。

 オリバーはこくりと水を飲む。その様子を確認するとジェニファーがオリバーに尋ねる。


 「食事はここでいいかしら」

 「食事を貰えるの?」

 「当たり前でしょ!…そんな大したものは出せないけど、ちゃんとお出しするわ」

 「ありがとう!君って本当に優しいんだね!」

 「なっ!揶揄わないで!」


 そう言って怒ったようにジェニファーは部屋を後にする。そんな後姿をオリバーは見送った後、枕元のコナンに話しかける。


 「ねぇ、もう狸寝入りしなくってもいいよ」

 『あぁん?してねぇよ!てかお前、オレがどれだけ心配してたのかわかってるのか』

 「ごめんごめん。でも良かった。ちゃんとコナンも連れてきて貰えたんだね」

 『そりゃオレが運ばれそうになったお前をひしっと掴んで離さなかったからだよ!そうじゃなきゃこんな狐、置いてかれるに決まってるんだろ!』


 興奮のせいか自分を狐と言い出したコナンの様子を見ると、余程オリバーを案じたのだろう。オリバーは気を失っていたが、運ばれる先がどこかもわからずコナンは狼狽えたはずだ。自分の不注意と考えのなさだとオリバーは反省する。

 その様子にコナンはフンと鼻を鳴らし、ぽつりと溢す。


 『まぁ、オレはお前の家族みたいなもんだからな!そういうのも仕方ねぇのかもしれねぇけどよ』

 「…やっぱり、起きてたんじゃないか」

 『あぁん?なんか言ったか!』

 「なんでもない!」


 ポンと再びベッドへと横たわったオリバーが考えるのはジェニファーの事だ。わざわざ倒れていたところを馬車に乗せ、こうしてベッドで休ませてくれ、食事まで与えてくれるという。決して彼女の家に余裕があるわけではないというのに、見ず知らずのオリバーを助けてくれた。そんな彼女に何か返す事は出来ないだろうか、そんな事をオリバーが口にすると呆れたようにコナンが口を開く。


 『つっても、お前、今何か持ってるか?』

 「うーん、カーターさんに貰ったライターに、さっき拾った毒消しの草に綺麗な石!」

 『な?大人しくお世話になりましたって、明日になったら出ていこうな』


 そういうコナンの言葉も一理あるのだが、せっかく助けて貰ったジェニファーに何か返したいとオリバーは思う。オリバーの瞳には良い物は光って見え、悪い物は靄がかかり色が変わって見える。その力を使って、ジェニファーの優しさにちゃんとお返しがしたいのだ。オリバーは横にいるコナンに笑いかける。


 「大丈夫。きっとジェニファーのために、何か良い物が見つかるよ」




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