夜奪還戦
雛七菜
0章 集結する者達
第1話 心体性矛盾理論は無限の極夜によく溶ける
「翔君。君は本当に良い奴だな。」
夕暮れの河原でそう言った翔の友達は二ヶ月後自殺した。翔は何も知らない子供だった。
中学生になって大人になったと思っていた。本質はサンタクロースを純粋に信じていた小学校時代と何も変わっていないのに。
『本当に優秀な奴は精神性も優れている。』
『人は皆平等であり、皆苦労して生きている。』
友達が自殺した事で彼の軸であった物は全部嘘だと知る事になる。
だから考えた。あの時どうすればよかったのか。何を信じれば良かったのか。
思考の海に身を沈め晩から朝まで考え続けた。一人だけの討論会は毎度苛烈を極めるが、いつまでも答えは出ず、清算できなかった昨日を明日に押し付ける。
そもそもこんな事に意味があるのか。もう全部手遅れなのに。
何も進んでいない現実を前に、枕に顔を埋めて今日も叫ぶ。
『こんなはずじゃない。』
ただの咆哮にこの意味を込めて。
引島翔は目を覚まし、体を起こした。二度寝を繰り返した頭がジンジンと痛んだ。
まるで『二度寝は良くない事』と言われてるようで寝起き早々嫌な気分になった。
いや、彼にとってこの一年『良い寝起き』という経験に覚えが無かった。
制限も無く、毎日が夏休みの様な生活をしている彼は二度寝や晩に起きるというのは当たり前だった。
しかし世間に夏休みが始まったこの時期に差し掛かると翔は少しだけ気持ちが和らぐ。
同い年の中学生たちも俺と同じような怠惰な生活をするんだろうな。
そんな考えが頭をよぎると翔は自分の浅はかさにまた頭が痛くなる。
他者と違う生き方をすると決めたのは自分なのに他者と生き方が違うと不安になる。自分勝手だ。
片付けるのが面倒くさくなって枕元に積まれた少年漫画。その上に置いたスマホを手に取り、
電源をつける。寝起きの目に強い刺激の光と、『四時二十三分』という表記が目に入った。
目をこすりながら翔は疑問に思った。
どっちのだ?
それを解消するべく立ち上がった。
長く伸びた黒い前髪で視界は悪く、閉め切られたカーテンで外から光は差し込まない。
それなのに電気も付けず歩くのでガサ、ガサとゴミ袋を踏む音が鳴る。
ドアノブに手をかけると、そこにハンガーでつるされた、皺ひとつ無い埃を被った中学校の制服の存在を嫌でも感じてしまう。
それを前に立ち止まり、溜息をついて扉を開くのが彼の一日の始まりだ。
足音を消しながら階段を降りていると、包丁で何かを切る音と換気扇の回る音が聞こえた。
翔の母が料理をしている生活音。体の内側が後ろめたさでいっぱいになって、溢れたそれが足を止めさせた。
いや大丈夫。進む為に降りるんじゃないんだから。
そう自分に言い聞かせ重い足取りで進んだ。階段を降りる度ギシ、ギシと鈍いが鳴った。
「おはよう。・・と言っても、もう夕方だけどね。」
リビングに降りると翔の母親が話しかけてきた。声は明るく、夕方に起きたのを攻める声質では無かった。
「そっか・・・夕方か。ありがとう。」
それが聞ければもう良い。すぐさま自分の部屋に戻ろうとする翔に『そういえば』と母親が呼び止めた。嫌な予感がしながら話を聞くため、その場にとどまる。
「赤藤中は夏休み始まったみたいよ。全く世間がこんな状況だってのにおかしいと思わない?何も問題ありませんってアピールしたいのかな。」
「わかんない。どうなんだろうね。」
母親の雑談に素っ気なく返事をすると、逃げるように足を前に出し、勢いよくドタドタと階段を駆け上がって行った。
「まだ学校に通う気は無いの?急がなくて良いけど、夏休み明けはタイミングとして良いと思うよ。」
母親の言葉を背に受けながら、部屋に駆け込み扉を勢いよく閉めた。ドアノブにかかった制服が少し揺れて埃の匂いがかすかに舞った。
「心配してくれてるのはわかってる。けどごめん。母さん。その優しさが痛いんだ。」
翔は引きこもりだった。クラスメイトととうまく行かなくなって学校に行かなくなったというありふれた話。
前に進む為にはその悩みを整理して前に進まないと行けない。けどさ・・・・。
部屋の電気を付けた。
布団の周りを囲うゴミ袋。『玄関に置いておけば処理をする』と母親に言われているのにそれすらしなかった。
布団の下に挟まっている紙があったので引っ張ると、一年前、中学一年の頃の『学級頼り』が出て来た。どんな内容か見るのも嫌で、クシャクシャに丸めてゴミ箱に放り投げた。
散らかった部屋に立ち静かに目を瞑って思った。
六畳という狭い空間すら整理しきれない自分が、無限に歪んだ心の中をどう整理して進めば良いんだ
それでも今日一日を過ごすなら知っておかなければならない。合わせる顔の無い母に姿を見せてまで一階に降りた理由。それは朝か夕方かを確認する事。
翔は閉め切ったカーテンに近づき、ためらいなくカーテンを一気に広げた。
「やっぱりこれじゃあ朝か夕方かわからないよな。」
時刻は少し進み『夕方の四時三十分』。それなのに墨でもぶちまけられたかのような黒一色の無粋な暗黒が世界を支配していた。太陽がオレンジ色の性質を持ち、赤と黒のグラデーションを連想させる夕方特有の空模様では無かった。
数週間前の話だ。世界から朝、昼、夕方が無くなった。
原因は超密度の雲が太陽光を遮ってるだとか、無限に日食が続いてるなど様々な意見があるらしい。
つまり世界の英知を集結しても原因はわかっていない。
しかしこれから地球がどうなっていくのかは簡単に結果が出た。
『急激な地球寒冷化が進み、三週間後に地球は人類が住むには過酷な環境となり今の土地を捨てなければならない。そして最悪一ヶ月後に人類は滅亡するかもしれない』
と言う発表だった。
当初は皆話半分で聞いていた。しかし発表から三日後の七月二十九日。真夏を象徴する七月終盤。
その日の東京の気温は十四度だった。少し肌寒いと感じたのは気温のせいだけでは無いだろう。
『五時になりました。相変わらず空は暗いままですね。こんな時こそ人類一丸となって、協力するんです。必ず陽は昇ります。それまで頑張りましょう。それでは次のニュースです。』
何気なくテレビを付けただけで不快な気分にさせられたので、黙って電源を消した。
「『今のご時世に対して何でもいいからコメントして』とか偉い人に無茶ぶりされたのかな?だとしたら可哀そうだな。」
と翔は少し同情もしたが、黙って視聴率の足しになる気分でも無かった。
カーテンを閉め、翔は布団に倒れた。
流れる様にスマホを取り出し、電源を付けふと目に入ったのはのⅬINEの通知数。それは千を越えていて彼の心臓を揺らした。
『なんで、お前みたいなのが俺達の周りいんだよ!死ね!』
『邪魔になってるってわからないの?居ても居なくても変わらないんだから来なきゃ良いじゃん。』
過去に聞いた言葉が頭に蘇り吐き気を催す。
ペットボトルの水を勢いよく取って流し込んでいく。放置していたせいで少しぬるい。
ⅬINEは見ない様にしていたのに、今日に限って翔は油断していた。
「別に逃げている訳じゃない。ただ他に考えたい事があって見ないようにしていただけだ。」
誰に言ってるのかわからない言い訳じみた言い分を放ちスマホを漫画の山の上に置いて、もう一度眠りにつこうとした。
目を瞑って横になっても直ぐに眠れる訳では無いので、眠る前は考え事をしてしまう。
自分の状況を考えるのは嫌だったので、翔は興味もないのに人類のことを考えていた。
人類は今大変な状況にある。皆で力を合わせてこの危機を乗り切ろうとしている。
しかしそれは社会に生きる人間の話であり、社会の外に居る引きこもりの翔とは関係が無い。
人類滅亡と言われてもピンとこない。ただ、こんな時だけ都合よく団結しようと考える人間が居るとは思えなかった。
「団結なんてできる訳ねーんだ。下らない。」
寝返りをして続けて呟く。
「どうせなら皆死ねば良い。」
「それをさせない為に今僕が頑張ってるんですよ。」
翔の言葉に誰かが返事をした。二十代程の若い男性の声。
勢いよく立ち上がり部屋をきょろきょろ見渡した。聞き間違いだったのか部屋にはやはり誰も彼の周りには居ない。
「一年も引き籠ってたから幻聴でも聞こえ・・・・」
次の瞬間強烈な眠気に襲われた。抵抗しようと考える間もなく翔は眠りに落ち、再び布団に倒れた。
「何処だ?ここは?」
気が付くと何も無い真っ暗な空間に翔は立っていた。自分の両手を目の前に持って来ても、視界は暗黒しか写さない。
「聞こえますか?」
聞き覚えのある声が聞こえた。さっき翔が部屋で聞いた若い男の声。音の発信源を探ろうとしたが、直接頭に響いてるようで特定できない。
「その反応は聞こえてますね。こんにちは。引島翔君でよろしいですが?」
「なんで俺の名前を知ってるんですか?いやそもそもここは?貴方は?」
あまりにも状況がわからず思っている事を全て口に出す。
「お・・落ち着いて下さい。一つずつ話して行くので。」
質問攻めにされ少し狼狽えたような対応をしたが、直ぐに気を取り直したのか咳ばらいを一つ挟んで言葉を続ける。
「まずは自己紹介からしましょうか。僕の名前は『ハレ』。君に助けを求めに来たものです。結論から言いましょう。お願いします。人類を救う為に力をかしてくれませんか?」
「は?」
訳の分からない声に、訳の分からない場所で、訳の分からない事を言われ翔は眉を潜めた。情報は何一つ足りて無いので、頭に『?マーク』を浮かべる位しかできなかった。
「そうか。夢を見ているのか。」
一番状況を説明できる状態を翔は考察した。
「夢ではありません。それは何となくわかっているのでは無いですか?」
翔はハレに言われた事は否定できなかった。体制を崩さないで立っていると足に疲労が溜まっていく。思い通りに思考して会話をする事ができた。夢では味わえないリアルな感覚が体を巡っていた。
「なら俺の幻聴だ。ずっと引き籠ってたからそう言う事が起こったのかもしれない。」
「なるほど。僕の存在そのものが幻だと。では幻かどうか判断するのは、最後まで話を聞いてからにしてください。」
なんで俺が話を聞く前提なんだ?ほっといてくれよ。
そのまま帰ろうとした時翔は初歩的な事に気が付いた。
あれ?どうやって帰るんだ?
周りを見渡す。辺りは暗黒で数センチ先すら見えない。
懐中電灯はおろかスマホすら手持ちに無いので先を照らす事もできず、何処を進んでいいのかもわからない。
自己分析をすると目隠しされて拉致監禁されてるのと同じだと感じ、不安の汗が背中に滲んだ。
「拉致監禁って大げさですね。確かに今翔君はこの場から帰れませんが危害を加える事は絶対にしないので大丈夫ですよ。」
「は?」
瞬時に出たのは理解不能を一字で表す言葉。そして次に出たのは『拉致監禁』というワードに反応した全身の鳥肌。最悪の想定をする。
心が・・・読めるのか?
「はい。僕の数ある取り柄の一つですよ。」
翔の心の声に再度当たり前のように返答する。愉快そうに笑っているが、人間離れした力に恐れを感じた。翔の意志が命じた訳では無いのに無意識に後ずさりした。
俺は一体何と喋ってるんだ?
「ん?いや!待ってください!」
翔の反応を見て男の声は言葉を付け足す。
「僕は君らの敵じゃありません。味方です。勝手に心を読んだのは申し訳ありませんでした。心が読まれるのは嫌みたいなのでもうしないと誓うので話を聞いて下さい!お願いします!」
翔は心の内を晒す事は嫌いだった。
それは自分の内側なんて人に話せるような事は無く、たまらなく醜い物ばかりだから。
曝け出した結果、中学校時代周りとの齟齬で人間関係がうまく行かなくなった。
だから隠したい。・・・・など考えながら翔は自嘲した。
バカか。別にこれは全部幻なんだから驚く事なんて無いだろ。全部俺の妄想。つまりこのハレとか言う奴も俺から生まれているんだから俺の事を知っててもおかしくない。
そう言い聞かせても暗黒空間から帰れない事実は変わらない。翔は目を瞑って呼吸を整えてからその場に座った。
「わかりました。詳しく説明していただけますか?」
翔に与えられた選択肢はそれしか無かった。
「勿論です!」
翔が話を聞く態度になるとハレの声が明るくなった。
「今空がどうなってるかご存知ですか?」
「知らない人間は居ないんじゃないですか?雲に覆われて朝昼関係無く深夜の様に空は真っ暗。異常事態ですよね。」
「では最終的にあの雲がどうなるかわかりますか?」
「どうなるって・・・世界から太陽の光を奪うこと以上の何かが起こるんですか?すいません。質問を質問で返して。」
「ちょっと難しかったですね。結論から言いましょうか。太陽の光を奪う以上の事が起こります。」
ハレの声が緊張を帯び始めた。
「最終的にあの雲は地上まで降りてきて土地や人類全てを飲み込み自分達のエネルギーとして吸収します。気温低下を危惧していますがそれより無残に人類は殺されて行くと思いますよ。」
「どうして言い切れるんですか?」
「千年前に、日本の小さな集落で同じことが起こったんです。」
「千年前?」
普通の会話では使わない表現に翔は思わず聞き返す。しかし変な事を言った自覚は無いのかハレはそのまま続ける。
「集落を覆う大きな雲が突然現れ、朝と昼と夕方を奪いました。そして雲が現れて一週間後。空から雲が落ちてきて、その土地は歴史と地図から姿を消しました。勿論教科書にも載ってません。」
「その後はどうなったんですか?」
「雲はその土地から吸ったエネルギーを元に肥大化していきました。それだけではありません。雲は生命体を作り、地上に放ち人間や土地から奪ったエネルギーを雲に持ち帰らせるようにしていました。わかりやすく言うなら妖怪、怪物、化物を生成しそれを地上にバラまいてエネルギーを吸収していました。」
「そんなのどうやって対処したんですか?」
「その時は私が始末しました。しかし今回はそう行かないでしょう。」
不甲斐なさが少し滲んでたのが翔にはわかった。母親と話す自分に似ていたから。
「千年前と同じく排除を試みました。しかし、あの雲には透明で強固なバリアが展開されていました。千年前にあんなもの無かったのに。人類が未だあの雲の正体がわからない理由もバリアに阻まれ調査できないのが原因でしょう。秘密裏にあのバリアを壊そうと各国は努力しているそうですが無理でしょうね。僕の力でも壊せなかったので。」
「そうなんですか。じゃあどうしようもないですね。」
翔は他人事のように呟く。
「それがそんな事も無いんですよ。実はあのバリア唯一の欠点を見つけました。あのバリアは何故か十三歳から十五歳、いわゆる中学生だけは出入り自由だったんです。」
そこまで言われればハレが何を言うのか想像に困る事はない。
「お願いします。私の代わりに君があの雲に行っていただけませんか?勿論全力でサポートもしますし報酬も払います。」
そして間を置いて言葉を足した。
「人類の為に力をかしていただけませんか?君じゃなきゃダメなんです。」
翔にはハレがわざとその言葉を付け足したようにしか聞こえなかった。
「いやです。そんな所に行きたくない。滅びるなら滅びればいい。俺はいきたくありません。」
翔はこの世界が嫌いだった。
イジメは駄目だと言ったその口で他者を攻撃し、自分より弱い人間を見つけると嬉しそうに近づいていく腐った奴らが蔓延る世界。
けどそういう自分が嫌いな人種程成功して笑って過ごしている。
つまり世界というのは『そういう人種』の所有物だ。そんな奴らの所有物の為に、どうして危ない場所に行かなければならないのだ。
「なら君は何処に行きたいんですか?」
ハレの声もはっきり言い返してきた。親に子供が説教するような。その態度が言い返す気の無かった
翔から言葉を引き出させる。
「頼んでる側が説教ですか?俺は今の生活に満足しています。何処にも行く必要なんてない。早く俺の部屋に戻してください。」
「満足しているか。それが本音ならどうして母と死んだ祖母に後ろめたく感じてるんですか?」
「やっぱりまだ心を読んでいたのか。」
話題を変えてハレの不義理を攻めた。ハレの言い分には言い返す事ができなかったから。
「会った時偶々聞こえただけですよ。心の三分の一を占めていた大きな叫び。無視なんてできません。君がそうやって誰とも関わらずに過ごす事を母が、そして死んだ祖母の佳恵さんが望んでいると思いますか?」
その言葉は翔の心に突き刺さり古傷を抉った。治る事のないその傷口から祖母との思い出がポタポタと流れ落ちる。
翔の祖母は今年の七月一日に亡くなった。
悲しみに暮れた翔だったが、二日後に決まった葬式には出席しなかった。
中一の夏から約一年引きこもっていた彼は親族と合わせる顔が無かった。
いつもいつも心配して連絡をくれる祖母に『これから頑張ります。』と何回送っただろうか。
その内容を大層に見せる無駄な肉付けと体裁の取れた文章だけが上手くなっていく。
おばあちゃん。俺は何も頑張って無かったんだよ。期待にもこたえられてない。
『翔君は六年生で身長が百六十八センチもあるんだ!凄いね!きっと将来は大きくなるよ!』
ごめん。確かに中二になった今身長は百七十六あるけど俺は何も大きくなってない。
『翔君は顔がカッコいいから髪は短めの方が良いよ!』
ごめん。外に出て無いから前髪は目にかかってるし耳が隠れるくらい伸びてる。
『貴方のお母さん、お父さんと別れてから一人で貴方を育てるって気を張ってると思う。だからずっと仲良くしてあげてね。』
ごめん。おばあちゃんの葬式の日。母さんと大喧嘩してそれ以降気まずいままだ。
「
あんた葬式来ないって本気で言ってるの⁉」
「合わせる顔が無い。」
あの日の部屋は荒れていた。洗い物は溜まっていて、脱いだ服が散乱し、机には何かの書類が整理されず散らばっていた。
喪服を着ている母さんの目は腫れていて、声は前日に大声を出し続けた後の様に枯れていた。
きっと俺の居ない何処かで泣いていたんだと思う。俺に弱さを見せない様に。
「自分の事ばかり考えていい加減にしてよ!おばあちゃんいつも翔の話してたんだよ!自分の病状は悪化するばかりなのに『翔君は大丈夫なの?』って翔の心配ばっかり!その想いに応えようとすら思えないの⁉」
「それでも行けない。俺はおばあちゃんみたいな優しい人には会えない。」
「わかった!じゃあ母さん一人で行くからね!」
最悪の一日を思い出し終え、自然とため息を漏らした。
「君だってわかっているはずです。二人を安心させたいとは思いませんか?この手伝いはその一歩目だと思ってくれたらいいですから。」
ハレの正論が揺れかかっている翔の思考を打ち切らせた。
そんな正論は聞き飽きた。
今の翔にとって正論で諭す事はやらないという意志を強める物でしかなかった。
嫌な感情が自分の中で浮かびあがるのを感じたが、止める事ができなかった。
正論と言うのは自分の身勝手な理由を正当化させるための物だ。例えばこんな事を言っている奴が居た。
『イジメられるのはイジメられる側に原因がある。イジメられたくないなら本人が変わるしかない。』
その通りだと思う。この意見を支持するかは別問題だが間違った事は言って無い。
だがこういう台詞は決まってイジメを、理不尽を行う側が言っている。・・・・いや言っていた。
このハレとかいう男が何故人類の味方をしているのか知らないが、こいつにも立場があって俺を利用し無ければ立場が危ういから、情に訴えかけたりなど、とにかく必死なのだろう。
そうに決まっている。お前の事情も、人類の事情も知った事か。
それが嘘偽りの無い翔の本心だった。ならば言い返す言葉は決まっている。
「良いですよ。貴方に協力しても。だからこれからの事を教えて下さい。」
「え!」
ハレが少し狼狽える様な反応を示した。まるで予想外の反応が返って来た様に。
「そうですか・・・・。本当にありがとうございます。」
相変らず視界は暗黒のままだった。翔はハレの顔は愚かの自身の指先すら見えない。
それでも安堵と喜びを帯びたハレの声からは誠意が伝わり勝手にお辞儀している姿を想像していた。
直前までは断るつもりだった。しかし翔断れなかった。
母や祖母に抱いていた申し訳無さは本物で、安心させたいという気持ちも本物だった。
「今更だけどかなり危険です。本当に大丈夫ですか?」
「本当に今更ですね。別に良いですよ。引きこもっててやることも無かったので。」
「嘘をつかなくても良いですよ。君が引きこもって何をしていたかも僕は知ってます。それはあの雲の上で必須の物となるでしょう。」
確かに翔は引きこもって何もしていなかった訳では無い。彼自身『それ』に心当たりはあったが、戦いの役に立つとは思えない。
「意味が分からないです。」
「あの上に行けばわかります。」
そう言い終わるとハレは『さて』と会話の切り替えを予見する発言をした。
「丁度時間切れですね。私はこれから予定があるのでこれ以上は説明できません。集合場所など必要最低限の情報は戻ったら勝手に頭に入っています。疑う気持ちがまだあるのかわかりませんがまず集合場所に時間通り来て下さい。全部幻なら来たところで何も始まらないので。それではまた会いましょう。」
ハレにそう言われた所で翔は目を覚ました。目に映る天井は自分の部屋の物で、帰って来たのだと理解する。
「しかし改めて振り返っても突拍子の無い話だったな。」
夢と間違うような不思議な体験。他者に事細かに説明しても笑いすら取れない冗談として流されるだろう。
しかし今あった事をもはや夢や幻だと思えなかった。
何故ならあの声の言う通り覚えの無い記憶が頭に勝手に蓄積されていたから。
時間、集合場所、日給等。今まで縁の無かった外に行くという選択肢が急に現実の物となった。
「そうか。外に行くのか。」
「死ね死ね死ね死ね死ね。お前何普通に生きようとしてるんだよ。お前がまともに生きていけるとでも思ってるのか?お前も俺と一緒に死ねば良かったんだ!こっちに来い!さぁ!」
足場のない窓の外に、血まみれの少年が映っていた。翔と同い年で、同じ学校の制服を着ている。
シルバーの十字架のネックレスをつけて窓ガラスにおでこをこすりつけ、血走った目で翔を睨み続ける。
ハレの声に狼狽えた翔だったがこの心霊現象には一切動じていない。
それは毎日必ず見ている現象だったから。いつも通り瞬きをするとその少年は消えた。
「わかってるよ。弁えてる。」
立ち上がって机にあったハサミを持った。暫く刃の部分を眺めていた。
どうして眺めていたかは翔にしかわからない。そうしてハサミを持ったまま洗面台に向かった。
伸びた髪を切って、約束通り今日の夜中の三時に『晴天神社』に行く為だ。
「逃げられると思うなよ。」
誰も居なくなった翔の部屋で血まみれの少年の声が響いた。
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