『馴れ初め・2』お屋敷の異形の者たち


 ♢♢♢



「では今朝はこちらへ食事を運ばせよう」



 レオは飲み終えたミルクティーのカップを持って立つと、そのまま奥の部屋へ入って行った。



 彼の口と顎を覆う朱色の布は相変わらずそのままで、レオが動くたび、ひらひらと揺れた。



 結局、二週間前のあの朝、自分の部屋へ戻った後、私は仕事に出た。



 家にいても考えはまとまりそうになかったし、仕事で気持ちを紛らわせたかった。


 それに勤めている会社との契約が近々終了するのだ。

 私は派遣社員なので、雇用主に必要ないと言われてしまえばそれまでの身分だった。


 継続契約したかったけれど仕方ない。自分に任された仕事は残り僅かなものだったが、退職の日までしっかり片付けておきたいと思っていた。



 そして翌日の朝。



 レオは緑の扉からやってきて、私を朝食に誘った。



 いろいろ話をしてくれたけど、異世界の言葉の単語が混ざったような説明で、正直よく判らなかった。



 とりあえず、レオが行った実験とやらが失敗し、私の暮らす世界とレオが暮らす世界の空間に歪みが生じたらしい。



 その影響が特に出てしまった場所が私が住むこの部屋で。



 空間のズレや歪みは放っておくと、どんどん広がったり、何かしら悪影響を及ぼすという。



 今はかろうじてレオが敷いた『空間通路』で〈繋ぐ〉という応急処置をとっているそうだ。



 私には全く実感のわかない話だった。



 まるで夢物語。



 空間通路とか繋ぐとか敷くとか。



「一体どんな技ですか?」



 尋ねた私にレオは言った。



「魔法………。そんなものだと考えてください」



「レオさんは魔法使いなんですか?」



 私の質問の答えを、レオは真剣に考えながらも、どこか悩んでいるような表情を向けて言った。



「そういう言い方もありますね。それから遥花さん、僕の名前にさん付けは無用です」




 そして歪んだ空間の修復には時間がかかり、慎重に直さないと後遺症が残るからとも言った。



「遥花さんにはまだしばらくご迷惑をかけると思います。お詫びに毎朝、朝食をこちらで振舞わせてもらいたいのですが。いかがですか? よろしければ僕と一緒に」



 こう誘われて。



 そりゃあ、一人暮らしの朝食は面倒臭いこともあって手抜きが多い。



 迷いもあったが食費が浮くことを考えると助かるので。



 私は承諾した。



 そんなこんなでそろそろ二週間。



 今に至る。




 ♢♢♢



「すぐに運んでくれるそうです。少し待ちましょう」




 レオが奥から戻ってきて言った。




 待つ間、無言が続く。



 なんとなく気まずくて、私はレオに話しかけた。




「あの、そろそろどうなんでしょう、ズレた空間とかって」




「ええ、それが手を尽くしてるのですが、いろいろ足りないものがあって」




 足りないものって、なんですか?



 そう聞こうとしたのだけれど。




「ああ、来ましたよ。朝ご飯」



 カタコトと音を響かせて、ワゴンに乗った朝食が運ばれてきた。



「おはようございます。遥花様」



「おはよう、リーノとピッコ」



 私はワゴンを押してきた二人の子供に挨拶をした。



 リーノとピッコ。


 見た目は十歳くらいの子供で双子だった。



 彼等も、どう見ても私の中では『架空の生き物』だったはずなのに。



 目の前に存在している。



 髪は茶色。肩まで長い方がピッコという名の女の子で妹さん。


 黒を基調としたメイド服姿。白いフリルのあるエプロンが可愛くてよく似合っている。



 髪が短い方がリーノという名の男の子でお兄さん。



 こちらは黒白のスーツ姿。


 赤い蝶ネクタイが可愛い装いだ。



 二人とも灰色の瞳や身体は人と同じなのに、耳は薄茶色のキツネ耳。そして鼻と口がオウムだった。



 薄い黄色のくちばしだ。



 彼等はレオのことを『ヌシ様』と呼んでいた。



 屋敷の中の雑用及び家事全般はこの二人が取り仕切っているのだという。



 キツネ耳でオウムの鼻と嘴を持つ双子の子供。



 毎朝見る度、なんて非現実的な日常なのだろうと思う。



 でもそんな彼等の外見は意外と可愛らしく、彼等の作る朝食はいつもとても美味しかった。



「いつもありがとう。ピッコもリーノも」



「今朝はカボチャのスープにしてみました。遥花様のお口に合うといいですが」



 リーノがニコニコしながら言った。



「いつも美味しいよ、リーノの作るスープ。それにピッコが焼いたふわふわの白パンも大好きよ」



 目の前でお皿を用意しているピッコに言ってみるのだけれど。



 返事はない。



 これはいつものこと。



 どうやらピッコは私のことを快く思ってないようなのだ。



「こら、ピッコ。遥花様が話しかけてるのに無視するな!」



 双子だが一応お兄ちゃんでもあるリーノに叱られて、ピッコの表情は益々仏頂面になった。



「すみません、遥花様。こいつ、ワガママなんです」



「なによっ、リーノのバカ!もう知らないッ」



 ピッコは顔を赤くして、プイと横を向くとスタスタと奥の部屋へ行ってしまった。



「あ!も~、待てよピッコ!」



 リーノは私たちに一礼すると、慌ててピッコの後を追った。



「私、なんだかピッコに嫌われてるみたいな気が……。大丈夫でしょうか、あの二人」



「兄妹喧嘩はいつものことです。心配しなくてもすぐに仲直りしますよ、あの二人は。さあ、頂きましょう。冷めないうちに」



「……はい。いただきます」



 暫し食べることに集中する。



 時折、私はレオの食べる様子を盗み見る。



 ────あの布、邪魔じゃないのかな。



 レオは慣れているのか、器用に食事を布の下から隠している口元へ運んでいた。



 少しでも見えないものかと様子を伺うのだけれど。



 朱色の布の奥が見えることはなかった。



「遥花さん」



「は、はい⁉」



 急に声をかけられ、私は焦った。



「今日はお仕事忙しいですか?」



「いえ、それほどでも……。実は私、勤めていた会社と今日で契約が切れるんです。もともと派遣社員だったものですから。でも次の働き先もまだ決めてなくて。……しばらく無職です」


 

「そうでしたか。では今日の夕方、仕事が終わってからでいいのですが、またこちらに来てもらえますか?」



「構いませんけど……?」



「あの、よければ僕とお散歩でも」



「はぁ……いいですよ」




 私もこの屋敷の庭を歩いてみたいという思いがあった。



 でもレオはどういうつもりで私を散歩に誘ったのだろう。



「でもなぜ急に?」



「遥花さんはまだこの屋敷から外へ出たことがなかったでしょう。僕も忙しくて案内できなくて。でもそろそろいいのではないかと」



 そろそろ、という言葉がなぜか気になった。



「外へ出るのは僕が一緒のときだけですけどね」



 なんだろう。



 意味あり気なレオの言葉に、私は少し首を傾げる。



 けれどレオは僅かに眼を細めただけで、それ以上は何も言わなかった。



 私も仕事に遅刻しそうになるのを避けるため、その後は食べることに集中した。



 食べ終わる頃、リーノが戻って紅茶を煎れてくれた。



「ピッコの様子、どう?」



 リーノは笑って言った。



「大丈夫です。あいつ、ちょっと拗ねてるだけだから。遥花様は気にしないでください」



「うん。じゃあピッコに伝えて。今朝のサンドイッチ、とても美味しかったわ」



「はい。そう言ってもらえるとピッコも喜びます。あいつ料理好きだからほんとは嬉しいんです。今までより一人分、多く作れることが」



「そうなんだ……」



「僕も嬉しいです。遥花様がヌシ様と一緒に朝ご飯食べるようになって、とても嬉しいです。主様もそうですよね!」



「ぁ……ああ」



「意外と寂しがりやなんです、主様って」



 リーノが私の耳元でこっそり囁いた。




 ────そうなのか。



 とてもそうは見えないのに。




「リーノ。お客様の耳に何を吹き込んでいますか?」



 レオの質問に、リーノはエヘヘと笑いながら使い終えた食器を手早くワゴンに乗せ、奥の部屋へと戻って行った。



 ♢♢♢



「行ってらっしゃい、遥花さん」



「行ってきます」



 緑の扉の前でレオに見送られることも、最近は日常と化している。



 パタン …… と静かに扉を閉めて、異世界からこちらの世界へ。



 こんな日常は異常なはずなのに。



 最近の私は平気になっている。



 ………ああ、やっぱり、慣れって怖い。




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