後日談・番外編・if

【後日談if】一葉の決意

「美桜ちゃん、一生のお願い。その魔術師さんに会わせて」


 予感はあったけど、まさか本当にこうなるなんて。


 個室の喫茶店。

 お姉ちゃんや美空に聞かれる心配がない、という意味では自宅よりも内緒話にちょうどいい。


 年明けから二か月と少しが経って、バレンタインのチョコレートを渡すついで、という口実でわたしは一葉こと花菱葉を呼び出した。

 用件は、わたしの正体について話をするため。

 入れ替わりについては恋、玲奈、小百合さん、菖蒲さん、梟森母娘以外には話していない。家族にも内緒にしたままだけれど、彼にだけは話しておきたいと思った。


 彼とわたしはある意味で「同類」だから。


 きっと理解してくれる。そんな期待を込めて打ち明けると、全てを聞いた後、一葉が口にしたのは恨み言でも非難でもわたしへの擁護でもなく、梟森先輩に会いたいという希望だった。

 正直、予想以上の反応。


「やっぱり、女の子になりたい?」


 尋ねると、彼は真剣な顔で「……うん」と頷いた。


「最近、予定の空いた時に搾精に行ってるんだ」


 うん、エロ漫画とかでしか聞かないような台詞がいきなり飛び出したけど。

 別にえっちな意味じゃない。

 少子化対策の一環として若い男には精子の提供が義務付けられている。定期的に行かないといけない他、先払いとかも可能。なんなら一生分の提供を終えた後も通っていい。

 自分で出して係の人に渡すスタイルの他に美人のスタッフさんが手伝ってくれるスタイルもあって──うん、やっぱりエロ漫画かもしれない。

 男子である以上、一葉もそこに通わないといけない。

 この子のことだから女性スタッフに頼ってはいないだろうけど、それでも、そういう男ならではの行為は彼の心を削っていくことだろう。

 それでも「先払い」している理由は。


「この先、どうしたくなってもいいようにしておこうと思って」

「……そっか」


 責任の一端はわたしにあるかもしれない。

 数少ない男の子、それも才能あふれる美少年に「女の子になっちゃえ」と勧めるなんて、ますます男女比を偏らせることになる。

 それでも、女の子になることを自ら選んだ身として、彼の背中を押したい。

 とは言え、魔術はあまり世間に広めるものじゃない。

 入れ替わりには相手が必要だし、そうなると相手の人生まで歪めてしまうことにもなる。軽い気持ちで梟森先輩を紹介することはできない。

 だけど、


「あのね、一葉。実はその人から預かってるものがあるの」

「え……?」


 清潔な布でくるんで運んできたそれを彼の前に置く。

 二、三センチほどの大きさの石だ。

 半透明かつ薄いピンク色をしたそれは、


「これはね、女の子の核になるものなんだって」

「核?」

「うん、まあ。要するに子宮になるってこと。これを取り込めば身体が少しずつ女の子に近づいていって、最終的には完全に──」


 言い終わらないうちに一葉の手が核に触れる。


「どうすればいいの、美桜ちゃん?」

「そんなに焦らなくても。ゆっくり考えてからでも」

「後悔したくないの、絶対」


 顔を上げた彼の顔には焦燥があった。


「一日。一日経つごとに『男の子』に侵されているのがわかるの。だから、一日でも早く」


 彼にとっての「後悔」とは「もっと早く決断しておけばよかった」なのか。

 女の子になんてならなければよかった、とはとても思えない。

 これがまだ、ホルモン治療による「まがいものへの変化」なら違ったかもしれない。けれど、超常の力による完全な変化が望めるのなら。

 何を投げうってでも今すぐに、と思ったとしても、わたしはおかしいとは思わない。

 一日。一日早く変化を始めれば、女の子として成長できる余裕が一日増えるのだ。


「下腹部に押し当てるだけでいいの。でも、起動のための魔力が一葉だと足りないかもしれないから」


 使うならわたしが押し込め、と先輩からは言われていた。

 一葉はこくん、と頷いて、


「お願い、美桜ちゃん」


 服をめくり上げてお腹を晒した彼と隣り合って座り、核を手に取る。

 少しとはいえ服を脱いだ男子と一緒。なのにぜんぜん怖くないのは一葉が相手だからだ。

 この子には幸せになってほしい。

 一般的な意味での「幸せ」なら、このまま男のままでいることなのかもしれないけれど。

 わたしが触れると石がぼんやりと輝く。

 そのまま下腹部に軽く触れさせて、


「ちょっと痛いかもだけど、我慢してね」

「うん。……んっ、ふあっ!?」


 ごめんなさい。男の子とは思えない可愛い声を出すからちょっとだけ興奮しました。

 硬い石が柔らかな肌に潜って消えていく様は神秘的。

 一度埋め込んでしまえば取り出すのは困難で、一日も経てば石は形を変えて臓器に近い姿になるので検査機器を使われても大丈夫とのこと。

 埋め込みが終わり、服を戻した一葉はそっと自分のお腹に手を当てた。

 うん。あの香坂美桜──わたしの前に男として現れたあいつよりもずっと、一葉のほうが女の子らしい。

 つい見惚れていると、彼、もとい彼女の瞳から涙がこぼれて、


「ありがとう、美桜ちゃん」

「……ううん」


 お礼を言われるようなことはなにもしていない。


「むしろ、ごめんなさい。黙っていて。それに、一葉の人生を変えちゃって」

「いいんだよ、そんなの。むしろ、美桜ちゃんには感謝してもしきれない」

「そんなに、女の子になりたかった?」

「美桜ちゃんならわかるでしょ? そんなこと、わざわざ聞かなくても」


 確かにその通りだ。


「なりたいよね。なりたかったよね」


 変化にどのくらいかかるかは正確にはわからない。

 数か月か、半年か、それとも一年か。

 変わった後でなにがしたいか尋ねると「いつか子供は欲しいかな」と微笑む。


「で、だれの子供?」

「そこは別にこだわりはないよ。いっそ湊の子供でもいいし」

「それは止めよう。絶対。一葉にはもっと良い相手がいるよ」


 並行世界の自分をディスるのも変な感じだけど、あの湊とわたしは別人なので気にしないことにする。


「なにかあったら言ってね? 最悪、専門家に相談しないとだし」

「うん。……これからもよろしくね、美桜ちゃん」

「もちろん」


 わたしたちは笑顔で別れ、そしてそれからも交流を続けた。

 葉の女性化は世界を震撼。

 男が生まれにくくなるだけではなく、男が女に変化する時代が来たか……と、終末論さえ流れたものの、同様の事例が後に続くことはなく。

 やがて完全に女の子となった葉は芸名を「一葉」に変更、男の子時代に比べると人気をかなり落としたものの、有名俳優の一角として長く芸能界で活躍した。

 自然に男の子ムーブのできる女性俳優ということで新たな人気も獲得していたし、何より本人が活き活きしていたので、これでよかったんだと思う。


 そんな彼女から「美桜ちゃんがフリーだったらなあ」なんて話を聞いたのはかなり後になってからで。


「美桜ちゃんと付き合えるなら男の子のままでも良かったかも」

「あはは。嬉しいな。……うん、それはそれで楽しかったかもね」


 もちろん、浮気をするつもりなんてない。

 けれど、なにかが少し違っていたら、そんな未来もあったかもしれない。

 わたしたちはお洒落な喫茶店の一角でケーキとお茶を楽しみながら朗らかに笑い合った。

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