第五章

美桜とお婆ちゃんの家(その1) 2018/8/13(Mon)

 この日、わたしは美桜になってから初めて飛行機に乗った。

 飛行機や空港の様子はあまり変わらない。

 客室乗務員さんや空港スタッフは向こうでも女性が多かった。お客さんが女ばっかりなのはまあ、いつものことだ。

 パイロットも女性ばっかりなんだろうな……というのは大変そうだと思う。ちょっと調べてみたところ、他の職種に比べると男性比率は少し高めらしい。体力もけっこういる仕事だろうし、体調が崩れやすい女性のパイロットはなにかと不都合も多そうだ。


 向かう先はなんと、北海道である。


「久しぶりだなあ……三年ぶり?」

「じゃあ、わたしが四年生の時は行ったんだ」

「まあね」


 お姉ちゃんは笑って、わたしの額をこつんとする。

 あんたが記憶喪失になんてなるから五年生の時は見送ったんだ──ということか。それはちょっと申し訳ない。


「でも、涼しそうでいいよね?」

「そうね。冬場は逆に寒すぎるのが難点なんだけど」

「お婆ちゃんはどうして北海道に?」

「寒いところが性に合うみたい」


 お婆ちゃんには北欧の血が半分入っている。

 寒いところを好むのは向こうの血が騒いでいるからかもしれない。


「美桜。今のうちに飛行機、慣れておきなさいよ?」

「お仕事で乗るかもしれないから? うーん、そんなに乗ることあるかなあ」

「いっぱい乗れるくらい頑張りなさいよ、そこは」


 撮影で色んなところに行く役者と違ってモデルは比較的長距離移動が少ない。

 お姉ちゃんが飛行機に乗るとしたら海外になるのかも。アメリカとかフランスのファッションショーなんてトップモデルの行くところだけど。

 飛行機の座席は並びの二人席×2。

 かたまって取れたので交代もできるけど、ひとまずわたしと美空、お姉ちゃんとお母さんというペアになった。年長組は寝る気満々である。


「美空、窓側と通路側どっちがいい?」

「私はゲームしてるからお姉ちゃん、窓際いいよ」

「ほんと?」


 じゃあせっかくなので外の景色を楽しませてもらう。

 と言っても面白いのは離陸直後くらいで、後はあんまり変わり映えしない景色が続く。

 外を見るのは新幹線とかのほうが楽しいかも。

 しばらく空と雲を眺めた後はわたしも別のことを始めた。身体も動かせないし声も出せない環境はわたしにはちょっと手持ち無沙汰。代わりに選んだのは映画だ。気になっていた作品をサブスクでダウンロードしておいたのでこの機会に見せてもらう。

 夢中になっているとあっという間で、わたしたちは何事もなく北海道に到着。

 ハイジャックとか飛行機事故とか起こって急に世界観が変わらなくて良かった。


「わ、涼しいね」

「さすが北海道よね。夏だけここに住みたいくらい」

「じゃあ沖縄と北海道に別荘を作ろうよ!」


 西園寺家くらいお金があったら可能かもしれない。


「そうね、別荘よりは先に引っ越しかしらね」

「そう聞くとうちもけっこうお金に余裕あるよね……?」

「私とあんたも稼いでるのに余裕なかったら困るじゃない」


 確かに。

 到着した空港からさらにレンタカーを使って走ることしばらく。

 ようやくお婆ちゃんの家に到着した時には午後のおやつ時になっていた。

 平らな屋根をした白くて可愛い家。

 雪国といえばとんがり屋根かと思ったけど、周りに雪を落とさない工夫として逆に平らな屋根も広まってきているらしい。

 よく見ると完全に平らじゃなくて内側に緩い傾斜がついていたりする。あと大量に降った時は熱で雪を解かす機能があったりとか。

 チャイムを鳴らしてほどなく。


「美桜。お婆ちゃんけっこう特殊な人だから気をつけてね」

「え。今言うの? もうちょっと心の準備が──」

「いらっしゃい! まあ、美姫も美桜も美空も大きくなって!」


 家から出てきた初老の女性は笑顔でわたしたちを出迎えると、いきなりわたしを抱きしめてきた。


「美桜。記憶喪失になったんですって? 大丈夫だった? 元気なのは雑誌なんかで見ていたけど、もう心配で心配で」

「お、あの、お婆ちゃん、ちょっと苦しい……?」

「あら、ごめんなさい」


 ぱっと離れた彼女は照れ笑い。

 見ると、わたしたちやお母さんよりもだいぶ顔のつくりが北欧風だ。髪の色が白っぽいのは歳のせいというよりは外国の血か。

 お姉ちゃんが「相変わらずだね、お婆ちゃん」と笑って、


「お婆ちゃん、ちょっと感情表現がオーバーなの」

「母さんは若い頃向こうにいたから……」


 なるほど、特殊な人というのはそういうことか。


「さあさあ、なにもないところだけどどうぞ入って」


 お婆ちゃんの家は綺麗に片付けられていて落ち着ける空間になっていた。

 家具がどことなく北欧風なのも彼女の趣味か。

 こっちからのお土産を渡して、代わりに北海道ならではのお菓子なんかを食べさせてもらう。お婆ちゃんはずっとにこにこしてわたしたちを見つめていた。


「まったくもう。母さん、東京から北海道は遠いんだからあんまり呼びつけないでよ」

「放っておくとぜんぜん帰ってこないからでしょう? せめてあなただけでも顔を見せればいいのに」

「私も忙しいの。それに、会いたいのは私じゃなくて美姫たちでしょう?」

「そんなことないわ。あなたにだって会いたかったもの」


 まあ、それでも子供より孫に会いたくなるのが人情というものなんだろう。


「今日と明日は泊まっていけるんでしょう?」

「ええ。でもそれ以上は無理よ? 美姫も美桜も忙しいから」

「特に美桜ね。この子ったらあっちもこっちも手を出して」

「半分くらいお姉ちゃんのせいじゃない……?」


 わたしがジト目で睨むと、お姉ちゃんは知らん顔。

 お婆ちゃんがそれでくすくす笑って、


「本当に元気そうで安心したわ。三年も会わない間に見違えたみたい」

「……うん。えっと、なんか恥ずかしいな」


 初めて会う祖母という不思議な相手ながら、どこか親近感が湧くのは母に似た雰囲気があるからか。

 性格はそんなにお母さんに似てないけど。


「お婆ちゃんは北欧向こうに帰ろうと思わなかったの?」


 お菓子を食べ終わって紅茶片手にひといきついたところで尋ねると、


「そうね。日本のほうが便利だし過ごしやすいもの」

「北海道の冬は過ごしやすくないでしょう……」

「あら、でも、性能が良くて使いやすい家電や車があるのよ?」


 生まれ育ったのは向こうでも、こっちに越してきてからはすっかり日本に馴染んでしまったみたいだ。

 半分は日本人なのだからそういうこともある。


「それに、仕事もあったしね」

「お婆ちゃんってなんのお仕事してたの?」

「あら、言ってなかった?」


 首を傾げるお母さん。あいにく特に聞いた覚えはない。


「母さんは翻訳家。映画の翻訳なんかもしていたの」

「ちょっと私はまだ現役よ?」

「翻訳家……!? ぜんぜん知らなかったよ……!?」


 驚いて声を上げると、お母さんとお婆ちゃんは「言う必要なかったし」と声を揃えた。

 やっぱりちょっと似てるかもしれない。

 うん、なるほど、家にけっこう映画のDVDがあるのは知ってたけど、翻訳者の名前まで気にしたことはなかった。


「うちってやっぱり芸能一家なのかな」

「私の翻訳はちょっと違うけどね」

「それ言ったら私だってただのメイクだもの」


 広い意味で芸能界に関わるのはうちの血筋の宿命なのかもしれない。

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