美桜と本好き仲間たち(その3) 2016/5/30(mon)

「やっぱりラノベも知らないのばっかりだなあ」


 橘さんと縁ができてから数日。

 僕たちは散発的にグループチャットで会話を続けていた。話題はほとんどマンガとラノベ。後はマンガ原作のドラマやアニメの話とか。

 ラノベも男がいない影響をもろに受けていて、最近の有名タイトルは軒並み知らないものだった。ちょっと古いのだと知ってるタイトルもぽつぽつあるものの、読んだことがないので中身まで同じかどうかはちょっとわからない。


 橘さんは本当に本が好きらしく知識量も僕とは格が違う。

 『悪滅の聖槍』も読んでいて、僕が一日一冊ペースで書き込む感想にも快く応じてくれる。しかも、自分は最新話まで読んでいるのにネタバレなしの作品談義にまで付き合ってくれた。

 素晴らしい神対応。この場合は女神と言ったほうがいいか。


 おススメの本もいろいろ教えてくれる。

 ただ、一度スイッチが入ると「あれもこれも」とどんどん思いつくようで、僕の「次に買う候補一覧」は長くなる一方だった。


『すごいね。本当にたくさん読んでるんだ』

『好きだから読んでるだけだよ。それにお兄ちゃんの本を貸してもらったりもしてるから』 

『へー、お兄さんがいるんだ』


 中学生か高校生くらいだろうか。

 本の貸し借りをするなんて仲がいいんだろう、とほっこりしながら返信した僕は「……あれ?」と首を傾げた。お兄さん、ということはつまり「男」なのでは?

 前の世界みたいに「へー」で済むような話なのかと悩んでいると、橘さんも困っているのかメッセージがぱったり来なくなった。

 次に送られてきたのは一時間は経った。


『誰にも言わないで』


 切実な印象の短い文章に僕は『もちろん』と返した。


『みんなにバレたら大変だもんね。お兄さんを紹介してくれって』

『うん。だからみんなには言ってないの。ありがとう、香坂さん』


 あまり触れられたくないだろうお兄さんの話題はそこで打ち切って本の話に。


『悪滅も次で最新刊だから、次は何買おうかなあ。読みたいのが多すぎて困る』


 と思ったらまたメッセージが途切れて、


『じゃあ、うちに来る? 私の持ってる本なら貸してあげられるから』


 意を決したのがわかるお誘いが送られてきた。



   ◆    ◆    ◆



 香坂美桜さん。

 学年で一番、もしかしたら学校でも一番可愛くて、お洒落で、友達が多くて、学校の成績もいい女の子。

 スクールカーストで言うならたぶんトップ。親友の二人もお嬢様で可愛くて、私なんかとは住む世界が違う「すごい子」。


 ──香坂さんが事故で入院した。


 五年生になって一か月が経った頃、私はクラスのみんなと一緒に先生からそれを知らされた。

 詳しいことは誰が訊いても教えてもらえなかった。

 燕条君にはあんまり心配かけないようにみんな香坂さんの話は控えていたけど、女子の間ではある噂が囁かれた。


 香坂さんは事故じゃなくて、って。


 誰かが先生たちの話を盗み聞きしたというけど、『誰か』が誰かは誰も知らない適当な噂。

 でも、事故があったにしては早いタイミングで香坂さんが退院したのはちゃんとした証言してくれる子がいて──久しぶりに登校してきた香坂さんにも傷ひとつ見つからなかった。


 前と変わらない、羨ましいくらいの可愛さ。

 運動もすごく得意だし、勉強は前より得意になったかもしれない。


 でも、記憶喪失なのは確かだった。

 明らかに雰囲気が違う。周りのことにちょっと無頓着で興味のあることに一直線なところは変わってないけど、その性格が良い方に向かってるっていうか、今まで迷惑なくらい大好きだった燕条君に構わなくなって、代わりに友達と過ごすようになった。

 私は、今の香坂さんの方が好きだ。

 周りの子たちも悪く思ってはいないみたいで、彼女に気を遣いながらも楽しそうにしている。


 薬物や一酸化炭素中毒なら外傷はない。

 副作用で記憶がなくなってもおかしくないかもしれない。

 だとしたら、噂は本当なのかもしれない。記憶がなくなってしまったのは可哀想だけど、私たちにできるのは二度とそんなことをさせないことだけ。

 香坂さん本人にはもちろん言えない。

 言うとしても嬬恋さんや西園寺さんだ。だから私は余計なことは言わない。


 ただ、今の香坂さんとなら友達になれるかもしれない。

 分不相応に思って、マンガの件でその思いを抑えきれなくなって、私はある日香坂さんに思い切って話しかけた。

 結果は思っていた以上の大成功で。

 私はつい浮かれて家にまで香坂さんを誘ってしまった。



   ◆    ◆    ◆



「お邪魔します」

「ど、どうぞ」


 お誘いの翌日。

 僕は他の友達からの遊びのお誘いをなるべく怪しまれないように断って、学校を出た後こっそり合流するという方法で人目を避けて橘さんの家にお邪魔した。

 橘さんの家はバスでバス停二つ分先のマンション。

 念には念を入れたのはお兄さんのことがあるから。下手に知られて話が広がると面倒くさい。


「あ、広い」

「大したことないよ。ごめんね、散らかってて」


 謙遜とは裏腹にそこそこお値段の張るマンションだ。

 入り口はちゃんとオートロックだし玄関からの通路も広め。確かにちょっと物が多いかな? という印象はあるけれど、


「お母さん、編集者で。忙しいから家にあんまり帰って来られないの」

「そうだったんだ」


 じゃあお父さんは、と反射的に尋ねそうになるのを僕はぐっと堪えた。この世界だと男親と女親が揃っているのはかなり珍しい。

 向こうの世界でもちょっとずつ当たり前になってきていた「気づかい」がこっちではもっとずっと当たり前だ。


「お兄ちゃんもまだ高校から帰ってないと思うから」


 と、橘さんは自分の部屋へと招いてくれる。

 靴を脱いで揃え、廊下を橘さんに続いて歩いていくと鼻をくすぐる慣れ親しんだ空気。男子のいる空気感とでも言おうか。小五の湊にはまだ感じない、向こうの世界では色んな意味で当たり前だった「男のいる空間のにおい」を僕は久しぶりに感じた。

 こっちの世界は男が少ないせいか全体的に空気が爽やかというか、必要以上に清潔感で溢れている感じがある。悪いことではないけれど僕はこのくらいのほうが落ち着く。


「どうぞ」

「わ……!」


 橘さんの部屋は本で溢れていた。

 基調色は黒。本棚が五つもあり、その九割が埋まっているうえに勉強机にも本。それでも収まりきらなくて外付け本棚と本棚で挟み込むようにして文庫本が詰め込まれている。

 ただ、努力の甲斐あって床に本が積み上がるような事態にはなっていない。本が多すぎるイメージはあるものの、できる限り整理整頓は施されていて落ち着きもある。


「すごいね」


 心から言うと、橘さんは「……恥ずかしい」と俯いてしまった。


「そ、それより、好きな本を持って行っていいよ」

「ありがとう。でも、これはなかなか難問かも」


 おススメされた本は橘さんが読んだ本なわけで。つまり、彼女かお兄さんの所有物である可能性が高いわけで。

 リストから選ぶよりはマシだけど、どれにするか迷ってしまう。

 何冊までならドン引きされずに了承してもらえるだろうか。いや、鞄の容量を考えても二、三冊にしておいた方がいいか。

 と。


「……ふふっ」


 不意に橘さんが笑みをこぼした。可愛い表情を思わずじっと見つめていると「ごめんなさい」と慌てて、


「香坂さんが真剣に選んでるから、つい」

「あ、良かった。そういうことか。真剣すぎてきもい、とか言われるのかと思った」

「言わないよ、そんなこと。友達、だもん」

「そっか。友達だもんね」


 美桜には友達がたくさんいる。それはもちろん元の美桜が作った交友関係なわけで、そう考えると橘さんは僕が自分で作った友達第一号と言えるのかもしれない。

 気分の良くなった僕は「ゆっくり選んでいいよ」と言って自分も本棚を覗き込む橘さんと一緒に二冊の本を選んだ。


「それだけでいいの?」

「うん。あんまり多いとこっそり持ってくるのが大変だし」


 恋あたりが目ざとく見つけて「その本どうしたの?」と悪気なく聞いてくる未来が見える。


「返す時もお邪魔させてもらった方がいいかな? 学校で渡しても大丈夫?」


 女子で溢れている学校内で二人きりになれる場所があるだろうか。考えつつ尋ねると、橘さんは少し驚いたような顔をして、


「また来てくれるの?」

「迷惑じゃなければまた来たいな。……だめ?」


 僕は友達に甘えるようにしてそう答えた。

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