新米少女と女の子レッスン 2016/5/7(Sat)
僕──
祖母の代に北欧の血が入っているそうで、肌は白くてすべすべ。さらさらの髪は肩の下くらいまである。人形、あるいは妖精めいた顔立ちはついつい見惚れてしまうほど。
もし、元の世界で出会っていたらどきどきしたのは間違いない。
高校生の僕じゃ歳の差的に恋愛的なときめきは発生しなかっただろうけど。
深海のような青がかすかに混じる美桜の瞳に見つめられたら落ち着かない気持ちになったはず。小学生の、しかも女の子なんてただでさえ何を考えているかわからないのだ。
とはいえ。
その美桜になってしまったからにはクラスの女子と仲良くしていかないといけない。
「美桜が思い出せるようにしっかり協力してあげるからね」
「お願いします」
僕は帰宅したその日から家族にサポートされて元の生活を思い出すための(僕にとっては女の子としての生活に慣れるための)勉強を始めた。
お姉ちゃんの
子供向け雑誌の読者モデルから正式なモデルになったという彼女は僕に負けないくらいの美少女で言葉遣いや姿勢にうるさい。お母さんはお見舞いの間、仕事を休んでしまった分、忙しくなったのもあってその代わりはお姉ちゃんが務めてくれた。
リビングでの話を終えた僕はまずお姉ちゃんに連れられて自分の部屋に移動した。
階段を上ったところから近い順にお姉ちゃん、僕、妹の部屋。
我が家には「お父さん」はいない。お母さんは仕事関係の相手と恋愛して結婚することなく僕たちを産んだらしい。
(この世界だとこういうのは特に珍しくない)
なので家には男っ気がない。父親用の書斎とかが必要ない分、子供部屋に回すスペースも元の世界より多くなっているのかもしれない。
さて。
『mio』と書かれたプレートの下がるドアを開けるとほんのりピンク色の空間が広がっていた。
広さは約六畳。
勉強机に本棚、クローゼットに半身鏡。勉強机の棚にはファッション誌が並んでいて、本棚の方は主に少女マンガ。ベッドの上には大小のぬいぐるみが合計で五体。
机の横にかけられた通学鞄は普段使いもできそうなお洒落なデザイン。
クローゼットの扉にかけられた制服は紺の上着に赤黒チェックのスカートだ。いかにも女の子、っていう感じの光景に思わず入り口で足が止まった。
「美桜?」
「ううん、なんでもない」
勉強机の前に置かれた回転式の椅子に腰かけるとお姉ちゃんは慣れた様子でベッドに座った。
それからじっと僕を見てきて、
「ど、どうしたの?」
「どうもしないよ。ただ、私の妹は本当に可愛いなあ、って」
「っ」
不意打ちに赤面しながら顔を逸らす。
男子が言われる「可愛い」は高確率で悪口だ。この手の褒められ方には慣れてない。というか「格好いい」も滅多に言われたことがないし、こっちも高確率で悪口だった。
深呼吸してからそっと視線を戻すと、
「素直な美桜はよけい可愛いかも」
「なに言ってるのお姉ちゃん」
「ほら、それ。いつもなら絶対睨んでくるのに」
「わたし、変?」
「むしろもっと私に懐いてほしい」
これ見よがしに腕を広げられても困る。
どうやらお姉ちゃんはかなりのシスコンらしい。下手に甘えたらその分だけ甘やかし返されそうだ。
と。
「でも、姿勢は全然だめ。歩き方もだめ。声の出し方もなんか変」
「ええ……!?」
和んだどころで盛大なダメだしをされた。
「背筋は曲げない。椅子に直接お尻をつけない。声は抑揚をもっと意識して。……記憶喪失って人によって症状が違うって言うけど本当なんだ」
「お姉ちゃん、もしかしてけっこう厳しい人?」
「これくらいできて当たり前だよ?」
僕の振る舞いに違和感があるとしたらそれはきっと男女の差が大きい。
男と女じゃ立ち方歩き方座り方喋り方、ぜんぶ違って当たり前で、美桜になった僕はその全部ができてない。そんな状態じゃ友達と会っても不思議がられるに決まっている。
学校にはお母さんが連絡してしばらくお休みすることになった。
記憶喪失の件も伝えてもらったので少しくらいの違和感は大丈夫だろうけど、逆に言うと「少し」で済むくらいに頑張らないといけない。
「とりあえず私やお母さんをお手本にしてみて」
「うん。ありがとう、お姉ちゃん」
「どういたしまして」
お礼を言うとにっこり笑顔が返ってくる。
今日は土曜日。友達と遊ぶ約束だってあったかもしれない。せっかくの厚意は無駄にできない。
「……うん。これ、ついでにいろいろ教えられるんじゃない? モデルになっても困らないようにちょっと厳しめに……」
「お姉ちゃん?」
「なんでもない。こっちの話」
なんか誤魔化された気がする。
◇ ◇ ◇
お姉ちゃんとそうやって話した後はお風呂に入った。
昨日は軽く身体を拭くだけで済ませたので「さっぱりした方がいい」と家族に言われたからだ。
脱衣所で服を脱いで鏡に立つと、少しずつ女の子らしく成長しつつある美少女の姿。
記憶にある自分との違いに軽くため息をついてから、僕は浴室に入った。
『いい? ちゃんと丁寧に洗ってね? ごしごしするんじゃなくて泡で洗う感じ』
お姉ちゃんやお母さんから「一緒に入る?」と言われたのはさすがに断った。
代わりに教えられたのはお風呂の基本。人間なんだしやり方はそんなに変わらないんじゃ、と思ったら「女の子の身体はデリケートなんだから」とのこと。
確かに
シャワーの粒が肌を伝う感覚がなんだか気持ちいい。水の弾き方もしっかりしている気がする。
『髪の毛はしっかり洗い流してからシャンプーを使ってね』
一分くらい数えてから、子供用と大人用で分けて置かれているボトルのうち子供用の方からシャンプーを手に取る。
指でわしわしとやりたくなるのを抑えて薬液を丁寧に馴染ませてからお湯でしっかり洗い流し、コンディショナーを馴染ませた。
浴室内には柑橘系の香り。
ボディソープをたっぷり出してこれでもかと泡立てる。
冗談みたいにもこもこした泡を肌に纏わせるように、なるべく力を入れないように指を滑らせると気持ち良さに声が出そうになった。
ごつごつしたところのない緩やかな身体のラインは手で洗いやすい。
でっぱりのないなだらかな下腹部はどう洗うべきか困ったものの、傷つけないように気をつけながらそこも洗った。
わざわざ入れてくれたお風呂はちょうどいい温度。
『半身浴』
ちゃぷ、と、足先からゆっくりと浸かって、しっかりと足を延ばしても余裕のある広さに感動する。それとも単に僕の身長が低いから? いや、それを差し引いても広い気がする。
なんというか、
「……気持ちいい」
心地良さに浸っていたせいだろうか。
お風呂から上がった後で時計を見たら男だった時の平均タイムの倍くらい時間を使っていて愕然とした。
◇ ◇ ◇
下着は上がキャミソールで下がショーツで、運動する時はスポブラを使う。これは正直助かった。いきなりブラなんか付けたら違和感がすごかったと思う。
今でも十分、女装している感があるのだ。
同時に発見もいろいろあって。
女の子の服はだいたいそうだけど下着は特に生地が柔らかい。肌触りも段違いだ。急な凹凸のなくなった身体にはショーツのぴったりとしたフィット感がよく合う。
小さなリボンやフリルがついていたりして可愛いデザインなのはこの際、あまり意識しないようにする。
それから、
「スカートってなんでこんなにひらひらしてるんだろう……」
美桜の私服はほとんどがスカートだった。
色も赤とか鮮やかなものが多い。穿き方は意外と楽で、物によってはウエストにゴムが入っていてパジャマと似たような感覚で身に着けられる。
下が開いているうえに動くと揺れるのはつける側になってみるとものすごく不安だ。
どうして女子はこんなエロ、もとい防御力の低い服を着るんだろう。スカートに生足とか絶対無理だ。せめて靴下。タイツとかストッキングが流行る理由がよくわかる。
僕がスカートを気にしているとお姉ちゃんが「下着が見えないように見せパンを穿くのもいいよ」と教えてくれた。
見せパン、要するに見えてもいいパンツ。
見せてもいいのにパンツとはいったい。男子的にはどっちも嬉しい気がしたけど、「海で水着はOKなのに下着はNG」なのと同じと解釈。
「女の子ってあんまりパンツ(※これはズボンの方)穿かないの?」
「そんなことないよ? お母さんはパンツだったでしょ?」
大人の女性は仕事内容に合わせていろいろ選ぶし、子供や学生も動く時はパンツを穿く。
僕の私物にスカートが多いのは単に本来の美桜の趣味らしい。
理由は「その方が可愛いから」。
ちなみに女の子用のパンツは男の子用に比べてタイトな造りのものが多いそうだ。
たぶん、余計なでっぱりがないからだ。代わりにお尻の部分は余裕のある造りになっているらしい。あとデザインがそこはかとなく可愛かったりする。
男装という文化はこっちにもあるものの、そういう時は男装用のレディースを着るのが主流で本当のメンズ服はあまり使われない。理由は需要が少ない=値段がその分高いから。なお、男子が買う分には補助が出て安く買えるシステムなのだとか。
女の子らしい振る舞いは難しい。
お風呂の後は髪をちゃんと乾かして丁寧に櫛を通す。
歩く時は大股にならず内腿を擦り合わせるように。
激しい動きをするとスカートが乱れがちになるので気をつけて。階段を上る時は後ろ手にスカートを押さえるようにするといい。
食事を口にいっぱい詰め込むとお行儀が悪いので食べるのは少しずつ。できれば先に野菜を食べてから肉や魚を食べる。栄養バランス良く、食物繊維やビタミンは特に大事。脂質や糖質は取り過ぎないように。
口を大きく開けて笑うのも控えて、口の中が見えそうな時は手を添える。
……などなど、ことあるごとに指摘されてうんざりしそうになりながらも少しずつ、お母さんやお姉ちゃんから何か言われる頻度は減っていった。
お母さんやお姉ちゃんはお手本に指定されるだけあってこの辺がしっかりしていた。モデルのお姉ちゃんも芸能人と仕事をすることのあるお母さんも美容とかお洒落には気を遣う人なのだ。美桜がこれだけ可愛いのは家族の影響とたゆまぬ努力もあったのだ。
と、思ったら、
「美桜、食べ物の好みもちょっと変わったよね。前はポテチとかすごい好きだったじゃない」
ポテチも肉も今でも好きだ。
ただ、できるだけ控えるように気をつけているだけ。身体が小さくなった分、食べられる量も少ないから少しの量でも満足できるし。
「お姉ちゃんも気をつけてるんでしょ? ストレス溜まらない?」
「もちろん食べたくなる時もあるけど、なるべく我慢するよ。綺麗になりたいからね」
さすがお姉ちゃん、と感心していたらその日の夕方、風呂上がりにアイスを食べているのを発見した。
「お姉ちゃん?」
「ああ、美桜。ちょっと食べる?」
「……じゃあ、ちょっとだけ」
少し分けてもらったお高いカップアイスは感動してしまうほど美味しかった。
「泣きそうになってる。初めて食べたわけじゃないでしょ?」
「そうだけど」
身体に引っ張られて味覚が変わったのか甘い物がすごく美味しく感じる。
気を抜くと食べ過ぎてしまいそうな気がしたのでこれもなるべく控えることに。
「でも、考えてみると女子には過ごしやすい世界だよね、ここ」
変質者とかストーカーとか少ないに違いない。
男が貴重だから普通にみんな彼女ができるし結婚もできる。わざわざ変態行為をしなくてもすむ。
……と、思って調べたら意外に件数が多かった。
男の犯人もいるけど割合は少なくて、ほとんどは女の犯人が同性や異性を狙うケース。どうやらそうそう上手くはいかないらしい。
「美桜は可愛いんだから変な人には気をつけなよ。外に出る時は防犯ブザーを必ず持って」
という、お姉ちゃんからのアドバイスに僕は「うん」と素直に頷いたのだった。
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