♂♀ 1:1世界の平凡高校生 ⇔ ♂♀ 1:100世界のハイスペ美少女

緑茶わいん

プロローグ 2016/5/6(Fri)

「ん……っ」


 小鳥の囀りが聞こえる。

 微睡みの中、瞼の裏に柔らかな春の陽光を感じた。


 今、何時だろう。


 昨夜よく眠れたのかいつもより身体が軽い。

 枕元にあるはずのスマホを探してごろん、と寝返りを打ち──僕は、自分の寝ている場所が自室のベッドじゃないことに気づいた。

 仰向けに見上げると壁も天井も淡いピンク色。

 頑丈で機能的な感じのベッドと医療ドラマなんかでよく見るボタン。

 簡単なトイレや洗面台もついたそこはどう見ても病院の一室だった。


「……え? なにこれ?」


 呆然と呟いた声が妙に高い。

 弾かれたように身を起こせば、はらりと頬にかかる長い髪。

 身体が軽いのも当たり前。僕の身体は白くて細く、小さくなってしまっていた。


 愕然としながら昨夜のことを思い返す。

 特に変わったことは何もなかった。宿題を終えて自室のベッドに入っただけ。

 寝ている間に発作を起こして緊急入院、何か月も意識が戻らなかった、とかだったらまだ理解できなくもないけれど。


 明らかに女の子用のフリルの付いたパジャマと、手を当てるとほんのり膨らんでいるのがわかる胸が「何か特別なことが起こっている」と僕に教えてくれた。


 この状況をまとめるとこういうことだ。


 目が覚めたらある日突然、女の子になっていた。



   ◇    ◇    ◇



 勝手の違う身体に戸惑いながらベッドを下りる。

 視界の低さに驚きながら小さな足にスリッパを履いて洗面台へ。

 据え付けの鏡を見るには背が届かなかったけど、傍に使踏み台が置かれていたのでそれを使った。


「わ、可愛い」


 映し出されたのは端正な顔立ちをした

 小学校高学年くらいだろうか。

 日本人にしてはかなり色白で瞼は二重。小さくて綺麗な色の唇も形のいい耳も何もかもが平凡な男子だった僕とは全然違う。

 見覚えはない。

 元の僕にも似ていない。何がなんだかわからなくなって頬をつねっても夢から覚めるなんてことはなく、


「あ。香坂さん、よかった。目が覚めたんですね」


 途方に暮れていた僕を部屋に入ってきた看護師さんが救ってくれた。



   ◇    ◇    ◇



「香坂さんは一昨日の夜、部屋で倒れていたそうです。ご家族がとても心配されていましたよ」


 僕、というかこの子の名前は香坂こうさか美桜みお

 倒れていたのを発見されてからまる一日以上眠っていて、今朝ようやく目覚めたということらしい。


「あの。僕、じゃなくてわたしの家族って」

「今日もお見舞いに来られると思いますよ。目が覚めたところを見せて安心させてあげましょうね」

「あ、えっと、そうじゃなくて、どんな人ですか?」


 僕の質問に笑顔で答えてくれた看護師さんは、続けての質問に真顔になって僕の顔を覗き込んだ。

 近い。

 相手は若い女の人だ。キスできそうな距離まで顔を近づけられた経験なんて僕にはない。思わず顔を真っ赤にしてしまうも、向こうはそれどころではないらしく、あくまで真剣な顔をして質問してきた。


「香坂さん。お母さんやお姉さん、妹さんの顔は覚えていますか?」

「……すみません。全然、覚えていません」


 和やかな朝の雰囲気が一転、ナースコールからの検査が始まってしまった。

 駆けつけてきた先生は幸か不幸か女の人。

 問診、触診、心音など体調面での異常がないか確認されて、


「じゃあ、身体は元気なのね?」

「はい。お腹が空いているくらいで、痛いとか苦しいとかはぜんぜん」

「そう。……精神科は専門じゃないから、後でちゃんとした先生を呼んでくるけど、覚えていることがあったら整理しておいてくれる?」


 精神科の先生にも診てもらった結果はざっくり言うと「部分的な記憶喪失」。


「主に人間関係の記憶が消えているみたいね。物の名前や使い方は覚えてるみたいだけど……他にも飛んでいたり齟齬のある記憶があるみたい」


 先生から文字で見せられた自宅の住所は見覚えのないもの。

 元の僕と住んでいる地域は同じだったものの、市や町の名前、お店や商品の名前なんかに知らないものが交じっている。

 見知らぬ場所に飛ばされたのとは少し違う、知っている場所のはずなのに知らないことが次々出てくる奇妙な違和感。

 許可をもらって踏み台に乗ったまま窓の外を広く見渡すと──。


 なにか、違う。


 基本的な光景は現代日本の平和なそれ。

 見慣れない文字が溢れていたり外国人が異様に多かったり、道行く人が刀や銃を持っていたりドラゴンが空を飛んでいたりはしない。

 なのにどこかおかしくて、僕はそれを見つけようとしばらく街を眺めて、


「……男がぜんぜんいない」


 窓から見える範囲なんて大したことはないけど、それにしたって男女の比率に大きな差があった。

 平日だから主婦の多い女のほうが通院しやすい? でも、若者だけでなくおじいさんの姿もほとんど見えない。

 駐車場に停まった車も黒やシルバーが少なめで淡い色合いや赤、黄色などの比較的目立つ色合いが多い。まるで、車の色を男じゃなくて女が決めている家庭が多いみたいに。

 すると先生が僕の後ろから外を眺めて、


「男の人はあんまり見かけなくても当然でしょう?」


 看護婦さんが「今の男女比はどれくらいでしたっけ?」


「だいたい1:100。あと何年かしたら1:110になるかもって言われてるわ」

「ああ、そうでした。でも、それ毎年言ってますよね?」

「十年前くらいに比べるとだいぶ偏ってるわよ。四捨五入してるから実感ないだけ」


 何気ない会話──地球温暖化と平均気温について話すノリで語られたに僕は一人静かに愕然とした。


「男が、少ない?」


 それが本当なら、この世界は僕の知っている地球じゃない。

 どういうわけか僕は別の世界の見知らぬ女の子と入れ替わっていて、しかも、この世界には男が女百人につき一人の割合でしか存在しないらしい。

 夢だとか夢じゃないとか、男に戻る方法がどうとか、これはそんなレベルの話じゃないことを僕はここではっきりと理解した。



   ◇    ◇    ◇



 異世界に来てしまった衝撃から僕がひとまず立ち直った頃、病院から連絡を受けた僕──というか美桜のお母さんがお見舞いに来た。


「美桜!」


 歳は三十代後半くらいだろうか。

 春物のセーターにデニムを合わせた若いお母さんだ。今の僕によく似ていてかなりの美人。その姿をじっくり見るより先に駆け寄られてぎゅっと抱きしめられた僕は服やブラ越しでもわかる胸の大きさと柔らかさにどきどきしてしまった。

 花のようなシャンプーの匂いと本人のものらしいひだまりのような匂い。

 どきどきと同時に安心も感じるのは身体が覚えているからだろうか。


「あの、お母さん。わたし……」


 他人の母親に抱きしめられている罪悪感から声を絞り出せば、彼女は「いいの」と言って僕を至近距離から見つめた。


「先生から話は聞いたから。心配しないで。思い出すまでじっくり待ちましょう?」

「う、うん」


 待ったところで記憶が戻ることはあるのだろうか。

 入れ替わりのことはさすがに話せない。話しても信じてもらえない可能性が高いし、信じてもらえたとして「あなたは私の娘じゃない」と放り出されても困る。ある日突然元に戻る可能性も考えるとなるべく元の生活を維持したほうがいいはずだ。

 僕の浮かない顔をどう解釈したのかお母さんは目を細めて、


「焦らなくていいから。いきなり家に帰るのが不安なら何日か入院してもいいし」

「でも、お金が余分にかかっちゃうんでしょ?」

「そんなこと気にしないの」


 個室の料金もそんなに安くないだろうに、きっぱりと言い切った。


「美桜が幸せなのが一番なんだから。ね?」

「お母さん……」


 この子、物凄く幸せな子なんじゃないだろうか。

 僕は自分のことじゃないはずなのについつい涙ぐんでしまって、


「でも、あんな危ないことはもう絶対しちゃだめ。いい?」

「はい」


 優しい口調から一転、有無を言わせぬ迫力のお母さんに恐怖した。

 いったい何をやったんだ、元の美桜ぼく



   ◇    ◇    ◇



 僕は悩んだ末、もう一日だけ入院させてもらって翌日に退院することにした。

 検査などが終わって暇になった後、お母さんが持ってきてくれた美桜のスマホを使ってこの世界の情報収集をする。


 結果、どうやらこの世界の男女比が崩れ出したのは百年くらい前から。

 原因は世界的に男が生まれにくくなったこと。

 遺伝子の異常とも言われているけれど原因は不明。年々少しずつ男女比が傾いているようで、最初はあまり影響がなかったものの男性中心の社会がだんだん維持できなくなって、今では完全に女性中心。


 数少ない男子は各種保障などによって大事に育てられる。


 男の代わりに力仕事もIT関係も農業も女が担っていて、この影響なのか恋愛に積極的──いわゆる肉食系の女子が多いようだ。

 何しろ男が少ないのでガツガツ攻めていかないと結婚もできないし子供も産めない。

 今は人工授精で子供を作れるようになったので人口は安定しているものの、男に選ばれて愛されるのは女の憧れ。数少ない「結婚」の幸せを手にした女子は一番の勝ち組として扱われるらしい。


美桜ぼくなんか本当ならすごくモテそうなのに」


 肝心の男子自体がほとんどいない。

 男女比1:100だと共学校だとしても一学年に男子が一人か二人くらい。

 恋愛や結婚は基本的に男のほうに選択権があるけど、男子に選んでもらうにはアプローチが大事なので女子の方がぐいぐい来る、と。

 いや、今の僕は女なんだからぐいぐい行く、になるか。


 スマホのグループチャットアプリを起動して履歴を確認するとクラスにいる唯一の男子の話題がかなりの割合で含まれていた。

 彼に話しかけられたとか彼が笑ってくれたとか彼の食べ物の好みはなんだとか効果的なアピールの仕方はなんだろうとか。困ったことに美桜ぼく自身のメッセージも結構、というかかなり多い。

 眩暈に襲われつつ、僕はひとまず友達からの新着メッセージに対して現在入院していること、心配かけて申し訳ないことだけを返した。


「肉食系女子の真似とか無理だよ」


 穏便にやり過ごすにしても元の美桜そのままにはできない。

 幸い記憶喪失ということになったし、性格が変わっても見逃してもらえるに違いない。

 友達の相手はなんとか頑張るとして、もう少し大人しい生活を送りたい。


「お帰り、美桜。本当に心配したんだからね?」

「お帰りなさい、お姉ちゃん。もう絶対、あんなことしちゃだめだからね?」

「ただいま。二人とも、心配をかけて本当にごめんなさい」


 翌日、母に連れられて訪れた家は二階建ての庭付き一戸建てだった。

 二歳年上の姉と三歳年下の妹、それから僕。三人にそれぞれ一人部屋が与えられていて、リビングその他の家具は女性らしい華やかさと大人の上品さが合わさったもの。

 お母さんは芸能人等にメイクを施す仕事をしているらしい。

 なかなかの売れっ子で仕事には困っていない、と自分で言っていたけど、この分だとそれは本当らしい。


「あの、ところでわたし、いったいなにをしたの?」


 恐る恐る尋ねると母と姉妹は揃って「本当に覚えてないんだ」という顔をして、


「美桜は変なおまじないの途中で倒れていたの。見つけた時の私の気持ち、わかる?」


 なんだか家の中が煙たい。

 夜中、トイレに起きた母がそう思って出所を探すと美桜ぼくの部屋に五芒星の描かれた敷物がしかれ、何本もの蝋燭が立てられ、魔法陣の中心にはコンビニのサラダチキンが置かれ、怪しげな内容の書かれた本が開かれたまま置かれていた。

 僕はそんな部屋の中で倒れていて、お母さんは慌てて窓を開け蝋燭の火を消し、救急車を呼んで僕を助けてくれたのだそうだ。


 心配されて当然だ。


「ちなみにその本って……?」

「もう処分したからないわ。それより、絶対もうしないって約束して」

「……はい」


 もう儀式はやらないけど記憶喪失の原因があるかもしれない。そう言ったら本のタイトルだけ教えてくれた。

 スマホで調べてみたところ(こういう時にネットは便利だ)どうやらその本にはいろいろなおまじないが書かれていたらしい。

 詳しい内容まではわからなかったものの、例として並べられた効果の中に、


「入れ替わりの、儀式」


 確証はないものの、僕がこうなった原因はまず間違いなくそれだ。

 美桜は誰かと入れ替わろうとして儀式をして、たぶんその内容が間違っていたか、手順を失敗してしまった。その結果、狙った相手じゃなくて別の世界のよく知らない人間──つまり僕と入れ替わってしまった。


 今頃、向こうも僕の身体で苦労しているのかもしれない。


 こんな美少女だったのに僕なんかになってしまったのは少し可哀そうだけど自業自得とも言える。

 なにしろ理由がこれなら僕は何も悪くない。

 もう一度儀式をして身体を戻すのもきっと至難の業だ。試してみて失敗したら目も当てられないし、成功したとしても元の身体に戻った本当の美桜がお母さんたちから死ぬほど怒られるに違いない。


「だったら、僕が美桜をしてもいいよね」


 簡単には戻れないならせめてこの身体での生活を楽しませてもらう。

 どうせならこの世界の男と入れ替わりたかった。そうしたらハーレムも簡単に作れただろうけど、こんな可愛い女の子になれたならそれはそれで悪くない。

 この世界なら無理して結婚させられることもないし、独り身でいてもそんなに不自然じゃないはず。

 案外、気楽に日々を送っていくことができるかもしれない。


「よし、やってみよう」


 こうして、僕の新しい生活がそこから始まった。

 お母さんやお姉ちゃん、妹の協力を受けて一つ一つ『香坂美桜』の情報を覚え、慣れない女の子の生活に慣れていって、だいたい一週間が経った頃。

 家族から「これなら学校に戻っても大丈夫」と太鼓判を押された僕は小学校に復帰することになった。

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