第2話 深山の失敗

 振り返ると、古谷は何か難しい顔をしている。どうしたのだろうと、小首を傾げて「なんでしょうか?」と尋ねると、彼はおずおずと質問した。


「……深山みやま先生って、大学を卒業してからすぐ教師になったんですか?」


 何故そのようなことを聞くのだろうか、と思いつつも素直に答える。


「はい。今の古谷ふるたにさんと同じです」

「そうですか」

「と、言っても、私は『教諭』ではなく『講師』の立場ですから、クラスの担任を持ったことは一度もありませんが」


 講師でもクラス担任にさせられることもあるようだが、幸い深山はその仕事を担ったことはない。

 すると古谷はしょんぼりとする。


「そう、ですか……」


 それを見て、深山は「ああ、なるほど」と思った。

 彼は教師になるつもりで大学まで勉強をしてきたのだろうが、最初から担任を任されるとは思ってもみなかったのだろう。これからどういうことが起こるのか見当もつかないし、他の教師に聞いてみたいが、皆年度初めの準備でてんやわんやで聞く暇もない。そこでようやく話ができそうな深山を捕まえたが、「担任をしたことがない」というのでがっかりしたのだと推測した。 


「もしこれからのことが心配なら、朝倉先生に聞くといいですよ」


 深山は言った。これから古谷がするであろう苦労を、朝倉は昨年やっている。

 彼女も大学を卒業してすぐに二年生の担任を任され、とても頑張っていた。責任感が強く、自分がしなければいけないことは全部自分でしないといけないと思っている節があったが、年末になったころ心境の変化があったのか、その辺りから少しずつ人に頼るようになったようである。


「彼女も去年大学を卒業したばかりで、二年生のクラスの担任を任された人ですから。きっといいアドバイスがもらえるんじゃないでしょうか」


 すると古谷は、唸りながらうつむいた。


「他の先生にも聞いたらそう言われたんですけど……、朝倉先生忙しいみたいで、ピリピリしていて……聞くに聞けないと言うか……」

「なるほど」


 古谷の言うことも尤もだと思って頷く。何か上手い言い方はないかと考えていると、先に彼が質問をした。


「深山先生って、先生になってから失敗したことってあります?」

「失敗が怖いのですか?」


 尋ねると、古谷は頭をかいて申し訳なさそうに吐露とろする。


「まあ、はい。というよりか、すでに幾つかのことをやらかしています……。こんなんで、教師なんて勤まるのかなと……思い始めているところです」

「そうですか。まあ、最初は誰でもそんなものだと思いますけど――あっ」


 何かを思い出したように声を出すと、「私は、ちょうど紙にまつわる失敗をしたことがあります」と言った。


「お聞きしても?」


 古谷の問いに、深山はすぐに語りだした。


「さっき、学校にある紙は税金で買ってもらっていると言ったと思いますが、無駄遣いをしてしまったことがあるんです」

「印刷を失敗したからですか?」


 深山は首を横に振る。


「いいえ。前にいた中学校での話です。私も教師になったばかりでしたから、生徒との距離感に困っていて。特に中学一年生ですね。あの子たちは、三月までは小学生だったわけです。ですから、まだまだ幼い感じがあって、自分の思うままに行動するときがあります。彼らは中学一年生になって、初めて部活に入り、自分の体を鍛えていきます。そしたら、男子生徒が悪ふざけをして、力比べのために『腕相撲』を始めたんです」

「先生もやったんですか?」


 深山は肩をすくめて笑う。


「あまりそういうのは得意じゃなくて。何とか避けようと思って、条件を出したんです。『紙を十回折りたたむことができたら腕相撲をしてあげる』って」


 古谷は、眉を寄せ小首を傾げた。


「紙を十回折りたたむ? そんなの簡単じゃないですか?」


 すると深山はちょっと意地悪そうな、でもどこか嬉しそうな笑みを浮かべる。


「じゃあ、印刷に失敗した紙で実際に折ってみてください」

「?……はい」


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