大学日本拳法人の必読書 V.1.1

@MasatoHiraguri

第1話 宮本武蔵 「五輪書」岩波文庫

「究極のシンプルさの追求が豊かな精神につながる」

これが武蔵の精神です。

①「でした。」という完了形ではなく「です。」という現在進行形。

武蔵の精神は、文字通り今も生き続けている。


②「豊か」というのは、一回こっきりの人生に於ける「楽しさ・豊かさ」だけでなく、何度でも自分の人生を楽しむという超の二乗くらいの長い時間・様々な次元と位相における豊かさです。

日本拳法の試合に勝ち負けがあるように、社会人でも(短期・中期・長期における)勝ち負け(成功と失敗)の繰り返しです。億万長者でゲーム終了となるか、それを通り越して乞食で終わるか、或いは、鳴かず飛ばず、平凡な面白みのない人生で投了(ゲームオーバー)となるか。しかし、大切なのは「次へつなげる人生」ということなのです。


イエス・キリストは「預言者」「救世主」という高みから、パリサイ派猶太人によって一気に「悪魔」に格下げされ・貶められ・民衆から忌み嫌われて、悲惨な死に方をしました。ところが、彼はその人生を何度も繰り返しているわけですから、酸いも甘いも知り尽くした本当の楽しみと悲しみを十分味わっている。

宮本武蔵という、生涯、肩書や権威に頼らないで戦うというポリシーで生き抜いた男もまた、その形而上的な存在感はイエスと同じく桁外れです。その意味では、「国定忠治」岩波新書で紹介された忠治の「死に様」もまた、再現性のある「生き様」になりました。


武蔵「五輪書」のどこをどう読め、なんてことは無意味です。

いつでも本棚に置いておき、気が向いた時に(集中して)読めばいいのです。

武蔵と同じ在来種日本人・縄文人であれば、自然に一体化できるのですから。


因みに、現在の日本の禅とは、三国人(パリサイ派猶太人・韓国人・在日韓国人・台湾客家)と同じですから、くれぐれも「騙され」ないように。

宋代、中国で生まれた禅には、その誕生理由と存在意義があったのですが、いつのまにか「三国人的俗っぽさ」に背乗りされ、全く異質なものとなってしまいました。

現代の禅とは生きていない。

私たちはその化石を見ているのです。


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