天ヶ瀬結の事件簿③ 『モルグ海の殺人』事件

乃木口正

第1話 出題編

列車に乗りはじめてからしばらく経ったころ。オレがにわかにそわそわするのを見て、

「お兄ちゃんなら、担当している事件が山場をむかえているらしく、しばらく寝泊まりしていますから、こっちにはやって来ないですよ。」

 と、ボックス席の正面に座る少女が言った。


「いいや、あの人のことだから、いつどこで監視しているか分かったものじゃあない――って、なんでオレがお前の兄さんのことを考えていたって分かったんだ?」


 目をしばたたかせながら、オレは天ヶ瀬結を見た。

 電車に乗ってから、オレは一言も彼女の兄の話題は出していない。それどころか他の話に花を咲かせるわけでもなく、車窓を流れる景色を眺めていた。なのに天ヶ瀬はオレの思考を読み取った。


 何故?


「簡単です。」口許に手を添え、彼女はくすくすと笑う。「順を追って説明します。」

 記憶を遡るように大きな瞳を閉ざし、天ヶ瀬はゆっくりと語る。


「まず、乗車して荷物を網棚に乗せようとした時に、別の乗車客がぶつかってきたのにお詫びの言葉がなかったことに腹を立てた乃木口くんは、電車が動き出しても不貞腐れたまま窓の外を眺めていました。しばらく走っていると車窓の風景は長閑な田園風景へと変わり、その景色を見ていると、不意に口許に笑みが浮かぶのが確認できました。乃木口くんの性格からして、のんびりとした風景を眺めて心安らかになるなんて思えませんから、これはきっとミステリ関連のことを考えているのだなあ、と推測して、では何を考えているかと想像すると、ホームズの『ぶな屋敷』ではないかと考えました。ホームズ曰く、「ロンドンの裏町以上に平和そうな田園は一種の恐怖」というくだりです。田園風景を眺めながら、ホームズを思い返して上機嫌になった乃木口くんは頬を緩めていたはずですが、続く「司法機関はいたるところ手近に備わっているのだから、一言それと訴えさえすれば、たちまち出動する」という内容を思い出し、警察官の兄のことを連想しました。だから、今回の遠出に兄がついてきていないかとそわそわしはじめた、と推理したんです。」


 言い返すことがなかった。まるで頭をかち割られて脳味噌を覗き込まれたかのように、その通りだった。

 高校の同級生の天ヶ瀬結は大の推理小説好きで、その趣味でオレたちは意気投合した。ただ、彼女は推理小説が好きなだけでなく、あこがれの名探偵たちのような推理力を有している。

 入学してからこの夏休みまで、いくつか奇怪な事件に遭遇することもあったが、天ヶ瀬はそれらをその頭脳で解決してきたし、彼女を溺愛する刑事の兄は、事件解決の相談を持ち掛けたりすることもあるとかないとか。


 それに対し、オレ――乃木口正は残念ながらただの推理小説好きの凡庸な人間だ。でも、いつもいつも聞き手のワトスンでいるのは癪に障る。絶対にどこかでひと泡吹かせてやりたい。

 天ヶ瀬はにこにこと自身の推理を誇るように微笑んでいる。ああ、ぎゃふんと言わせたい。推理で屈服させたい。何かいい方法はないだろうか。


「あっ、」ふと思いつくものがあった。「『モルグ海の殺人』。」


「モルグ街?」

「いいや、『モルグ海』だ。」

 それはオレがここ数日考えている推理小説のタイトルだ。


 アイデアをまとめ、プロットも立てあるので、即興で物語に作り替えることは特段問題ないはずだ。オレは頭の中をフル回転し、集めていた材料でひとつの建築物を脳内で作り上げる。


「時間もまだあるし、ちょっとした推理ゲームでもしないか?」

「推理ゲーム?」

「ああ。構想中の推理小説があるから、それを推理してみてくれ。」

「それが、『モルグ海の殺人』?」

「ああ。」鷹揚に頷き、オレは向かいに座る天ヶ瀬を挑発するように睥睨する。「まあ、解き明かせるとは思ないけれども、」

「ワトスンが書く小説は、ホームズの活躍譚だけですよ。」


 面白い。このやり取りが『オレンジの種五つ』にならないように、ぜひ頑張ってもらおうか。

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