第5話 二人の思い出

 虫取り網の刺さった大きなリュックを体の前に、虫かごを肩にかけ、俺は藤木をおぶって歩き出した。


「大丈夫か?」


「うん」


「とりあえず森から出よう」


 元気はないが、気を失ったりはしていない。普通に話せるみたいだ。間近で耳元にかかる息が熱くて少しくすぐったい。


「やだ。まだ帰らない」


「はぁ? 死ぬぞ」


「死なないよ。探すの、青い鳥」


「また今度にしよう」


「今度? 今度がある?」


「あるだろう。どうせ無理やり連れだすんだろ」


「うん」


「やっぱり……。


 だから今日はもう帰って病院に行こう。せめて電波の届く所まで出よう」


「私の荷物まで持たせてごめんね。重たくない? 大丈夫?」


「おっ、おも、重……くない。大丈夫。へっちゃらだよ」


「なんだか安心するな。蒼君の背中……」


「汗臭いだろ」


「蒼君の匂い、好きだよ」


 好きと言われると、顔が余計に熱くなる。何度も聞いたこの言葉。何度聞いても正直嬉しくて、何でも頑張れる気がしたっけ。宇宙人探しも河童探しも、こいつに振り回されながら、案外楽しんでたのかもしれない。


「随分、奥まで来たんだな。どっちに向かって歩けばいいのか、よくわからないな。迷子になっちゃったな、たぶん……」


「私みたい、だね」


「え?」


「蒼君っていう森の中でずっと迷子。こっちかな? あっちかな? って。随分奥まで入り込んじゃったよ。蒼ワールドに」


「藤木ワールドの方が複雑で迷子になりそうだよ。魔物が棲んでるだろ」


「すぐに出ちゃったじゃん。藤木ワールドから」


「出たのにまた引きずり込まれる」


「迷惑?」


「……ああ。迷惑……じゃない」


「どっちよ?」


「藤木の言ってる事、よくわかんないよ。そういうのメタファーっていうんだっけ?」


「どうだっけ? あんまり難しい事はわかんない。自分の気持ちしか、わかんないよ」


「気持ち?」


「うん。蒼君の事が大好き。どんなに迷っても、過酷でも。蒼ワールドから出たくない。だって、やっと会えたんだもん。運命だーって思った」


「運命なんて、そんな簡単に口にするなよ」


「どうして?」


「恥ずかしいだろ。どう返事していいかわからないよ」


「運命だね、って言ってくれればいいのに」


「バカっ」


「うちの親……夫婦仲、悪くてさぁ……。いつもけんかばっかりしてたんだよね」


 まいちゃんの家からは、いつも両親が喧嘩している声がよく聞こえていた。


「そんな時、いつも蒼君がピンポンしてくれてさぁ。まいちゃん遊びに行こうって、誘いだしてくれたよね」


「そんな気の利いた事してたか?」

 いや、してたな。間近で大人のけんかを見ているまいちゃんは怖いだろうなって。子供ながらに何かできる事はないかっていつも考えてたっけ。結果、外に誘い出す事ぐらいしかできなかったな。


「幼稚園でも、みんなの輪に入るのが苦手だった。いつも声をかけてくれて、一緒にいてくれたのは蒼君だったね」


「あの頃の俺は、特技が友達を作る事、だったからな」


「なんでこんなに拗らせちゃったの?」


「うるせーな」

 好きだった子が突然いなくなったんだ。そりゃあ拗らせるだろ。


「でもね、陰キャだろうが、拗らせだろうが、うすしお顔だろうが、私は蒼君じゃなきゃイヤなんだ!」


「うすしお?」


「私、中学までずっと陰キャでさ。高校になったら友達たくさん作るっていうのが目標だったの。一生懸命明るく振舞って、面白い事しなきゃって――」


 頑張り過ぎて、空振りして、滑り倒して、不思議ちゃんキャラが出来上がったってわけか。いや、新しい環境になって、逆に本来の自分を解放したのかもしれないな。


「入学式の時、よく俺の事わかったね」


「合格発表の時、見つけたんだよ。その時は声かけられなかった」


「すぐわかった?」


「当たり前じゃん! 全然変わってないもん」


「っ――――。」

 それは地味に傷つく。


「ごめん。俺は全然気付けなくて」

 君があまりにもきれいになっていて、全然わからなかった。俺の初恋の相手、まいちゃんだったとは。


「気付いてたら、私たちもっと違った?」


「どうだろう?」


 違ってないんじゃないかな。俺は、藤木の彼氏というポジションが怖かった。人と関わるのがめんどくさくて、極力目立たないように生きて来たんだ。みんなから、なんでこいつが藤木の彼氏なんだ? って。あのイキリ陰キャ野郎が!! なんて目で見られていて、学校はいつも居心地が悪かった。結局、面倒ごとから逃げてたんだよな。


「あのさぁ、青い鳥って本当は森の中には、いないんだろ?」


「へ?」


「俺の中にいるんだろ? 蒼ワールドに」


「正解。さすが蒼くんだね。さて、真実に辿り着くまであとどれぐらいかな?」


「あと少し。君が俺にさよならを言いに来た時の事を思い出した」


「うん。いい線いってる」


「俺は、適当にこの虫かごと網をあげたわけじゃなかった。目的があったんだ」


「うん」


「あ! そうだ! 思いだした!」


「思いだした?」


「何となくだけど……。君がとても辛そうな顔をしてたから、幸せの青い鳥を探しに行こうって、俺が言ったんだ」


「うんうん、そうそう」


「そして、川辺にこの虫かごと網を持って行った。青い鳥が君を幸せにしてくれると信じてた。そして見つけたんだよな。あれはどこかの家から逃げ出したインコだったのかな。きれいな青い色をしてた。でも捕まえようとしてすぐに逃げられて。君が、お願い事しようって言ったんだよな」


「うん。青い鳥がお願いごとを叶えてくれると思ってたんだよね」


「あの時は、なんてお願い事したの?」


「内緒」


「はぁ? ケチ! 


 そして、さよならの時間がやってきた」


「うん……」


「それで、えっと……。いつか君が、自分で、幸せの青い鳥をつかまえるんだ! みたいな事を言ったんだっけ? それで、網と虫かごをあげたとか?」


「ブッブーーー、ハズレ」


「ハズレかよ。


 あああーーーーー!!! 思い出した!! 君が言ったんだ。青い鳥ここにいるよって。虫かごのとっとりあおいって名前を指さして。あおいとりって」


「そう!」


「それで、これをあげたのか」


「もう一息だよ」


「え? まだあるの?」


「うん、まだある」


「ちょっとタンマ! 頭が混乱してきた」


 体力の限界が近づいてきた。脳に酸素が回らない。全然、森から出られる気配もない。太陽は背後からか。


「ねぇ、藤木。朝って、太陽どっちにあったっけ?」


「」


「ねぇ、藤木? 藤木??」


 背中にくたっと藤木の全体重がのしかかる。

 藤木の反応が途絶えた。


 まずい! 体力の限界とか言ってる場合か! 俺!!

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