4-20 白《ブラン》
魔獣の討伐に出かけた翌日のこと。
私とウィル様が魔法石研究所を訪れると、所内は今までにないほどバタついていた。
入り口扉をくぐったとたん、神殿騎士の男性が、廊下の曲がり角から飛び出してくる。
「おはようございます。何かあったんですか?」
「あっ、黒騎士さん、婚約者さん、いいところに! それ、止めてくださいっす!」
「それって……きゃっ!?」
「あぶないっ!」
私の顔をめがけて、突然真っ白な何かが飛びかかってきた。
隣にいたウィル様がすかさず反応する。手に持っていた分厚いファイルで、私に向かって飛来する何かを、はたき落とした。
「うきゅううう……」
「えっ?」
ウィル様にはたき落とされた白い塊が鳴き声をあげて、私は目をこする。
モフモフの白い毛。長い耳。筋肉のついたしなやかな足。はたかれた部分をこする、小さなおてて。
「あの、ウィル様、この子……」
「きゅるるう」
鼻をひくひくさせ、こちらを見上げて紅い瞳を潤ませている。間違いない、この子は――、
「昨日のウサギさんっ!」
「あの時の魔兎?」
私とウィル様は同時に声をあげ、顔を見合わせたのだった。
「はぁ、はぁ……やっと追いついたっす……」
「あの、この子は……」
「昨日、所長がどっかで捕獲したウサギらしいっす。檻を掃除しようとした隙に逃げ出したんすよ。デカいし、やんちゃだし、足は速いし……散々っす」
神殿騎士は、ぜえぜえしながら、ウサギさんを抱っこしようとする。
けれど、ウサギさんは「プギィィ!」と毛を逆立たせ、ジャンプして逃げた。
「きゅうう!」
「わっ」
そうして、ウサギさんは、そのまま私の胸にふわりと飛び込んでくる。
「きゅう」
「まあ、いい子ね。可愛い……!」
私がウサギさんを抱っこして、背中を優しく撫でると、気持ちよさそうに目を細めている。逃げ出しそうな気配もない。
「お風呂に入れてもらったのね。ふかふかで真っ白で、綺麗になったね」
「ミアの抱っこ……ずるいぞ、魔兎……!」
「ウィル様も抱っこします?」
「ああ、する」
私は、ウィル様にウサギさんを渡そうとしたが、ウィル様はなぜかウサギさんごと私に抱きついてきた。
「ちょ、ウィル様」
「きゅるる?」
「ふぅ、満足」
私を離したウィル様はきらきらの笑顔で、今度こそウサギさんを受け取った。
「魔兎も、こうして大人しくしていれば可愛いものだな」
「きゅう!」
ウサギさんは、ウィル様にも撫でてもらってご満悦のようだ。
「あれ……もう逃げるの飽きたんすかね? じゃあ、そろそろ檻に戻るっすよ、ウサギさん」
「プギィィ!」
神殿騎士が手を伸ばすと、ウサギさんは毛を逆立てて抱っこを拒否した。
「なんでっすか!?」
「お前、嫌われるようなことしたんじゃないのか?」
「そんなことないっすけどねえ……」
神殿騎士の男性は、寂しそうに肩を落としている。
分厚い書類ではたき落としたウィル様のことは拒否しないのに、彼はどうしてここまで嫌われているのだろうか。
「あの、私たちがこの子を元のお部屋まで連れて行きましょうか?」
「助かるっす! じゃあ、すみませんけど、訓練場までお願いするっす」
「訓練場だな。わかった」
疲れた様子の神殿騎士と別れて、私たちは訓練場へと向かったのだった。
*
訓練場では、模擬戦闘が行われているところだった。
黒い騎士服の魔法騎士一人に対し、白い騎士服の神殿騎士が五人。神殿騎士は、たった一人の魔法騎士に対して、全く歯が立たない様子だ。
……なんだか、前にも似たような訓練風景を見たことがある気がする。
「……シナモンか」
ウィル様が、ウサギさんを抱いたまま、ぽつりと呟く。
シナモン・キャンベル。
魔法騎士団、イグニ隊に所属する新人隊員の彼女は、ベテラン隊員にも負けない実力の持ち主だ。
入団試験の際にウィル様に戦闘力で勝ったものの、総合力が及ばず、次席での入団となったという。
「お噂は聞いていましたが、お強いんですね」
「ああ。……ここだけの話、俺が時間遡行する前は、彼女が首席で入団したんだ。今回は俺が経験値で勝っていたために、彼女は次席合格だったんだが……そのせいで、やたらライバル視されていてね」
「きゅうう?」
「ん? お前もシナモンに興味があるのか?」
「ぷぅぅ」
「はは、そうか。嫌いか」
ウィル様は、腕の中のウサギさんと何となく通じ合っているようだ。
やはり、ウィル様がこの子を手懐けたからだろうか。
「ところで、この子って、名前は決まっているのかしら?」
「いや、決まっていないみたいだな。ほら、檻の上部、ネームプレートが付いているけれど、空欄のままになってる」
確かに、ウィル様の言ったとおり、ネームプレートには名前が刻印されていなかった。
「ねえ、ウィル様。私たちで、この子にお名前を付けてあげませんか?」
「そうだね。シュウさんもそういうことには興味ないだろうし、いいんじゃないかな?」
「ふふ。何がいいかしら……うさちゃん、ラビちゃん、ミミちゃん……」
「ぷぅう?」
「ピンとこないみたいだな」
「人参が好きだから、キャロットちゃんとか。白いから、シロちゃんとか?」
なかなか、いい名前が浮かんでこない。私がうーん、と唸っていると、ウィル様がぼそりと呟いた。
「……ブラン」
「きゅ?」
「ブランというのは、白という意味なんだ。どうかな?」
ウィル様が優しく目を細めて、目の前にかかげたウサギさんに問いかける。
「きゅう! きゅきゅう!」
ウサギさんは、耳をぴくぴくさせて喜んでいるようだった。
「まあ、気に入ったみたいね! ……ウィル様、ブランって、あのブランですよね?」
「ああ。ブティック・ル・ブランのブランも、同じ意味だろうな」
ウィル様は、頷いた。どうしてその名を選んだのか、と私が疑問に思っていると、ウィル様はそれを察したのか、私が尋ねる前に説明をしてくれる。
「――例の事件は解決に向かっていて、ブティック・ル・ブランが街にもたらした呪いも、もうすぐ解ける。だから、呪いを乗り越えた魔兎には、ぴったりの名前じゃないかと思ってね」
「きゅるる!」
「なるほど、確かにそうですわね」
呪いを断ち切った、
悪意から解放された、まっさらな白。
――なんて素敵な名前なんだろう。
「ブラン……素敵な名前。この子も、とっても気に入っているみたいですし、この名前で決まりですね」
「俺が勝手に決めてしまったみたいになっちゃったけど……ミアはそれでいいの?」
「ええ、もちろんですわ」
「ふふ、ありがとう」
ウィル様の決めた名前を聞いたら、もう、他の名前なんて思いつかなかった。私がさっき適当に言ったシロちゃんよりも、ずっとしっくりくる。
「よし、魔兎。今から、お前の名はブランだ」
「きゅうう!」
「良かったわね、ブラン。素敵なお名前をもらって」
こうして名前も決まったところで、ウィル様はブランをそっと檻の手前に下ろす。賢いブランは、自ら檻の中に戻ったのだった。
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いつもお読みくださり、ありがとうございます!
以前アナウンスさせていただいた通り、創作の都合により、本物のウサギとは生態等大きく異なっております。
本物のウサギは鳴きませんし、臆病なのでこんなにすぐには人に懐きません。
違和感を持たれた皆様にはお詫び申し上げますが、ご理解いただけますと幸いです。
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