4-18 魔狼
郊外の農地で暴れていた魔兎に、聖剣技の白い光を当てた途端、黒い靄が消え大人しくなった――その件に関連して、ウィル様には思うところがあるようだった。
魔法石研究所への帰路、馬上で揺られながら、私はウィル様にそのことを尋ねる。
「ウィル様、先程おっしゃっていた、子供の時のこと……というのは、何のことですか?」
「ああ、俺とミアが、初めて会った時のことだよ。覚えてる? あの時、
私はすぐにピンときた。『ルゥ君』と過ごした時のことだ。
「もちろん覚えておりますわ。大きな狼でした」
「当時から、黒い靄も見えていたの?」
「ええ。真っ黒な靄に覆われて、姿形もわからないほど……、え? あれ……?」
私は、自分の発した言葉の矛盾に、この時初めて疑問を持った。
あの時のことを、よくよく思い返してみる。
爛々と光る紅い瞳だけが靄の内から見えて、とても怖かったこと。
すぐに逃げたけれど、その靄が『ルゥ君』に飛びかかってきて、一度目は彼を突き飛ばし、助かったこと。
靄ごと『ルゥ君』が凍らせたが、靄はそれを破って出てきて、彼が大きな怪我を負ってしまったこと。
傷ついた『ルゥ君』を抱きしめて、氷漬けになった靄の大元には目もくれず、無我夢中で崖の方へ逃げたこと。
そして、岩陰から覗いた時――紅い瞳の
「……あれ……? 私、どうしてあの靄が狼だと知っていたのでしょう……?」
「おそらく……俺を治癒してくれた時の聖魔法の光で、魔狼の靄が浄化されていたんだ。それで、魔狼は大人しくなって、氷を破るのに時間がかかった……もしくは、人間を襲う気持ちを失った。だからミアは、意識のない俺を引きずって、逃げることができたんだ」
「なるほど……氷漬けになってもそれを破る力がある魔狼が、抵抗できないはずの私たちを襲わなかったのには、そんな理由があったのですね」
「うん」
ウィル様は、確信したように頷いた。
「それに、あの時の魔狼は、オースティン伯爵家とエヴァンズ子爵家の私兵によって討伐された。オースティン伯爵家の私兵が解体を引き受けたのだけれど、不思議なことに、あの魔狼からは魔石が摘出されなかったそうなんだ」
「魔石が?」
「ああ。魔獣には必ず魔石がある。大きさや形は異なるものの、例外なく存在するはずだったのだけれど……それが浄化されていたのだとしたら、納得がいく」
「体内で消失してしまった、ということですか?」
「そうなるね。もしかしたら、黒い魔石ではなく、魔核や透明な魔石として摘出されたのかもしれないけれど……屋外での解体だっただろうし、その時の記録は流石に残っていないだろうから、わからないな」
ウィル様は「俺も、後からちらっと聞いただけだし」と、詳しく尋ねなかったことを後悔しているようだった。
「それにしても、魔獣が聖魔法で浄化できるなんて。勇者様と大聖女様の伝承でも、そのようなお話は聞きませんでしたわ」
「そうだね。ただ、昔は今よりも魔獣の力が強力で、数も多かったと聞く。
ウィル様は、何か思い当たることがあったようで、一度言葉を切り、考えながら言葉を継いでいく。
「勇者一行は、聖獣と呼ばれる特別な動物たちを従えていたという伝承もある。もしかしたら、魔獣の呪いを浄化し、従魔化した可能性もあるな」
「それって……もしかして」
私は、ある可能性に思い至り、声がうわずってしまう。
「ああ。先程の魔兎を解剖してみれば、呪いの正体がわか――」
「さっきのウサギさんと、お友達になれるかもしれないのですか!?」
私はウィル様と同時に声を上げた。
「えっ……解剖?」
「友達になる……?」
馬上で、ウィル様と視線がぶつかる。
互いに、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「……解剖……するのですか?」
私の目が、潤んでゆく。
さっきのウサギさんは、普通のウサギさんと違って臆病ではないようだったし、元気いっぱいで可愛らしかった。
そんな子を、解剖に回す……呪いの正体を調べるためとはいえ、せっかく助かった子の命を奪うなんて。
「ミア……その……」
「他に……調べる手段はないのですか? ウサギさんの命を奪うことなく」
「……シュウさんと相談して、考えてみる。だから、そんな顔をしないで」
ウィル様は、ばつが悪そうな表情をして、そう言った。
「ごめんなさい、わがままを言って」
「いいや。確かにミアの言った通り、せっかく生きたまま連れ帰ることができたんだ。解剖に回すのではなくて、生態とか、魔力とか、身体能力とか……他のことを調べてみよう」
「ありがとうございます……!」
「わっ」
わがままを言ってしまって申し訳ないけれど、研究のためにウサギさんの命が失われるなんて、私には耐えられそうにない。
私はウィル様にぎゅっと抱きついてしまい、彼を驚かせてしまったのだった。
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