2-32 兄の真意



「――それでもオスカー殿は、聖魔法の研究に意味がないと言いますか?」


 ウィル様はそう問いかけると、お兄様を見据え、反応を待つ。


 それに対するお兄様の反応は、意外なものだった。


「……はは。やっぱり、敵わないなあ」


 お兄様はそう言って、ふっと笑ったのだ。ようやく、その瞳に感情を映して。

 お兄様の笑顔は、どこか安心したようでもあり、寂しそうでもあった。


 ウィル様も毒気を抜かれたのか、先程から放出されていた冷気が、緩んでいく。


「ウィリアム様。あなたは本当にすごい人だ。なのに、どうしてそんなにもミアにこだわるのです?」


「……質問の意図がわからないのですが」


「いや、いいんです。忘れて下さい。……とにかく、あなたとのお話で、僕は自分の浅はかさをはっきり自覚しました。学園では、地方の村の事情なんて教えてくれませんから、そんなこと知りもしませんでしたよ」


 王立貴族学園の講師は、貴族家の出身者しかいないと聞いている。

 それも、講師をしているということは、爵位を持つ貴族ではなく、おそらく当主の兄弟姉妹や親戚なのだろう。

 なら、地方の現状を知らない、もしくは知っていても家の恥になりかねないから悪い部分は言わない、ということも充分考えられる。


「ミアを教会から隠すというお話ですが、僕も賛成することにします」


 お兄様はそう言ったが、ウィル様はまだ半信半疑のようだ。

 いまだにお兄様を見据え、その本心を探ろうとしている。


「……信じてもらえるかわかりませんが、本当は、教会にミアを連れて行かれるのは僕も嫌だったんです。ものすごくね」


「ならば、なぜ」


「だって、誰かが一度冷静になって止めるべきだと思ったんです。やっていることは『隠匿罪』の片棒を担ぐことですからね」


 その言葉に反応したのは、ウィル様ではなく、お父様だった。


「……オスカー。お前、そのために?」


「はい。僕、本当はずっと前から気づいていました。ミアとは血が繋がっていないことも、ミアが聖女かもしれないことも。――何年も前、それこそ僕たちが子供の頃から」


「……え? お兄様、気づいていたのですか……?」


「そりゃあ気づくさ」


 私が驚いてお兄様に尋ねると、お兄様はおかしそうに笑いながら答えた。


「だってさ、ミア、怪我をしても、毎回次の日には傷が塞がっていたんだもの。最初は勘違いかと思ったけど、何回も続くと、さすがにね」


「えっ! わ、わたくし、全く気がつきませんでしたわ!」


「はは、そうだろうね。マーガレットらしいよ」


 マーガレットが横槍を入れる。彼女らしい言葉に、お兄様は再び笑った。


「それに、それだけじゃない。僕たちとあまり似ていないこともそうだし、父上が社交シーズンのたびに、療養と言ってミアを遠ざけていたのも気になった。だって、ミアは別に病弱だったわけじゃないのに」


「……そうか。気づいていたのか」


「ええ。……ですから、僕も同罪です。聖女の存在をずっと隠していた。普通に罪に問われますし、裁かれる覚悟もありました」


「……なぜ……、なぜ私にも、誰にも言わなかったのですか?」


「そんなの、ミアが大切だからに決まっているじゃないか」


 私が質問をすると、お兄様はさも当たり前という風に答えた。


「物心ついた時には、もうミアは僕の妹だった。聖女かもしれないと気づいた時には、もう、大切な家族だったんだ。だから、変なことを言って、ミアに嫌われたり避けられたりするのが、嫌だった」


 お兄様は、なおも笑顔を保ち続けている。寂しそうに、切なそうに。


「ずっと秘密を自分の内に隠してきた僕だ。いくら王国のためでも、本気でミアを売ろうだなんて思わないよ。……どうです、ウィリアム様、信じてもらえましたか?」


「……オスカー殿……」


 ウィル様は、椅子から立ち上がって、お兄様に頭を下げた。


「申し訳ありません、私は思い違いをしていたようです。あなたは決して浅薄な人間ではない。……確かに、魔石の件がなかったら、オスカー殿の言う通りにするのが一番効率の良い解決法ではある……感情の面を一切排するなら」


「……オースティン伯爵家や魔法騎士団を巻き込んでしまう前に、ちゃんと確かめておきたかったのです。衝動的な、非論理的な行動になってはいないかと。もしそうでなかったら、エヴァンズ子爵家内で問題が完結せず、魔法騎士団と教会……国を巻き込む大騒動に発展する可能性がありますから」


「……おっしゃる通りだと思います」


 ウィル様が固い声で肯定し、お兄様は笑みを深める。


「ミアを聖女の娘としてではなく、拾った子と報告し、その力を『最近偶然知った』ということにすれば、隠匿罪には問われない可能性がある。オスカー殿がお持ちだった情報の中で解決策を見出すなら、そうするのが最善でした。エヴァンズ子爵家にとっても、教会にとっても、ひいては王国にとっても」


 お兄様は満足そうに頷いた。そうしていつも通りの優しい眼差しで、ウィル様と私を見る。


「ウィリアム様。僕は知らなかったけれど、ミアにはミアにしかできない、もっと大きな役割があるのですね。なら、僕はこの家がどうなろうと、ミアを応援しますよ。ねえ、父上、良いですよね?」


「当たり前だ。そもそも、これは私がステラ様を保護したところから始まった問題――つまり私がまいた種なのだ」


 お父様は、「皆を巻き込んでしまって申し訳なかった」と謝罪し、続ける。


「それから、お前に継ぐ前にこの家を潰させるなど、私が絶対にさせない――もしそうなったとしても、オスカー、お前の就職先はどうにかしてみせるから安心してくれ」


「私も、いえ、魔法騎士団も、総力をあげて動きます。ミアのことも、エヴァンズ子爵家のことも、必ず守ってみせます」


「良い返事をいただけて、安心しました。妹を、お願いしますよ。――でも」


 お兄様は、再びくすくすと笑った。


「魔法騎士団の総力とは、穏やかではありませんね。まあ、心強いですけど」


「……機密情報なので今は言えませんが、教会との間には、色々とあるものですから」


 冗談めかして言った言葉に対するウィル様の返答に、お兄様はぎょっとした様子だった。


「とにかく……必ず守ると誓います。身命を賭して」


 ウィル様は、決意に満ちた表情で宣言し――私をちらりと見ると、安心させるようにふわりと微笑んだ。

 私も微笑み返して、しっかりと頷く。


 あたたかな春の気配が、ようやく戻ってきたように感じられた。

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