2-31 聖魔法が救うもの



「――オスカー殿。少しよろしいですか」


 ウィル様が、氷よりもずっと冷たい声色で、お兄様に問いかけた。


「何でしょう」


「まず前提として、あなたには、感情論で話しても理解していただけないと感じました。なので、俺がミアをどれほど大切に想っていて、どれほどあなたに対して怒っているかは、一度横に置いておきます」


「それを差し置いても、僕を納得させられるだけの理屈があると?」


「あります」


「へえ。ではお聞かせ願えますか? 王国民としての義務を怠り、ミアの存在を教会に報告しないことで、王国民にとってどういう利点があるのか」


 お兄様は、普段は優しい垂れ目がちのその瞳に、今日は一切感情の光を宿すことなく、ウィル様を見つめた。

 ウィル様は視線を真っ向から受け止め、冷たく鋭くお兄様を見据えている。


「――オスカー殿は、聖魔法のことをどれくらいご存じですか?」


「傷を治す。毒を治療する。呪いを解く。この三つが主ですが、それ以外にも聖女にしか起こせない数々の奇跡が存在します」


「ええ、そうです。ですが、聖女の力は教会によって秘匿されています。そのため、聖魔法についての研究は全く進んでいません。魔法師団が研究のために聖女を要請しても、教会は取り合ってくれないのです」


「当然です。聖女にしか使えない力なのですから、研究したところで意味などないでしょう。一般人が使えるようになるわけでもないし」


「……研究者ではない方にとっては、そうなのでしょうね。けれど、ミアのおかげで、最近新しいことが明らかになりました。魔石の活用法です」


「……魔石? 何ですか、それは」


「魔獣から得られる、強い力を持った石です。そのままでは使えませんが、聖魔法によって浄化を施すことで、魔力を長期間保持することが可能になります」


 私は、魔道具研究室での実験を思い出す。『浄化ピュリファイ』の魔法を魔石にかけたのだが、あの時、魔石の浄化に成功していたということだろうか。


 きっとあの後も、魔道具研究室は密かに実験を続けていたに違いない。おそらくその実験が上手くいって、魔石に魔力を込める方法が判明したのだろうと私は想像した。


「それで? 魔力を保持することが、一体何の意味を持つのですか?」


「魔石の活用が広まれば、魔力のない人たちも、魔法や魔道具の恩恵を受けることができます。特に平民には、魔力を持たない人が多い。そんな人々の生活を一変させることが可能になるかもしれないのです」


「はぁ……そこに何のメリットが? そんなことよりも、消えゆく命を救う方が重要ではありませんか?」


「……そんなこと・・・・・、ですか」


「ええ。ただでさえ教会は人手不足です。王都にはそれなりに聖女が揃っていますが、地方に行けば、聖女が常駐していない教会もたくさんある。そのせいで、救われるはずだった命を失った人も、たくさんいるでしょう。とにかく、教会には一人でも多くの聖女が必要なはずです」


 お兄様の言うことにも一理ある。

 だが、ウィル様は、怯むことなく――むしろ、さらに冷たさを増した固い声色で、お兄様に問いかける。


「……厳しい言い方をしますが、オスカー殿に見えている世界には、怪我や呪いで苦しんでいる人しかいないのですか?」


「……どういう意味でしょう」


「聖女が直接力を振るうことで、確かに怪我や呪いを消すことはできます。ですが、それでは聖女の手が届く範囲しか救えないのですよ」


「ええ。だからこそ、さっきも言ったように、教会で働く聖女の数は多くあるべきでは?」


「魔石の活用は、手の届かない範囲で苦しんでいる人たちをも、救えるかもしれないのです」


「救うとは大袈裟では? だって、いくらなんでも、命を救うほどの魔法が込められるわけではないのでしょう? 少し生活が便利になるかもしれない、というだけのことではないのですか?」


「少しどころではありません!」


 そこで初めて、今まで冷静に会話を続けていたウィル様が、ほんの少し声を荒らげた。


「オスカー殿は、魔道具のない生活を考えたことはありますか?」


「いいえ。実質、魔道具のない生活なんて、今の時代にはあり得ないでしょう。魔力のない人でも、魔道具は必ず使ったことがあるでしょうし、持っているはずです。使う時には、ミアのように、周りに補助してもらえばいいのですから」


「貴族なら、確かにそうです。ですが、平民なら?」


「平民にも魔力持ちは大勢いますよ。家族や近所の人に頼めば済む話では?」


「それができるのは、平民の中でも、心も物資も豊かな人たちだけです。オスカー殿は、その目でスラムや寒村の状況を見たことはありますか?」


「……いいえ。スラムには近寄るなと言われていますし、子爵領の領都と王都以外は、ほぼ行きませんので」


「私は、魔法騎士として色々な場所へ行きました。地方には、魔力持ちが数人しかいない、もしくは村長だけという所も多い。中には、魔力持ちが一人もいない村もありました」


 ……魔法騎士としての勤務はまだ短いはずだが、ウィル様はそんなに働き詰めだったのか。

 だが、そんな苦労、私にはまったく見せなかった。ウィル様の体が、少し心配になる。


「夜は暗く、蝋燭と松明の明かりしかない。洗濯だって、いくら水が冷たくても、あかぎれになっても、一枚一枚手洗いする。料理をするにも、かまどで火を起こす必要があるし、火を起こすために、薪を用意しなくてはならない」


 ウィル様は淡々と話を続ける。


「暑くても冷気を放つ魔道具はなく、冬に切り出してきた氷を使って食材を保管する。温かい風呂など知らず、川で水浴びをして、感染症や寄生虫による病に罹る。野良仕事だって全て手作業。……貴族として何の不自由もない生活をしている者には、想像もつかないでしょう」


 お兄様は、ウィル様の話に少なからず衝撃を受けている様子である。

 いまだにそのような不便な生活を送る人たちが存在するなんて、知らなかったのだろう。きっと、ウィル様の言うように、想像したこともなかったのだろう。


「――貴族は人を雇えば済む話ですから、魔力の有無で生活が変わることはありません。ですが、平民にとって魔力の有無は死活問題です。貧富の差や、生死にまで直結する、極めて大きな問題だ」


 お父様は、苦虫を噛み潰したような顔をして、ウィル様の話に重々しく頷いている。子爵領の領主として、思うところがあるのだろう。


「……オスカー殿は、魔力持ちの子供が生まれると、その子供が高値で売買されたり、誘拐される場合もあることを知っていますか? 村唯一の魔力持ちが、村の大部分の財産や食料を占有し、村人が飢えている中で贅沢な暮らしをしていることを知っていますか?」


「……っ、いいえ」


「魔力の有無は、飢餓や貧困による死者、人さらい、奴隷売買などの犯罪をも引き起こしかねない。法の整備も追いついていないのが現状です。聖魔法と魔石の活用は、それを根底からひっくり返すインフラとなる可能性がある」


 幸い、魔石は冒険者ギルドの倉庫に大量に余っている。研究が進み、王家の承認を貰うことができたら、正式に聖女を要請することができるようになるかもしれない。

 そうしたら、ウィル様の言うように、たくさんの人の助けとなるに違いないのだ。


 それに――そうなれば、私やウィル様、魔道具研究室の功績が認められる。

 今のままでは、お父様は聖女を隠蔽していた罪に問われるだろう。だが、その罪が私たちの功績によって相殺される可能性も出てくる。


「――それでもオスカー殿は、聖魔法の研究に意味がないと言いますか?」


 ウィル様は、最後にびしりと言い放って、お兄様をじっと見据え、沈黙したのだった。


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