2-28 ステラの影



 私が正門前に到着したのは、ちょうどオースティン伯爵家の馬車が門をくぐっている時だった。

 普段は玄関ポーチで出迎えるのだが、テラスにいたから、ウィル様が馬車から降りてくる前に来ることができた。


 馬車の窓越しに、ウィル様と目が合う。

 私が微笑むと、ウィル様は驚いた顔でこちらを見たのち、ぱあっと嬉しそうに笑った。


 ――その時。


「あれっ、ステラさん!?」


「――え?」


 まだ閉じていない正門の向こう側から、こちらを見ていた女性が、驚いたような声を発した。

 女性はゆったりとした聖職者のローブを身に纏い、大きなピンク色の瞳をまんまるに見開いている。

 ローブのフードに隠れた髪は、ごく僅かにピンク色が混じっているものの、ほとんど白っぽい色味に見えた。


 女性から少し離れたところに立っているのは、騎士服を身に纏い帯剣した男性だ。聖職者らしき女性よりさらに遠い位置にいて、顔などはよく見えない。

 ウィル様たち魔法騎士団員の着る黒い騎士服と異なり、男性が着ているのは白い騎士服だ。神殿騎士団の制服だろう。


 子爵家の門番が、駆け寄ってきた女性を押し留めようと、慌てて腕を広げた。

 女性は、それでも中を覗こうと、ぴょこぴょこと背伸びをしている。


「あなたは、先程の! まだいらしたのですか? 日を改めるようにとお伝えしましたよね?」


「あっ、ごめんなさい! 道を間違えて、引き返したら偶然……それより、ステラさんっ――に、見えたけど、やっぱり違う……?」


「……っ、な……?」


 先程は聞き間違いかと思ったが、彼女の口から再びその名前が飛び出して、私はすうっと血の気が引くのを感じた。


「ごめんなさい、人違いでしたぁ! 急にいなくなっちゃった知人に、よく似ていたので……よく見たらお姉さん、私と年も同じくらいだし。間違えましたぁ」


 そう言って彼女は、ぴょこぴょこをやめる。

 ぽか、とフードに隠れた頭を軽く叩き、舌を出した。


「私、マリィって言います。南区の、丘の上にある教会で聖女やってます。こちらのおうちにご用があるので、また来ますぅ」


「…………!」


 マリィと名乗った聖女は、ひらひらと手を振り、門番にもう一度謝罪をして、歩き去ってしまった。


 ――聖女マリィは、聖女ステラを知っている?

 彼女は、子爵家に用があると言った。一体何の用事があって、ここへ来たのか?

 それに、もし彼女が勘の良い人だったら……教会に、私がステラ様の娘だと気づかれてしまうかもしれない。


 私は、色々と衝撃的すぎて、そのまま固まってしまった。


「……ミア、今のは……?」


 広い場所に馬車を停め、降りるなり駆け寄ってきたウィル様が、警戒感をあらわにしながら、マリィの去って行った方向を見る。


「あ……ごめんなさい、笑顔でお迎えしようと思っておりましたのに」


「いや、それは良くて……あ、ミアが出迎えてくれたことはすごく嬉しいけれど、それより」


「……聖女、マリィ様だそうです。私の顔を見て、『ステラさん』と」


「……! それって」


「ええ。私の、産みの母と見間違えたようです」


 私は、冷静を装って、ウィル様にだけ聞こえるような小声で説明をする。

 不安そうな、心配そうな表情で、ウィル様が私の目を覗き込んだ。


 産みの母が、聖女ステラ様が、生きているかもしれない。

 ――マリィと名乗る、私と同年代の聖女が、ステラ様の顔を覚えている。

 それはつまり、最近……少なくとも数年前まで、彼女が教会で活動していたということに他ならない。


「ミア……。君の安全面も心配だけれど……今はそれより……、大丈夫?」


「……ええ。私にとっては、手記を通じてしか知らない方ですから」


 私にとっての母は、物心ついた時からクララお母様だ。

 今更生きているかもしれないと言われても、正直あまり実感もわかないし、どう反応していいのかわからない。


「……ご存命なら、なぜ、連絡のひとつも……いえ、それが難しかったのであろうことはわかっておりますわ。……何だかすごく複雑な気分です」


 ステラ様が生きているのならば、私の実の父親も、もしかしたら――。

 ひと目……、ひと目だけでも。

 いや、けれど、顔を見てしまうのが怖いような気もする。


「……さ、ウィル様。中へ参りましょう」


「……ああ。お祝いの席の前に、子爵と話さないといけないな」


 固い表情のまま邸に入ってきた私とウィル様を見て、使用人たちが訝しむ。

 私たちはそのまま、ダイニングではなく、お父様の執務室へと向かったのだった。





 執務室を訪ねると、お父様は、ちょうど執務の区切りがついてダイニングルームへ向かおうとしているところだった。

 お父様は、揃って固い表情をしている私たちを見て、何かを察したようだ。人払いをした上で、執務室に招き入れてくれた。


 私が正門前での聖女マリィとのやり取りを話すと、お父様もウィル様に負けず劣らず厳しい表情に変わっていく。


「ステラ様が、生きている……もしくは、時期は不明だが、最近まで生きていたものの行方不明になってしまったのだな。それも気になるが、それよりも、喫緊きっきんの課題は……」


「……ミアの安全確保ですね」


 ウィル様がお父様の言葉を引き取ると、お父様は重々しく頷いた。


「……実はな、先程その来訪者に関して、シェリーから報告を受けたのだ。なぜ要請を出してもいないのに聖女がこの邸を訪れたのか、その理由を、その聖女が話していたらしい」


 お父様はため息をひとつついた。


「どこかから、触れ込みがあったようだ。この邸に大怪我をした人間がいる。聖女を呼んだ履歴が残っていなければ、まだ怪我や後遺症で苦しんでいるはずだと。それから――呪いにかかっている可能性のある者がいると。それで、彼女は教会の記録を調べて、直近での派遣履歴がなかったためにこの邸を訪れたそうだ」


「……それって」


「うむ。オスカーの怪我と、ミアに贈られてきた呪いのストールのことを知っていた人物。私には、思い当たる人物が一人しかいない」


 私は、緑色の髪の、元従僕フットマンの姿を思い浮かべた。ウィル様も、顎に手をやって、渋面を作っている。


「……ヒースの目的が何なのか、私には到底わからん。だが、もしかしたら、近いうちにまた聖女、もしくは奴自身から接触があるかもしれない」


「どちらにせよ……ミアの守りを強化した方が良さそうですね」


「うむ、私もそう思う。……そこで、提案したいことがあるのだが……済まないが、考えをまとめる時間がほしい。ウィリアム君がいる間に決めるから、少し一人にしてもらえないか。……ミア」


「はい」


「今日は、ウィリアム君が側にいてくれる。子爵家の使用人にも警戒を促しておくから、今はこのことは忘れて、特別な日を楽しみなさい」


「お父様……。はい、ありがとうございます」


「ウィリアム君」


「はい。お任せ下さい」


 ウィル様が力強く頷いたのを見て、お父様は安心したように――少し寂しげに、微笑んだ。

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