2-16 『紅い目の男』 ★エヴァンズ子爵視点
エヴァンズ子爵視点です。
――*――
「観念するんだな、ヒース」
マーガレットの従僕として子爵家に勤めていた元使用人を、追い込んだ。
侯爵家の裏手から『合図』が上がった少し後、ウィリアム君が指定したこの場所に、ヒースは予定通り一人で現れた。
奴は意外にも抵抗することなく、あっさりと投降する。
「セバスチャン」
「かしこまりました」
長年私に仕えてくれている優秀な執事長は、名を呼んだだけで私の意図を汲んでくれた。
執事服の内ポケットから取り出した縄を手に持ち、ヒースをテキパキと拘束していく。
「知っていると思うが、その縄は、魔力を阻害する魔封じの縄だ。魔法で逃げることはできないぞ」
「……もう逃げねえよ」
ヒースはすでに諦めているのか、抵抗する様子もなく大人しく拘束されていく。
「抵抗しないのだな?」
「……こんな過剰戦力を前にしたら、抵抗する気も失せるさ。ただの手紙泥棒を捕まえるのに、よくこれだけのメンツを揃えたな」
「ただの手紙泥棒じゃないだろう?」
私の言葉に、ヒースは薄い笑みを浮かべる。
その表情は、肯定を意味していた。
セバスチャンがヒースをしっかり拘束していくのを見ながら、私は話を続ける。
「お前は、ガードナー侯爵家と繋がっているんだろう? 何が目的だったんだ? 狙っていたのはミアの手紙だけで、私の手紙は盗らなかった……子爵家の情報を盗み出そうという意図はなかったように思えるが」
セバスチャンが拘束を終え、ヒースの背中を押して、馬を繋いである空き地の方へ歩かせていく。
奴は、馬車に乗せて、オースティン伯爵家へと移送される運びとなっている。
「オレはただの道具さ。道具が目的なんて考えないだろう?」
「なら質問を変えよう。お前の主人はデイジー嬢か? ガードナー侯爵か? それとも、それ以外か?」
「……表面上はデイジーだな。侯爵は、オレにデイジーの道具となるよう命令した。だが、オレを縛っているのはその二人のどちらでもない」
空き地に到着し、セバスチャンは馬車の扉を開けた。
私はヒースの回答に、眉をひそめる。
ヒースは背中を押されるでもなく、重くもない足取りで馬車の方へ歩みを進めていた。
「……それは誰だ? どういう意味だ」
「さあな。それより、さっさと牢屋にでも連れて行けば? 身の安全さえ確保してくれたら話すさ」
「お前は、いったい――」
その時だった。
馬車周辺の地面に茨のような黒い影が、音もなく伸びてきたのは。
それと同時に、馬車馬の姿勢が崩れ、繋がっている馬車ごと横倒しになる。
セバスチャンは、咄嗟にヒースを抱えて避けたようで、下敷きにならずに済んだようだ。
何らかの魔法効果だろうか……馬は、どうやら眠ってしまったように見える。
黒い茨は、すでに消え去ってしまっていた。
「わっ、誰だ!? 何をする!?」
皆の視線が馬に向いているところに、突然、オスカーが声を上げる。
振り向くと、いつの間にかオスカーの背後には、漆黒のローブを着た男が立っていた。
男は、鎌のような形状の漆黒の刃を、オスカーの首筋に当てがう。
男の顔は、ローブのフードに隠れていて、全く見えない。
「そこまでにしてもらおうか」
地を這うような低い声で、男は告げた。
「オスカー!!」
「おっと、動くとこの少年の命はないと思え」
「くっ」
「ヒースを解放してもらおう。そうすればこいつを返してやる。……おっと、妙な気は起こすなよ」
騎士のシナモン嬢が、パチパチと雷属性の魔力を身体に帯電し始めたのを見て、男は牽制をした。
オスカーの首筋から、つう、と一滴の紅が垂れる。
「……っ」
シナモン嬢は、魔力を収める。同時に、周りを囲んでいた使用人たちも、各々の得物を引っ込めた。
「……セバスチャン、放してやれ」
「……かしこまりました」
セバスチャンが、ヒースを解放する。
ヒースは、黒ローブの男に怯えているのだろうか……先程私たちに捕まった時よりも表情に余裕がなく、顔色も悪いように見えた。
セバスチャンは縄から手を放したものの、ヒースはその場から動こうとしない。
セバスチャンが男の方へ向かってヒースの背中を軽く押すと、ヒースはようやく、のろのろと歩みを進めた。
男が、鎌を持っていない方の手でヒースを指差す。
ヒースを縛っていた、魔法効果を封じるはずの縄は、あっという間に朽ち果て、ひとりでに解けていった。
「ヒースよ。我がいないからといって、おしゃべりが過ぎるのではないか? もっと痛めつけてやろうか――お前も、あやつも」
「やめろ! 彼女には手を出すな! これからも、ちゃんと従うから……」
ヒースは必死な顔で、男に訴えかける。
「ふん、それでいい」
男はフードに隠れた口元を
「まだこいつには利用価値があるんでな。引き取らせてもらおう」
「オスカーを放せ!」
「ああ、約束通り、返してやろう」
男は鎌をゆっくりと下ろすと、オスカーから手を放した。
漆黒の鎌は、ゆらりと空中に溶け消えてゆく。
「――?」
急いで男から距離を取ろうと走り出したオスカーを見て、ざわざわと、胸に嫌な予感がよぎる。
次の瞬間――
「うわっ! うあああっ……!」
「オスカー!!」
突然、オスカーの周囲の空気が歪み、柄のない漆黒の刃が、幾重にも顕現した。
漆黒の刃は、オスカーの身体を、容赦なく切り刻んでゆく。
私は危険もかえりみず、その場に崩れ落ちるオスカーに駆け寄った。
怒気を込めて、男に向かって叫ぶ。
「おい! 約束が違うぞ!」
「ふん、何を言っている? 誰も、
咄嗟に飛び出したシナモン嬢が男に攻撃するが、いつの間にか再び手にしていた鎌に阻まれ、剣も電撃も届かない。
剣圧でフードが捲れ上がり、その下から邪悪な紅い瞳が覗く。
魔獣と同じ、しかし知性とより強い残虐性を宿した、紅い瞳。
怒り、絶望、焦燥、混乱……どんどん増幅していく、
男は鎌を大きく振るうと、同時にふわりと後ろへ跳び、シナモン嬢から距離を取った。
「くはははは、良い表情だ! もっと紅く黒く染まるがいい」
紅い目の男と、私たちから目を逸らしてうつむくヒースの足元に、しゅるしゅると闇色の茨が伸びてゆく。
次の瞬間には、二人の姿は跡形もなく消え去っていた。
「……悪夢だ」
「う……うう」
「オスカー!」
オスカーのうめき声に、私は我に帰った。
怒りや絶望に囚われている場合ではない。早くオスカーを治療しなくては。
「オスカー、しっかりしろ!」
「出血が多いですな。馬車も動かせません」
横倒しになった馬車から薬箱を持って出てきた、冷静なセバスチャンの姿を見て、私も徐々に頭が冷えていく。
私は大きく息を吸ってから、セバスチャンに指示を出した。
「ここからなら邸まで走って帰れる。協力して、できるだけ迅速にオスカーを邸まで搬送するんだ! それから魔法通信で教会に聖女を要請する」
それから先は、セバスチャンが使用人たちにテキパキと指示を出していった。
まずは、『
他にも二名ほど先に邸に戻らせて、清潔なベッドや布、薬などの用意をさせた。
残った人員でオスカーの応急処置をして、担架が来たらすぐに搬送できるよう準備をする。
そうして、私たちが邸に戻ってきた頃には、オスカーはすっかり血の気を失い、ぐったりしていた。
魔法通信を飛ばすように指示をしようと思ったところで、シナモン嬢が、ミアに治療を依頼してはどうかと提案した。
彼女は、任務の関係でミアの事情を知っている唯一の魔法騎士団員だ。
ミアは血液が苦手で、オスカーの傷を見たら卒倒してしまうかもしれない――そう伝えたのだが、シナモン嬢は「自分が説得するから」と主張した。
そして、ミアは案の定卒倒しそうになり――だが、彼女の声がけで、自分を取り戻したようだった。
それから、ミアが聖魔法を行使し、今に至る――。
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