2-10 不興を買わぬために
「――わたくしは、お姉様を不幸にしたかったわけではないのです。昨年からは、本当にこのままでいいのか、迷う瞬間もありました」
しばらくして、ようやく泣き止んだマーガレットは、手紙を止めていた件について、ぽつりぽつりと話し始めた。
昨日泣きながら私に縋りついてきた時と比べると、すごく冷静だ。
だが、目の下にうっすらとクマがある。ろくに眠らずに、たくさん考えたのだろう。
「あの男……ウィリアム……、様が、夏頃から急にお姉様に優しくなって、この邸によく訪ねてくるようになったでしょう? 最初は、裏があるのではないかと警戒していました。けれど、どんどんお姉様は明るく生き生きとし始めて」
「確かに、そうだったわね。お母様もウィリアム君の変化には驚いたけれど、ミアも嫌ではなさそうだったし、髪型やメイクを変えてみたり……ふふ、ミアはなんだかんだで楽しんでいるように見えたわ」
マーガレットの言葉に同意するように、お母様は私を見て、嬉しそうに笑った。
「そ、そうでしたか?」
私がびっくりして聞き返すと、二人とも揃って頷いた。
やはり親子だ。そっくりな二対のオレンジイエローが、まっすぐこちらを向いている。
私自身は気がつかなかったけれど……ウィル様の溺愛に、私の心の氷も、少しずつ溶かされていたのだ。きっと、あの日から。
自分よりも周りの方が、変化に目ざとく気づくものなのかもしれない。
「お姉様が明るくなったのは嬉しかったけれど、それがあのおと……、ウィリアム様のおかげだというのが悔しくて。それに、ウィリアム様が、それまでずっとお姉様を悲しませていたのも事実です。わたくしは、どうしても、ウィリアム様を認められなかったのです」
マーガレットは、悔しそうに唇を噛む。
実際、ウィリアム様の冷たい態度に私が傷ついていたのも事実だから、マーガレットが許せなかったのも仕方ない。
「けれど、冬にお姉様が体調を崩されて、本気で焦るウィリアム様の姿を見てから……わたくしは間違っていたのかもしれないと、頭の隅で思い始めました。その後数日間のお姉様の表情を見て、その思いはますます強くなっていきました。時折、目元を赤く染めて、ぼんやりなさっている時があって……きっとウィリアム様のことを考えているんだろうと」
体調を崩した日というのは、呪いの品が送られてきて、私がうっかり触れてしまった時のことだろう。
あの日から数日間、ウィリアム様の愛情を実感して、口づけをしそうにまでなったことを、折に触れて思い出して……確かに少し上の空になっていたかもしれない。
マーガレットは、続ける。
「わたくしは、ヒースに相談しました。手紙を止めるのは、そろそろおしまいにした方が良いのではないかと。関係を改善したお姉様たちが、手紙のことに気づくのは時間の問題だと思ったし……認めたくはなかったけれど、手紙を止める意味もないぐらい、お二人の想いが通じ始めているのは明らかでした」
眉を下げた妹の顔には、深い後悔と、言いしれぬ寂しさが浮かんでいる。
「けれど、ヒースは、こう言いました。『急に手紙の行き来を再開すると、変に思われる。責任は自分が取るから、指摘されるまではこのままで良いのではないか』と。そして、言葉通り、ヒースは手紙を止め続けました」
それも一理あるようにも思えるが、ただの使用人であるヒースが一人で責任を負うなんて……そんなことが本当に可能だと思っていたのだろうか。マーガレットは、泣きそうに顔を歪めて、続ける。
「思えば、その時に、ミアお姉様にちゃんと自分から謝れば良かったのです。けれど……その時は、もうどうしたらいいのか、何から話したらいいのか、手元にある手紙の束をどうしたらいいのか……わたくしには判断できませんでした」
そこでマーガレットは、一度目を閉じ、大きく息をついた。
「それで、自分で判断できなかったわたくしは、招かれたお茶会で、信頼していたデイジーお姉様に相談を……あ、デイジーお姉様というのは、わたくしの先輩で……」
「デイジー・ガードナー嬢ね? 確か、マーガレットが王立貴族学園に入学した時、すごくお世話になったと聞いているわ。それ以来、マーガレットはずっとデイジー嬢を慕っているわよね」
「はい、お母様のおっしゃる通りです。第二のお姉様だと思い、慕っておりました。そして、デイジーお姉様も、ウィリアム様と縁を結びたいと思っているようでして……その頃、ミアお姉様の婚約を破談にしたかったわたくしは、デイジーお姉様の恋路を応援したいと思ってしまいました」
やはり、彼女はウィル様を慕っているのか。
新年の夜会で私たちに絡んできた、紅髪の令嬢の強い視線が、脳裏に蘇る。
「デイジーお姉様は、ヒースと同じく、はっきりと指摘されるまでは手紙を止め続けた方が良いとおっしゃいました。――あ、わたくしがスムーズに相談できたのは、それまでも、デイジーお姉様が手紙の件を知っていて、励まして下さっていたからです」
「……ねえ、待って、マーガレット。デイジー嬢は、あなたがミアとウィリアム君の手紙を止めていることを知っていたの? あなたが、そのことをデイジー嬢に話したの?」
「いえ、話していません。デイジーお姉様にも、パンジー様やポピー様、ラベンダー様……仲の良い方にも、誰にもお話ししたことはありませんわ。わたくしとヒースしか知らないはずなので、少し驚きましたが……理由を考えることもありませんでした。デイジーお姉様がわたくしの気持ちに寄り添って下さったので、そんな違和感はすっかり忘れていました」
「なるほど……なら、やっぱりヒースにお話を聞かないといけないわね。ちょっと待っていて」
お母様は、すっと立ち上がると、ダイニングの扉を細く開く。外で待機していた使用人に、一言何か告げて、また席に戻った。
「お待たせ。続きをどうぞ」
「はい。それで、その後も何度かお茶会に誘われました。その間にも、わたくしの不安は大きくなっていきました。それで、何度目かのお茶会の時に、わたくしは……もう一度、デイジーお姉様に相談したのです。そうしたら……、デイジーお姉様は、『自分の言うことが間違っていると思うのか』と、烈火のごとくお怒りになって……」
マーガレットは、一度言葉を切った。
眉をぎゅっと顰めて、不安そうな表情でお母様を見つめる。
「……デイジーお姉様は、王立貴族学園で、とても強いお立場でいらっしゃいます。今まではデイジーお姉様に気にかけていただいていたおかげで、快適な学園生活を送ることができていましたが……デイジーお姉様のお怒りを買ってしまったら、わたくし、学園に通えなくなってしまいます」
「王家や公爵家のご子息、ご息女は、マーガレットたちの世代にはいないものね。ガードナー侯爵家が一番強い立場なのだわ……もう一つの侯爵家、キャンベル侯爵家の姉弟も、貴族学園でなく王立魔法学園の方へ入学されたから、止められる人がいないのね」
マーガレットは頷いた。
「……それで、結局、お手紙を止め続けることにしてしまいました。お母様にも、ミアお姉様にも……巻き込んでしまうのが嫌で、同じ学園に通うオスカーお兄様にも言い出せなくて……本当にごめんなさい」
そうして、マーガレットは、深く深く頭を下げたのだった。
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