2-3 氷麗の騎士は浮かれすぎです
ウィル様が、甘い。
いつにも増して、お砂糖もりもりの激甘で、キラッキラのオーラを振り撒きまくっている。
氷麗の騎士はどこへやらだ。
その理由がわかったのは、一通り買い物をした後に入ったパティスリーの個室で、二人きりになった時だった。
「ようやく二人きりだね、ミア。疲れたかい?」
「いえ、大丈夫ですわ。それにしても、ウィル様。今日は――」
ウィル様は、話の途中で、少し待つように合図をした。
それと同時に、ノックの音が聞こえる。ケーキと紅茶が運ばれてきたようだ。
給仕が一礼して部屋から去ると、ウィル様は鞄から小さな魔道具を取り出し、作動させる。
――密談の際に使われる、遮音用の魔道具である。
「小型の魔道具だから、完全防音にはならないんだ。念のため、小声で話してほしい」
「はい」
「それで、ミアが言いたいのは、『浮かれすぎだ』とか、そういうお小言かな?」
「ええ。今回の呪物探しは、極秘任務なのですよね? お気づきかわかりませんけれど、とっても目立っていましたわよ?」
ウィル様が魔法騎士団に早期入団したことも、呪物探しの任務を受けていることも、秘中の秘になっている。教会に、魔法騎士団の動きを悟られないようにするためだ。
この件は、当の魔法騎士団や魔法師団でも、団長をはじめとした、ごく一部にしか知られていないはずである。
「ふふ、さすがに気づいていたよ。ミアに見惚れる男どもに殺気を飛ばして牽制してやろうかと思ったけれど、ちゃんと我慢した。偉かっただろう?」
「もう! そんなことで殺気を飛ばそうとしないで下さい!」
私が眉を吊り上げて文句を言うと、ウィル様はペロッと舌を出した。
悪戯っ子みたいに、テヘヘされても……いや、でも可愛い。なんか悔しい。
私は咳払いをして、続けた。
「……というか、気づいておられたのですね。なら、どうして目立つような行動を控えなかったのですか?」
「今回の任務が、極秘だからこそだよ。仕事ではなく、ミアとのデートだと印象づければ、街を探し回っても怪しまれないだろう?」
「だとしても、やりすぎでは……? 正直、少し、恥ずかしかったですわ」
私は顔を熱くしながら頬を膨らませ、抗議の視線を送る。
本当は少しどころではなく、かなり恥ずかしかった。
「ごめんごめん、ちょっと調子に乗りすぎた自覚はあるよ。ミアと街歩きできるのが嬉しくて」
ウィル様は、悪びれもせずに笑顔で謝った。
「けれど、それだけじゃなくて、周囲にミアとの仲を見せつけようとしたのには、別の理由もあるんだ」
「別の理由?」
「ミアは、先日から流れている、根も葉もない噂話を覚えているかい?」
「ええ。私にもウィル様にもそれぞれ別の想い人がいて、手紙のやり取りもないほど不仲であるという噂ですわね」
どこから流れた噂だか知らないけれど、少なくとも私に関しては、『手紙のやり取りがない』という部分しか合っていない。ウィル様に関しては、幼い頃からの想い人がいるという話だったが、それは実は私のことだった。
「――俺は不仲説を払拭して、ミアとの婚約をもっと強固なものにしたいんだ。二度と変な噂が出ないようにね。ちなみに、あの噂を流した人物が誰なのかも、目星がついているよ」
「噂を流した人物?」
「デイジー・ガードナー。新年の夜会で話しかけてきた令嬢だ。俺とミアの婚約が決まった後に
「侯爵令嬢……」
紅髪の、気が強そうな令嬢の姿を思い出して、私は眉にぎゅっと力を込める。
それにしても、侯爵令嬢とは……私やウィル様よりも家格が上だ。
身分をかさに着られたら、非常に厄介である。
「俺とミアが良好な関係だと知れ渡れば、噂を流した本人は針のむしろだろうな。これで引き下がってくれればいいのだが」
「……こんなやり方で彼女を刺激したりして、大丈夫なのでしょうか。婚約者のいる相手に釣書を送ったり、嘘の噂を流したり、手紙を止めたりするような、軽率かつ強引なご令嬢なのですよね? 仕返しをされたりとか、さらに悪辣な手で私たちの仲を裂こうとするかも」
「そんなことで俺たちの仲が引き裂けると思っているのだったら、おめでたい頭だな」
「まあ、いつになく毒舌ですわね」
ウィル様は、余程怒っているのか、冷たい魔力が身体から滲み出している。
そういえば以前、デイジー嬢と王城の廊下で話した時も、こうして周囲の気温を下げていた。
「確かに、婚約当初ならまだしも、今の私とウィル様の仲を裂くのは、部外者には難しいと思いますわ」
私は、ウィル様を落ち着かせようと、テーブルの上で握りしめている彼のこぶしに、自らの手をそっと重ねる。
ウィル様は、はっとした表情で魔力を収め、深呼吸をしながら握りこぶしをほどいた。
かわりに頬をほんのり染めて、じわじわと目元が緩んでゆく。それと同時に、ウィル様が放っていた冷たい空気も引っ込んだ。
「ですが……」
ウィル様の表情とは裏腹に、私の心には不安が渦を巻き始めた。
私は、一瞬目を伏せてから、正直に懸念を伝える。
「――私たち自身は良くても、社交界においての立場というものもございますでしょう? 私たちより強い立場の家が駄目と言ったら、駄目になってしまうことも充分考えられますわ」
「……ああ」
「特に、釣書が送られてきたということは、ガードナー侯爵もお認めになっているということでしょう?」
「俺も、それは危惧している」
オースティン伯爵家よりも家格が上ということは、家の力を使えないということだ。
魔法騎士団の権威もほとんど役に立たない貴族同士の社交においては、私とウィル様の立場はかなり弱い。
私は今までほとんど社交の場に出てこなかったし、ウィル様も、魔法騎士団と魔法師団を除いた貴族との付き合いはほとんどないようだ。
「俺の社交界での立場は強くない。頼れる味方も少ない。だから、俺とミアに付け入る隙などないということを多数の人間に見せて、いざという時の証人を増やしておくのも、良い手の一つだと思わないか?」
「……そう、かもしれませんわね」
まあ……少しわざとらしいというか、稚拙な気がしないでもないが。
それにしても、ガードナー侯爵は一体何を考えているのだろう。
オースティン伯爵家は領地も持つが、何がなんでも手に入れたいと思うほど重要な領ではない。
こう言っては悪いが、基本的には武官として有名なだけの家だから、強引な手を使ってまで家同士の縁を結ぶメリットがあるとは思えないのだが。
本当は、デイジー嬢本人がしっかり納得して引き下がってくれるのが一番なのだが、いくら私たちの仲が良くても、家のことが関わってくると断れない状況になりかねない。結局はデイジー嬢が家の力を使わないよう祈るしかないのである。
「やはり社交界での基盤をもう少し整えた方が良いかもしれませんね」
「うっ……そうだよな、やっぱり。以前は社交など時間の無駄だと思っていたのだが、仕方ないな」
ウィル様は、あからさまに嫌そうな顔をする。
新年の夜会も途中で抜け出してしまったぐらいだ。本当に社交が苦手なのだろう。
けれど、もう少し頑張ってもらわないと。
こんなことで、せっかく気持ちが通じ合い始めたウィル様との婚約が破談になるのは、不本意だ。ウィル様が私以外の人と婚約するなんて――考えると、途端に嫌な気持ちがじわじわとにじり寄ってくる。
私は気付かれないように、ゆっくりと息を吐いた。
「ああ、本当に早く君と結婚してしまいたいよ」
ウィル様は、私の左手をとって、まだ空っぽの薬指の付け根を愛おしそうに撫でた。
王国では、十八歳の誕生日を迎えるまで婚姻を結ぶことはできない――私は今月で十五歳になるから、あと三年は待つ必要がある。
「とにかく、俺たちは付け入る隙を見せず、堂々と仲良くしていればいい。侯爵家についての調査も、秘密裏に進めているから」
「わかりました、ウィル様がそうおっしゃるなら」
「ミア……ありがとう。愛しているよ」
「愛っ……そっ、……ご冗談を」
突然投下されたお砂糖爆弾に上手い返しもできず、またしても体温が上昇した私は、顔を背ける。
視線だけちらりと向けると、ウィル様はとびきり甘い笑顔で、私を見つめ続けていたのだった。
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