1-33 あの子のこと
「ウィリアム様の方の噂も、嘘なのでしょう?」
「……私の方は……あながち嘘とも言えないんだ」
「…………え?」
――想定と真逆の返答をぶつけられて、私の思考は停止した。
思考停止する私に、ウィリアム様はさらに予想外の事実を突きつける。
「だって……子供の頃から、私の心の中にあった女性というのは――ミアのことだから」
「……嘘をおっしゃらないで下さいませ」
私は、首を横に振る。
何とか絞り出した声は、震えていた。
意味がわからない。だって――。
「私とウィリアム様は、子供の頃に会ったこと、ございませんよね?」
私たちが初めて会ったのは、婚約の決まった席でのことだったはず。
社交に出て貴族の令息令嬢たちと顔を合わせるようになったのだって、ウィリアム様と婚約してからのこと。
小さい頃、私はお茶会やパーティーに連れて行かれることもなかったし、屋敷の外に出たこともほとんどなかった。
別荘地に何度か遊びに行ったことはあるけれど、村に住む平民の人たちとしか会ったことはないはずだ。
「……君は気づいていないだろうけど、私たちは、以前会ったことがあるんだ。――ねえ、ミア。魔力の多寡によって、髪の色が決まるというのは知っているよね?」
「え? ええ。もちろんです」
突然、何の話だろうと私は首を傾げる。
私の疑問をよそに、ウィリアム様は話を続けた。
「――なら、病気などで魔力量が変化した時に、髪の色も変化するというのは知っている?」
「え……いえ、存じませんでした。そもそも、魔力量は生まれつき決まっているものであって、変化することがあるなんて聞いたことがありませんわ」
「そうだよね。でも、実際、あるんだ。例えば――あまり知られていないのだが、魔力回路が詰まってしまうという、先天性の病気がある。そして、私は七年前の春まで、その病気に罹患していた」
「七年前まで……?」
七年前の春といえば、私が七歳。ウィリアム様は誕生日を迎える前だから、八歳。
――ルゥ君の事件があったのも、私が七歳の頃。
私は、ウィリアム様の
七年前に失ったはずの友人の瞳が、優しく私を見つめる目の前の瞳と、重なり合う。
「そう。今でこそ黒髪だが、七年前まで、俺の髪は金に近い茶髪だったんだ」
「――まさか」
記憶の中で、私を魔獣から守ってくれた、友人が微笑む。
目の前の
――金色に近い茶髪が、黒髪に。
幼く可愛らしい顔立ちが、凛々しく美しく成長した面輪に。
確かに一見、大きく異なっているけれど、その眼の優しさは、一度たりとも忘れたことがない。
「……もしかして、ウィリアム様……」
「思い出して。私の名前は、ウィリアム・
「ルーク……ルゥ……? ルゥ君、なの……?」
「うん、正解だよ。ミーちゃん」
「――――!」
私は、声にもならない声を上げた。
本当に、本当に、ルゥ君なのだろうか。
嬉しいとか、安心したとか、それよりもまだ信じられないという思いが勝っている。
「でも、あの時、ルゥ君は大怪我をして……川に落ちてしまったのよ。助かるはずが……」
「川に落ちた時、私の怪我も病も完全に癒えていたんだ。病が治ったのは偶然による奇跡だけれど、
「私の……?」
「そう、ミアのおかげ。深かったはずの傷が完治していたのは、ミア、君が無意識に『
「そう……なのですか?」
あの時、ルゥはかなり出血していた。
ルゥが触れていた私の手首にも、彼の血痕が残っていたのを、今でもありありと覚えている。
私も動転していて覚えていないが、一時気を失うほどの重傷だったルゥの傷を、私が完全に癒したというのだろうか。
「そう。血は失ったが、傷は塞がっていたんだ。川に落ちたけれど、幸い私は水属性魔法に適性があった。それまで積極的に水魔法を勉強していたし、体調の良い時に練習したりもしていたから、土壇場でも落ち着いて水のバリアを張ることができたんだよ」
「じゃあ……本当に……?」
「ああ。……こんなことになるのなら、もっと早く伝えていれば良かったな。私が今生きているのは、ミアのおかげなんだよ」
「私の、おかげ……」
その言葉を聞いて、こわばっていた身体から、力が抜けていくのを感じた。
ウィリアム様は、優しく目を細めて、頷いてくれている。
「……そっか……」
もう、背負わなくても、いいんだ。
私の力不足で、私のせいで、死なせてしまったと思っていた男の子は――ちゃんと、生きていたんだ。
「……そっか。ルゥ君が、生きてた……そっか」
ホッとしたら、なんだか涙が出てきそうになる。
私はそっと瞼を閉じて、ハンカチで目元を押さえた。
「これで、納得した? 子供の頃からの想い人も、今私が愛している女性も、ただ一人。君だけなんだよ、ミア」
閉じた視界に、ウィリアム様の澄んだ声がすうっと入ってくる。
彼の言葉が、今度こそ素直に、染み込んできた。
ハンカチで押さえていても我慢できないぐらい、さらに私の目頭は熱くなっていく。
「ルゥ……いえ、ウィリアム様……私……」
「ミア……」
小さな衣擦れの音がして、ウィリアム様が立ち上がったのがわかった。
そしてすぐに、私の座る三人がけのソファの、左側の座面が、沈んだ。
「――背中に、触れてもいい?」
耳元で聞こえたその声に、私は少し躊躇いながらも、頷く。
「……ありがとう」
そうしてウィリアム様は、私の涙が落ち着くまで、優しく背中をさすってくれたのだった。
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