1-23 白光



「ミアっ! 大丈夫か!?」


 ノックと共に大慌てで部屋に転がり込んできたのは、顔を真っ青にしたウィリアム様だった。

 相当急いでいたのだろう、珍しく髪が乱れている。

 今日は魔法騎士の入団試験があるはずだが、もう終わったのだろうか。


「まあ、ウィリアム様……私はこの通り、元気ですわ。試験はもう終わったのですか?」


「あ、ああ。試験会場にいた私の父宛に、君のお父上から魔法通信をもらってね。急いで片をつけて、馬を飛ばしてきた」


 普通に椅子に腰掛けて本を読んでいた私を見て、ウィリアム様は少し落ち着いたようだ。ベッドに寝たきりになっているとでも思ったのだろうか。


「それより、ミア……本当に大丈夫? 苦しくないか? ああ、どうしてこんなことに……!」


「そんなに心配なさらなくとも、大丈夫です。少し呪いに触れてしまったけれど、まだ広がっていませんわ。――黒いもやは、指先にとどまっています」


 私は、警戒することなく、知らないブティックから送られてきた小包を開封した。

 その中に入っていたストールに、真っ黒な呪いの靄がまとわりついていたのだ。

 封を開ける時に少し触れてしまい、呪いの靄が自分の手に移ったのである。


 私はすぐに小包に再び封をして、お父様に相談した。

 お父様は、黒い靄の件も、私がウィリアム様に聖魔法を教わっている件も知っていた。そのためすぐに、そして密かに、オースティン伯爵に魔法通信で連絡を取ってくれたのである。



 ウィリアム様は、今にも泣きそうな表情をしていた。

 噂に振り回されて疑心暗鬼になっていたけれど、実際にウィリアム様に会って話せば、不安はすっと溶け消えていく。

 私は、軽率な行動をした自分を恥じたのだった。


「ウィリアム様、ごめんなさい。私が警戒を怠ったばかりに、ご心配をおかけしてしまって……」


「……ああ。だが、事情を話してもらう前に、解呪の聖魔法を試してみようか」


 ウィリアム様は私の耳元に口を近づけ、囁いた。

 いつもの香水の奥に、少しだけ汗の匂いを感じるが、不快ではなかった。むしろ、こんな時なのに、不謹慎にもドキドキしてしまう。


 私は頷くと、侍女のシェリーに退室を命じた。



「――我が声は天の声、応じよ聖なる光――」


 ウィリアム様のノートと、ステラ様の手記を見ながら、慎重に解呪の魔法を紡いでいく。

 基本的な形式は『治癒ヒール』と一緒だが、ところどころ異なる点があって、少し複雑だ。


「――集いて黒きしゅを祓え。『解呪アンチカース』」


 『治癒ヒール』よりも密度の高い白光が、手の中に集う。

 光はさわさわと肌を撫でてゆき、呪いの靄を吹き消したのだった。


「まあ……」


「ミア、どうなった……?」


「ウィリアム様、呪いの靄は消えましたわ。うまくいったみたいです」


「そうか……! 良かった……!」


 ベイカー男爵の呪いが見えたことをきっかけに学び始めた聖魔法。

 身近な人たちを守れるようにと願い、手にした力だった。

 だが、それがまさか自分の身を助けることになるなんて。


「ミア……、本当に、もう、なんともない?」


「大丈夫ですわ。元々、そんなに強い呪いではなかったのです。痛みも不調も感じませんでした。風邪の引き始めみたいな、ぞわぞわとした悪寒を覚えた程度です」


「……良かった……本当に、良かった……」


 ウィリアム様は、顔をくしゃりと歪ませたかと思うと、突然私をぎゅっと抱きしめた。

 その体は、小刻みに震えている。


「ウィリアム様……?」


「子爵から呪いのことを聞いた時、俺……、心臓が止まるかと思った。また、ミアを守れなかったのかって……」


 いつもは穏やかで凛としている美しい声も、今は小さく震えていた。

 ウィリアム様は、甘えるように、私の頭に頬をすり寄せる。


「ミアがいなくなったら、俺……」


 ほんの小さな呪いに対して、ウィリアム様の反応はあまりにも大袈裟だった。

 何か、呪いで嫌な思いをしたことでもあるのだろうか。


「……心配なさらなくても、いなくなったりしませんよ」


 私は、ウィリアム様の背中におずおずと手を回し、抱きしめ返す。

 とん、とん、とあやすように背中を叩くと、ウィリアム様は私を抱く力を少しだけ弱めた。


 これほど大切に想われているなんて、少し前までは想像もしていなかった。

 大切な人がいなくなってしまうのは、苦しいことだ。辛いことだ。


 私は、ルゥ君のことや、ステラ様と私の本当のお父様のことを思い浮かべた。

 今、もしもウィリアム様がいなくなってしまったら……?

 ルゥ君や両親のことも悲しく尾を引いていたが、きっと、それよりもっともっと大きな穴が開くだろう。


「……私も、ウィリアム様がいなくなってしまったら、嫌です」


「ミア……」


 私がぽつりと呟くと、ウィリアム様はぴくりと顔を上げた。

 ウィリアム様と、目が合う。

 淡い緑色の瞳には、不安の色だけでなく、小さな喜びの火が灯った。


 ウィリアム様は、こんなにも私に寄り添ってくれる。

 なら、私も――もし、ウィリアム様に何かあったら、私も力になりたい。


 ウィリアム様の秀麗なかんばせが、優しい熱を帯びたその瞳が、甘く柔らかく弧を描くその唇が、ゆっくりと近づいてくる。


 胸にともる熱に従うように、私はそっと目を閉じた。


 ――これから、ずっと。

 彼が心に抱えている傷も。

 その身に降りかかった苦痛も。

 私がそばで、癒してあげたい。


 そう、強く思った瞬間。

 唇と唇が触れ合う直前――私の胸から、清らかな光が、溢れ出した。


 目を閉じていても眩しいほどの白光。

 私は瞼にぎゅっと力を込める。


 光は、ほんの数秒でおさまった。


「――っ、今のは?」


「わ、私にも何が起きたのか……」


 ウィリアム様は私から腕を離すと、突如何かに気づいたように自分の肩口や腕を触り始める。


「ウィリアム様? どうされたのです?」


「試験中に怪我をした箇所が、治っている……?」


 彼は信じられないといったような表情で、片方の袖を捲り上げた。

 傷一つない、細いのにしっかりと筋肉のついた二の腕があらわになる。

 私の貧相な腕とは全然違う。男の人の腕だ。


「ミア。今、『治癒ヒール』を唱えた?」


「いいえ、私は何も……」


「無詠唱で……? そんなことがあるのか?」


 ウィリアム様は、深く考え込む。

 自分の世界に入ってしまったようだ。


「あの、ウィリアム様……?」


「あの時も、もしかして、ミアが……?」


 私は声をかけるも、ウィリアム様は思考の海に沈んだまま、帰ってこなかった。

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