汐ノ音

桑鶴七緒

前編

「縁日行こうよ」


梅雨が明けてじりじりと蒸している学校の昼休みの屋上で、何を思い立ったのか私は同級生の村沢 汐里しおりにそう告げて顔を赤らめた。彼女が私の顔を覗き込み更に鼓動が速くなってのぼせるくらい体中が硬直してしまった。

こんな弱気な私をどう相手にしてくれるか定かではないことはわかっている。

しかし、彼女は優しく微笑んで答えてくれた。


「いいよ。いつにしようか?」


かけている眼鏡が少しだけ傾き鼻のところを人差し指で直し、軽く咳をして姿勢を正した。


「来週の土曜。夕方くらいがいいな。大……丈夫?」

「うん。春谷さん、浴衣持っている?」

「う、うん。一応」

「じゃあ二人で着てこようよ」

「あのさ、私で本当に良いの?」

「だってそっちが誘ったじゃん。私もちょうど時間空いているし行きたかったんだ」

「そっか。じゃあ、よろしくお願いします」


同級生をこうして誘うことなど滅多にしない私。蒸す体に余計蒸気が漂わせて今にも破裂しそうな勢いだったので、非常階段の出入り口のドアを思いきり開けようとしたら、汐里は私の腕を掴んできた。


「何?」

「これ、ハンカチ。落ちていた」

「ああ、ありがとう」


ハンカチを受け取ると彼女の顔も見ずに逃げるように階段を下っていった。教室に入りまばらにいる同級生たちのなか私は自分の席に座り、窓の外の校庭を眺めては扇のようになびくカーテンがいつしか心地よいと感じられるようになっていた。

一人の生徒が窓を閉めて教壇の前に友人と話していると私に向かって何か差してきた。


「春谷さん、友達の一人くらい作ったらどうなの?」


彼女たちは少し小馬鹿にするように私に投げかけてきたので、そのうち作ると言いバッグから文庫本を取り出して、わざと気を紛らわせるように振り切った。


私は四月にここの学校に来てからまだ三ヶ月にも満たない。転校生という事もあって初めは同級生たちが私を囲んで興味を持ちながら話しかけてきたのだが、この通り臆病な性格が邪魔をしてしまいうまく話せずにいると、いつしか誰も声をかけてくれる人がほとんどいなくなった。


ある日の授業中に先生に問題の解答をするように声をかけられたときに答えがわからずに動揺していると、隣の席にいる汐里が答えてしまい同級生たちは笑っていた。それから彼女は時折ノートや筆記用具を貸してほしいと言っては私に話しかけてくれてきて、自分もそれに応えると笑顔を見せてくれてきた。


私は誰にも言えないことがある。

性の対象が女性であることを。


もし仮に誰かに知られてしまったらどこにも行く場所など無くなってしまうのではないかと、怯えるように毎日を過ごしている。そして、汐里が私に対して遠慮なく声をかけてくるので、彼女のその気さくさにいつしか惹かれてしまっていたのだった。


その日の夜夕食を済ませて部屋に入りクローゼットの中から浴衣を取り出してみると裾のところが解ほつれていたので、裁縫セットを開けて手縫いで直していった。たて鏡の前に立ち肩から浴衣を羽織ると帯の着付け方が分からなくなったので母親に聞きに行って、一緒に着付けていくとまた背が伸びたねと言ってきて、袖口が若干短くなっているのに気がついた。


「来年で三年生か、早いね」

「うん」


再び部屋に戻り鏡に向かって立っていると、汐里の事を思い出しては当日どのように話をしようかと考えて、浴衣から衣服に着替えてから机に向かって、落書きノートに「話すことリスト」をひと通り書いていった。こうして書いていくと、案外彼女に言いたいことがたくさんある。そうしている間に時間は早々と背中を押すように流れていった。


ある日、体育の授業で先生がバスケットボールをやるので、チームを組んで欲しいと言ってきた。同級生たちは仲の良い人同士で作っていくと、当然私は一人残った。

すると、汐里が私に一緒になってほしいと声をかけると、周りの人たちはヒソヒソと小言を言っていた。試合が始まり声援を送るなか汐里は私に授業をもっと楽しもうよと言ってくれ、彼女に自分もみんなと一緒に楽しみたいと返答すると、優しく頷いてくれた。


次に私たちの番が来て、コートの中に入り試合が始まった。一所懸命にボールを取ろうとするが、相手がガードされて先生の見えない隙にわざと私の体に当たってきた。何も言わずに我慢してまたボールを取りに行き、一人が私にパスしてくると、ゴールネットに向かってドリブルをしていったが、相手にすぐにボールを取られた。何点か入れられていくなか、汐里にパスが回ってくると相手を交わしながら彼女がシュートを決めると、周りの人たちの歓声が上がっていった。私も負けたくない気持ちでパスが回るとすぐに汐里に渡し彼女が次々に点を追いついていき、同点になった時にホイッスルがなり試合が終わった。


「汐里なかなかやるじゃん」

「サボってばかりいるのに、よく動けたね。何か部活やってた?」

「いや。体を動かすのが好きなだけだよ」


ちょうど良くチャイムが鳴り、後片付けをして更衣室へ着替えていると、一人の同級生が私に向かって、「バスケ楽しんでいたね」と声をかけてくれた。私は頷いて顔を隠しながら嬉しくてほころんでいた。


放課後、靴箱にローファーに履き替えて外に出ると正門の近くに汐里が一人で歩いている姿を見つけたので、小走りをして近寄ろうとした時、三年生らしき男子生徒が彼女と手を合わせいたのを見て立ち止まった。

そうか、彼氏でもいるのかと思い、少し気を落として彼らとは反対の通り道を歩いていき、駅へと向かって行った。


それから四日が経ち約束の土曜日がやってきて、あまり行く気がないなか浴衣に着替えていると汐里から電話が来た。昼間に家族と出かけていたこともあり自宅に帰ってきて彼女もこれから浴衣に着替えるから、待ち合わせ時間を少しずらそうと言ってきた。私はその時間に合わせて行くように伝えると彼女は明るい声を出して、楽しみにしていると返答してきた。


それから神社に着き正面出入り口の前で待っていると、汐里の姿を見つけて手を振り彼女が向かってくると、思わず、あっ、と声が出た。


「あれ、浴衣の色一緒じゃん。それ好きなの?」

「うん。お母さんと一緒に選んで買ってもらった。気に入っているんだよ」


濃い紺色に花が散りばめられた彼女の浴衣が私よりも似合っていて、五センチ背の高い彼女の斜め後ろから見るその姿が色っぽく見えた。

混み合う人のなかを行き交いながら境内に沿って歩いていき、いくつかの露店を眺めては汐里がお腹が空いたので何が食べたいと言うと、私は目に入った店に行こうと声をかけて、彼女と一緒に焼きそばとラムネを買って近くの空いている場所で食べた。


宵の星が出てきた頃、数メートル続く提灯の明かりがくっきりと浮かぶと、境内中央で納涼 民踊みんようが始まり、二人でそれを眺めながら更に奥へと歩いていった。ラムネを飲み汐里はある話を打ち明けてきた。


「私さ、彼氏いるんだよね」

「なんで、今日私と一緒に来てくれたの?」

「春谷さんのことも気になっていたんだ」

「私のこと?」

「ほとんど一人でいるしさ、このまま友達もいないままだとマズいかなって。ああ、悪いように言っているんじゃない。せめて私なら友達になってもいいかなってさ。……嫌?」

「ううん、嫌じゃない。できればずっと仲良くしたい……なぁ……」

「それで良い、一緒にいようよ。ねぇ、あそこに行かない?人がたくさん集まっている」


そこには小学生や同じ中高生の人たちが集まっていて、何かに熱心になり歓声を上げていた。店の奥を見るとある言葉が目に入って、私は思わず息を呑んだ。

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