第十四話 雪中行軍Ⅴ



「おら、早く出ろ!!」


 吉崎に引きずり出され、ルーシェヴィカは地面を転がった。

 レグルザは、平生こそ慇懃で堂々としているものの、どちらかといえば物事について深く熟考する性質たちであり、不測の事態に強いとは言えない。

 勿論頼りになる左腕ではあるが、この状況で彼ひとりにすべてを任せるには些か不安があった。 


─ならば、私も問題解決のために行動するべきか。


 連行されたのは人気のない廃工場の駐車場。ここならば、人目や安全を気にすることなく、存分に力を振るうことができる。


「まったく、つくづく短絡的な男だな」


 ルーシェヴィカは肩についた砂を払いながら立ち上がる。

 頭を打った衝撃は皮膚に擦過痕を残し、束の間脳神経を混乱させたが、重篤な影響を与えるには至っていない。


「覚えてねえのか?お前、俺と喧嘩して勝ったことねえくせに。しかも3対1だぜ?悪いことは言わねえよ、大人しく金渡すっていえば、今なら一発ずつで済ませてやる」


 髪の毛を掴まれ、踵が浮き上がる。その肩越しに引き寄せられるような適当な廃材を探そうとしたそのとき、取り巻きのひとりが足を振り上げた。


「おい!」


 しかしその身体が思い切り後ろに引っ張られ、彼はたたらを踏む。そして容易く転がされたその姿を見下ろす男に、ルーシェヴィカは目を丸くした。

 重い黒髪、切れ長の目、分厚い体躯─ショッピングモールで出会った男だ。


「懲りねえ奴ら」

「あ?またテメェかよ!お前もこいつの仲間か?」

「ちげえけど……つか何だその頭悪そうなセリフ。もう警察も呼んであるから、さっさと散れよ。面倒だし」


 男は地面に倒れる取り巻きに蹴りをいれる。ただ闇雲に足を振っただけではない、重みのある蹴りだ。


「一応昔空手やってたからな。お前らみてえなチンピラ崩れには負けねえよバーーカ」

「っ、くそ!」


 吉崎がポケットに手を入れる。その隙間から銀が閃き、男の眼前に突きつけられた。


「正義の味方気取ってんじゃねえぞ、オッサン!」

「はあ?まだ俺だって20代だわ、クソガキ」

 

─違う。


 これはジマイヴィルではない。しかし、彼に相応しい器だ。


「雪村さん!」 


 叫ぶような声が木霊する。見ると、スマホを胸に抱いたレグルザが、足をもつれさせながらこちらに走ってきた。


「警察は?」

「ご心配なく!」 

「だそうだ。お前らもう帰れよ。それとも一回お説教食らうか?」


 警察という言葉に、吉崎はあからさまに怯んだ。しかし取り巻きたちを一瞥すると、無理矢理声を張り上げる。


「っせえ!」


 彼はナイフを握り直し、ルーシェヴィカの腕を掴んでその身体を引き寄せる。切っ先を間近に向けられ、思わず顔をしかめた。

 臆することは「ダサい」。不良同士の集団にはこういった意識があって、だからこそ暴力が加速するのだ。尻込みし、やり過ぎだと苦言を呈する者は「日和ったダサい」者として認定されてしまうのだから。


「あーあ。目的分かんなくなってんじゃねえか。この場で殺したら人生終わるぞ」

「てめえらもぶっ殺して口塞いでやるよ!」


 震える切っ先が迫る。それが肌を切り裂くより前に、レグルザが声を上げた。


「わっ、冷たっ?!」


 彼は手にしていたスマホを放り出す。画面が白く曇ったそれが宙を舞い、太陽の光を受けて輝く。曇っているのではない。凍っているのだと気付いた瞬間、ルーシェヴィカは確かに、画面の奥から視線を、意思を感じた。


『名前を!』


 ジマイヴィルはすぐ近くにいる。そしてここには器がある。現状が把握できなくとも、それさえ理解すれば充分だった。


「……私を探して妙な袋小路に迷い込んだのか?護衛の風上にも置けん奴だな」


 言葉は冷淡だったが、ルーシェヴィカの口元は笑っていた。


「今度こそ辿り着けよ。私の呼び声を道標に、その名を寄す処に─来い!ジマイヴィル!」


 視界の端で、レグルザが男に手を伸ばすのが見えた。しかしそれは、周囲を包む閃光によってすぐに掻き消される。

 星が瞬く。光が脳を貫く。ふらついた雪村の身体は、すぐに姿勢を正した。


「……はあ、寒い」


 いくつもの金属音が重なった、空気に反響する旋律ムジカが鳴る。やがて、痛いほどの冷気が頬をざらりと撫でた。


「寒い、寒い……」


 ぱき、ぱき、と足元に僅かに溜まった水が凍りつく。


「身体があるってのは、これだけが厄介なんだよ」


 先程まで喧しかった吉崎の声が、ぴたりと止む。


「遅くなってすいません。怪我はないですか?ルーシェヴィカ」


 霜によって湿り気を帯びたのか、額に張り付いた前髪を払い、彼はため息をつく。


「んでも、軽率なアンタも悪いんで。そこんところ反省してください」

「……ジマイヴィル」


 雪がちらつき、霜が覆うその場には3つの氷像が生まれていた。吉崎とその取り巻きたちは、皮膚を氷漬けにされ、身動きひとつ取れず忙しなく瞳だけを右往左往させている。


「早くこの腕を外せ」

「はいはい」


 凍り付いた吉崎の腕を無理矢理捻じ曲げ、ジマイヴィルはルーシェヴィカの拘束を解く。自由になった彼は、その大柄な体躯を見上げた。


「詳しい事情は後で聞くが─よく戻った、ジマイヴィル。合流早々、己の務めを果たす勤勉ぶりは評価に値する」

「それはどうも。まあ慣れっこなんで。レグルザ、アンタの怪我は?」


 レグルザは、ぼんやりとジマイヴィルを見上げた。神経質で尖った雰囲気は雪村のそれに似ているが、決して同じではない。その瞳にも、脳にも、この世界のどこにも、彼の意識は残っていない。

 雪村穂は死んだ。ジマイヴィルという精神生命体に、跡形もなく食い尽くされた。


「レグルザ?」

「わたしは、特に問題ありません」


 そう答えたものの、足に力が入らずその場に座り込んだ。目の奥がチカチカと明滅し、指先の痺れが強くなる。

 緊張状態になると、自律神経の制御が明確に乱れるのは昔からだった。


「横になっとけば?」

「いえ、すぐに戻します」


 優位になりすぎた交感神経の働きを抑制し、血管を拡張させて血液を巡らせることに意識を集中させる。そしてゆっくりと立ち上がり、ようやく普段通りの微笑みを作ることが出来た。


「誰のせいだと思っているんですか。こちらは慣れない仕事をしたせいで、心臓が止まる心地だったんですよ?」

「そりゃあすいませんねぇ」

「警察は本当に呼んだのか?」

「いえ、まだです。どうしますか?」


 ルーシェヴィカはスマホを取り出した。


「この国は秩序立った法治国家だ。仲間がみな集うまでは、善良な一市民として振る舞うべきだろう」

「仲間が集うまでは?あれ、そういえば俺達ってもっといましたよね?」

「これで把握しておけ」


 ルーシェヴィカはジマイヴィルの手を掴み、名前も思い出せない誰かのムジカによって記憶を流し込もうとしたが、上手く力が発動しない。やはり、力は記憶と密接に結びついているようだ。


「レグルザ、電話とジマへの説明ならどちらが楽に話せる?」

「わたしが電話しますよ。あなた、怯えている演技なんて出来ないでしょう?」

「吐くなよ」


 体調を気遣っているらしい言葉をかけ、ルーシェヴィカはジマイヴィルと共に電話に音が入らないような位置に移動する。

 それを見送って、レグルザは自分のスマホを取り出した。電話を繋ぎながら、何気なく周りを見回す。

 ふと、目に留まる黒。それは雪村の社用スマホだった。


『事件ですか、事故ですか?』

「事件です」

『何がありましたか?』

「ショッピングモールで、友人が……」


 通話をしながら、雪村のスマホに手を伸ばす。ジマイヴィルの氷によって完全に破壊されてしまったらしいそれは、電源ボタンを何度押しても起動する素振りを見せない。

 友人が不良に拉致された。思わず夢中で追いかけた。今は廃工場にいる─怯えと不安を含んだ声でそう伝えて電話を切る。 


「ああ、俺やらかしたな……記憶の引き継ぎ上手くいってねえかも……何で身体の持ち主がここに来たかも覚えてないし」


 ルーシェヴィカから説明を受けていたらしいジマイヴィルは、額を押さえて息を吐いた。


「何も覚えていないんですか?」

「一応、仕事のこととか、所属してるコミュニティのことは、なんとなく把握できてます。でもここ数日の記憶はさっぱりですね。アンタ、どうやってこいつをだまくらかしてここまで引っ張ってきたんです?」

「まあ、だまくらかすとは失礼な……」


 芝居がかった言葉を続けようとして、失敗した。何故雪村がレグルザの頼みを聞いたのか。本当に車欲しさの行動だったのか。だとしたら最後、何故レグルザの代わりに吉崎たちの前に立ち塞がったのか。

 どの疑問にも答えることは出来ない。彼はもう、死んでしまったのだから。


「……分かりません。貴方が思い出せないのなら、それは無かったことと同じですよ」


 レグルザは、壊れたスマホを手の中で転がす。

 彼に対する憐れみはない。これは食物連鎖の結果であって、この星、宇宙、その果ての果てまで、何処でも当たり前に存在する事象のひとつである。

 雪村穂は上位捕食者に出会い、そして死んだ。うさぎが狼に食べられるように、山羊が野草を食むように、至極当然の話。永い生の中で何度も何度も繰り返してきた。


─雪村さん。


─仕方ないんですよ。


─わたしたちはこうしないと、生きられない。


 身体が無ければ、彼らはただ思考するだけの概念的な存在だ。食事を摂ることも、そよ風を受けることも、本のページをめくることもなく、ただ宇宙を漂い続ける。

 それに、耐えられない。命が欲しい。身体が欲しい。体温が、感覚が、熱が、呼吸が、生きることのすべてが、ほしい。しかし、


「どうして、あなたはわたしを助けてくれたんですか」


 鋭利な瞳の奥に宿る真意を、二度と知り得ないことが、とても、


─さみしい。


 人は、手折った花の痛みを知らない。

 獅子は、兎の悲鳴を知らない。

 知るべきではないからだ。


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