第十三話 雪中行軍Ⅳ


「お願いします、助けてください!」


 駐車券を取るためにあらかじめ開けていたであろう窓を叩き、レグルザは叫んだ。


「はあ?なに……」

「わたしを覚えていますか?先週、不良に絡まれているところを助けて頂いた者です」

「あ、ああ……別に助けた覚えはねえけ……」

「お願いします、友人がこの前の男たちに車で拉致されてしまったんです。どうか追いかけるのを手伝ってください」

「は?」


 男は太い眉をひそめ、レグルザを頭から爪先まで観察する。


「何言ってんだ」

「お礼なら何でもします。勿論あなたの会社にわたしから弁明いたします。お金でも、物でも、あなたが求めるものを用意します。ですから、どうかあの車を追いかけてください。今ならまだ国道にいるはずなんです」


 男の警戒心は至極当然のことだ。先日遭遇したトラブルの種が、自分の車のドアを叩き、あまりにも突飛なことを話しているのだから。

 しかしレグルザも引き下がるわけにはいかなかった。

 彼は財布を取り出すと、先日の競馬のナイターで稼いだ10数万円を車内にぶちまける。


「うわっ」

「お金ならいくらでもあります。お願いします、わたしの言う通り運転してください」


 最後に頭を下げる。これで拒絶されたら、能力ムジカを使い強引に車を奪うつもりだった。男は寝癖のついた黒髪をぐしゃぐしゃと掻き、ため息を共にタイヤを叩く。


「入れ」

「……良いのですか?」

「丁度新車が欲しかったんだ。あんた金出せよ」

「はい、勿論です、ありがとうございます」


 レグルザが助手席に乗り込むと、男は舌打ちをしながら車を発進させた。


「どっち?」

「右です。国道に出てください」

「相手の車は?」

「白のボルボXC90です」

「へえ、いい車乗ってんだな」


 御厨蛍助の父は無類の車好きだ。精神生命体は、脳に蓄積された記憶を余すことなく活用できる。御厨が幼い頃から父に聞かされ、しかし彼自身は全く興味を持たず意識の外に追いやっていた知識が、今役に立っている。


「本当にありがとうございます」

「だってあんた、この車盗るつもりだったろ」

「え?」

「目が狙ってた」

「それは失礼。仰るとおり、断られたら車を頂戴するつもりでした」

「あんたMT運転できんの?」

「運転の知識はあります」


 少しばかり心に余裕を取り戻したレグルザは、シートベルトを締めたあと、得意げに胸を張った。


「あ、あれです。あの車です」


 その視界に、白いボルボが映る。すると男はギアを調整しつつ、「暫くつけるぞ」と告げた。

 レグルザはようやく、詰まっていた息を吐き出す。


「そうですね……止まったところで声をかけましょうか。ぶつけて止めるわけにも行きませんし」

「……あんたって見た目の割に大雑把だな。つうか、金拾っとけよ」


 そう言われ、散乱した金を拾い集めていると、乱雑に放られたあるものが目に留まる。拾い上げたそれは社員証だった。「雪村穂」という名前と共に、不機嫌な表情の顔写真が印刷されている。

 

「ゆきむらみのるさん、ですか?そうだ、わたしは御厨蛍助と申します」

「ご丁寧にドーモ」


 誘拐犯の車を追跡しながら、雪村の態度は落ち着き払っている。膝の上で地図アプリを開き、時に脇道に入って上手く赤信号を避け、時にトラックの影に車体を隠し、慎重だが確実に吉崎を追い詰めていた。


「何も聞かないんですか?」

「何が?」

「わたし、見るからに怪しいでしょう。警察にも通報せず、殆ど見ず知らずのあなたを頼るだなんて」

「クソ怪しいけど。でも車買ってくれるんだろ?何にしようかな……たまには外車もいいかもな」


 そこでようやく、レグルザは彼が乗る車が、少しくすみのある青色をしていることに目を留める。


「これは5代目ファミリア……サルーンですか」

「なに、詳しいの?」

「まあ、多少は。この青が良いですよね。落ち着いていて」

「そうそう。まあ一人暮らしにはデケェけど……トランクルームがある方が好きなんだ。でも、流石に次は2ドアにするかな」 


 そこで雪村は、ちらりとレグルザを見た。


「なあ、トラバントほしいって言ったらどうする」

「トラバント?またすごい名前を出しますね……あれ、公道は走れませんよ?」


 東ドイツ製の2ドアセダン─爽やかな水色の車体にはレグルザも心惹かれるが、排ガス量など様々な問題によって、日本でナンバー取得及び公道走行可能に至った個体はない。


「ナンバー付け替えたらバレねえんじゃね?」

「排ガスで分かるでしょう……でも、いいですよ。探します」

「マジ?」

「ええ、この世の中、ツテとお金さえあれば、大抵のことはどうとでもなるんですよ」 


 雪村の目が訝しげに細められた。


「……あんたってボンボン?」

「わたしギャンブルでイカサマをするのが得意なんです」

「へえ、お上品ぶってるくせに」


 からかうように笑うその目に、躊躇いや恐怖は無い。かなり肝の据わった人物であるようだ。


「そういえば、先日はどうしてわたしたちを助けてくださったんですか?」

「……知らね」

「知らないとは?」

「なんか、身体が勝手に動いたんだよ」


 雪村はタバコを咥える。火をつけようとしたところで、レグルザは彼を止めた。


「すみません、気管支が弱いのでタバコはご遠慮いただいても?」

「ん?ああ、わかった」


 彼は素直にタバコをしまう。気管支が弱いというのはもちろん嘘─ジマイヴィルのために、なるべく雪村の身体は痛めずに保存しておきたいと考えたのだ。


「それで、身体が動いたというのは、少年漫画の主人公が子どもや犬猫を助けて、身体が勝手に動いちゃってさ……というような話でしょうか」

「んなわけねーだろバカか……なんつうの?マジで操られてるみてえに歩き出して、あのクソガキを止めて……ああ、ホント意味わかんねえ」

「ジマイヴィル」


 その名を呼ぶと、雪村がギョッとしたようにレグルザを見た。


「なに……」

「あなたの中にいる、ジマイヴィルがそうさせたのではないのですか?幹をたどり、あなたの精神の奥に、既に彼は─」


 刹那、雪村の膝の上に乗っていた、小型のスマホが鳴り響く。同時に吉崎たちの車が脇道に入り、彼は舌打ち混じりにハンドルを切りながらレグルザを一瞥した。


「おい、メール見てくれ」

「え?」

「それ社用のだから、用件だけ読み上げればいい」

「あなた休憩中でしょう?」

「……デカめのトラブルとかだと、無視するほうがあとで面倒なんだよ」

「まあ、勤め人は哀れですね」


 感情のこもっていない声で哀れみを口にしながら、ロックを解除したスマホを受け取る。

 そして新着メールを開こうとした瞬間、画面が突然メモアプリに切り替わってしまう。


「ん?」


 メモ欄いっぱいに何十行と並ぶのは、0と1の羅列。妙なマルウェアにでも感染しているのかと勘繰りながら、ぼんやりと文字列を追う頭が、脳の奥に宿る知識を引き出す。

 高校のパソコンの授業、退屈そうに聞き流していた御厨蛍助の手元で広げられた教科書。


─二進数。


 並行して対応する十進数、十六進数、アルファベットが脳の中で出力されていく。


─KO……KO……ここ?


 やがて、ある一文が浮かび上がった。


『ここにいる』


 レグルザはひゅっと息を呑む。緊張と興奮によって自律神経が刺激され、血管が収縮し、指先に痺れが生じた。


「おい、メールなんて書いてあんだ?」

「……あ、え、休憩終わりに4階に来てくれと、ええと……課長様から」

「ちっ、くだらねえことでメールして来やがって」


 慌てて別タブでメールを確認し、微かに上ずった声で読み上げる。そしてすぐに彼はメモアプリを開き直すと、画面に唇を寄せ、小さく囁いた。


「ジマ?」

『ルーシェヴィカは?』


 質問への回答よりも、自分の状況の説明よりも先に、ルーシェヴィカの状況を確認する。その姿勢に、レグルザはこの文章を打ち込んでいるのがジマイヴィルだと確信した。


「なぜ、スマホに……」


 彼らは知的生命体の精神に宿る。ハリガネムシが昆虫類に寄生するように、哺乳類や爬虫類には寄生できないように、精神生命体は樹状精神構造デントロシラを持つ生物以外に宿ることは無い。

 それがなぜ、生物ですらない電子機器に意識を宿しているのか。


「あ、停まった」


 小さな廃工場の前で吉崎の車が停まり、雪村も15メートルほど離れた位置で、古い看板に車体を隠すように停車する。


「警察呼ぶかぁ」

「いえ、そんなものは待てません」

「は?」


 ドアを開けようとした腕を引かれ、その勢いでレグルザはひっくり返りそうになる。


「あんたみてえなガリヒョロが出張ったってボコられるだけだろ。場所分かったんだから大人しく警察待っとけ」

「彼に危害を加えさせる訳にはいきません。急がなければ」


 吉崎たちがルーシェヴィカを車から引きずり出すのを見て、レグルザは声を上げる。掌の中で、スマホがけたたましく音を立てた。


「……ああ、じゃあ、逆だ逆」

「逆?」

「俺が気引いてやるから、あんたが通報しろ」

「……え?」

「面倒だけど、あのガキどもにやられるほど軟じゃねえし」


 人差し指をレグルザの額に突きつけると、彼は有無を言わさずシートベルトを外す。


「雪村さん」

「あ?」

「何故、そこまで」

「車。絶対に手に入れろよ!」


 雪村は最後に再び念を押して、さっさと車のドアを閉めてしまった。


「あ、待っ……雪村さん!」


 レグルザはシートベルトを外す。自律神経のコントロールが上手くいかず、指先の痺れと震えが収まらない。この体たらくではルーシェヴィカを笑えない─と彼は舌打ちをした。


『からだ』


 彼が握りしめたスマホに、数字、ひらがな、漢字が混ざりあった羅列が表示され続ける。その中で、判読できる箇所は少なかった。


『からだ』


『いのち』


『ほしい』





 



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