第九話 器なき命


まつりは我に返った。長い夢を見ていたような感覚のまま周囲を見回すと、吉崎を止めた男が、彼らと言い合いをしているところだった。


「分かんねえんだって。身体が勝手に動いたっていうか……」

「そんなんで人に暴力振るっていいと思ってるのかよ?!ふざけんじゃねえぞ!」


彼は、身長190センチを超える大男だった。

ただ背が高いだけではない。骨太な身体には密度の高い筋肉がつき、その厚みはまつりや御厨の2倍近くはあった。しかし格闘家のような体躯を持ちながらも、顎は細く髪はきっちりと真ん中で分けられていて、まるで首だけ別人のものを持ってきたような印象を抱く。


「だから、知らねえって」


男は、なぜ自分がこの諍いに介入したのか、全く理解していないようだった。酷く困惑した様子で、吉崎たちに曖昧な弁明を繰り返している。


「ルーシェヴィカ、これはどういう状況でしょう……ルーシェヴィカ?」

「レグルザ、私の記憶を見ろ」

「いや、どうやっ─」


星々が螺旋を描く回廊、先遣隊の編成、ジマイヴィルと歩いた海、曖昧な声と光のイメージによって構成された断片的な記憶。それを共有するよう、御厨─レグルザに“命令”する。

すると彼は、困惑した様子で頭を押さえた。


「今のは……?ジマイヴィル……ああ、あなたの右腕の……そうだ、何故忘れていたんでしょう」

「私も今思い出したところだ」

「記憶の共有、これがあなたの……“異能”だと?」

「少し違うな。しかし今はそれを語るべき時ではない。私は、あれを手に入れる」


まつり─否、ルーシェヴィカは男の背中を指す。


「ジマイヴィルは、身体の大きな個体を好んで使っていた。あれは年も若いようだし、使い勝手が良いだろう」

「……仰っている意味が分かりかねるのですが、あれがジマイヴィルの生まれ変わり、ということですか?」

「いいや、違う。都合良く隣近所に、生まれ変わりとやらが現れると思うか?良いかレグ、お前は偶然に私と出会ったのではない。私がお前を呼んだんだ」


己は剣崎まつりなのか。この記憶と意志は、損傷した脳から生じた存在なのか。その疑問に、ようやく答えが出た。


「とにかく、俺仕事の休憩中だから」

「は?このまま生かせるわけねえだろ!」

「黙れよクソガキ、また引きずり回されてえか?」


吉崎とその友人、そして大柄な男はもはやルーシェヴィカたちを置いて、勝手に言い争っている。周囲から怪訝そうな視線が注がれるが、わざわざ見上げるような大男の喧嘩を仲裁する者はいないだろう。


「落ち着け、見苦しいぞ」


ルーシェヴィカは一歩進み出ると、男の肩を叩いた。


「お前は理性的な男の筈だ」

「……なんだ、坊主?」

「貴様には話しかけていない」


右隣に立つその眼前に向かって、手を差し出す。ジャンパーの胸ポケットから覗く社員証には、「雪村」という名が見て取れた。


「雪村か。貴様にとっては不運なことだが、その命はここで尽きる」

「……?」

「私の忠実なる右腕、ジマイヴィルが生きるために、貴様の身体が必要なんだ」


そう、彼らは生まれ変わりなどではない。

ルーシェヴィカは、剣崎まつりが肺炎によって生死の境を彷徨ったときに、レグルザは彼がその名を呼んだときに、そしてジマイヴィルは今この瞬間、「他者の肉体」を奪って、この世に命を得た。


「来い、ジマ」


刹那、雪村の瞳の奥に光が爆ぜる。赤、青、緑、黄、あらゆる色が混ざりあった奔流のようなそれは、彼の脳を内側から呑み込んだ。それが、雪村という男の意識の最期だった。


「星が─」


雪村はふらりとよろめいた。しかし次の瞬間、その足は力強く地面を踏みしめる。


「……あ?まつり、テメェ何わけわかんねえこと─」

「おい」


太い腕が、吉崎の首を捉えた。締められた気道から奇妙な音を立てながら、彼は必死に暴れだす。友人ふたりが、その身体を解放しようと雪村に─ジマイヴィルに飛びかかる。刹那、肌を切り裂かんばかりの冷気が辺りに満ち、男たちが動きを止めた。


「……ぁ」

「礼儀知らずのクソガキが」


切れ長の目で吉崎を見下ろし、ジマイヴィルは舌打ちをした。 

そこに、年配の警備員がやってくる。彼は素早く氷を溶かして、濡れた吉崎の肩に腕を回した。


「こら君たち、何やってるんだ?」

「ああ、お騒がせしてすみません。昔の知り合いに会って、ちょっとじゃれ合いがヒートアップしたというか……な?」


ルーシェヴィカも近付き、吉崎に囁く。


「痛い思いは懲り懲りだろう?ここは穏便に済ませてやるから、黙って頷け」

 

寒さと恐怖で顔を青くした吉崎は、首が取れんばかりの勢いで頷いた。


「そ、そ、そうです。ちょっと飲み明けで、変に盛り上がっちゃって」

「ご迷惑をかけて申し訳ありません」

「……なら良いけど、あまりこういう場所で騒いだら駄目だよ、お兄さんたち」

「はい」


警備員が歩き去るまで笑顔を貼り付けていたルーシェヴィカは、制服姿が視界から消えた途端に冷たく彼を見据える。


「二度と我々に近付くな」


返事を待たず、彼は歩き出す。小柄で無防備な背中は一見すると隙だらけだが、吉崎は動くことができない。その左にはレグルザが、右にはジマイヴィルが着いているからだ。

その姿は、翼を広げる鳥のように見えた。


「お久しぶりです、ジマ」

「どうも、レグルザ。あんたはやっぱ真っ先に呼ばれるんですねぇ」


歩きながら、ジマイヴィルが眉を寄せる。


「こらこら、そう不機嫌になってはいけませんよ。我々は隊長のもと、役割はあれど序列は無い。そうでしょう?」

「俺と、ランやラージェが同列だって?」

「懐かしい名前ですね。うん、本当に……どうして忘れていたのでしょうか」


レグルザは不安げな表情を浮かべた。

先程流れ込んできた記憶─それはこれまでの仮説すべてを否定するものだった。


「ルーシェヴィカ、レグルザ……その名が既存の言語に当て嵌まらないのは当然でしたね。わたしたちは、この星の人間ではない」

「ああ、その通りだ」


“星の回廊”の窓、その向こう側には宇宙の闇と星の光が広がっていた。そして“夜の底”と称された牢獄もまた宇宙の闇、超空洞ボイドの底にあったものだ。


「“開拓地”は他の天体を、“先遣隊”は居住に適した星を探して宇宙を渡る者たちを指す言葉だった。我々はそれに任じられ、何かの理由で肉体を失い……いや、違うな」


記憶の中で、ルーシェヴィカはなんの装備もなく宇宙を歩いていた。いや、歩くという感覚も存在しなかった。先遣隊に命じた者も、牢獄の中のジマイヴィルも、テレパシーから連想された声のイメージでしか記憶に残っていない。


「私たちには、そもそも身体が無かった。そして─」


水に覆われた土地を訪れたとき、ルーシェヴィカたちには身体があった。全身を体毛に覆われ、鋭い爪を持った、二足歩行の生き物の身体が。


「我々は、生物の脳に宿り、その支配を奪う」


狼が羊を捕食するように。植物が光合成をするように。剣崎まつりの命を糧に、ルーシェヴィカはその身体を得た。

彼らは─“星の群れ”はその光によって命を貫き、魂を食らうのだ。








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命を渡る星 伊勢谷照 @yume_whale

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