命を渡る星

伊瀬谷照

プロローグ 宙より来たる光



 それは帝政ローマ─未だ内戦の混乱の中にあった、8代皇帝ウィテリウスの世の出来事である。


 一人の男が、殆ど日の沈みかけた屋敷の廊下を歩いている。屋敷の主人に急な要件を申し付けられ、この時間まで仕事に追われていたのだ。


「まったく旦那様は……」


 小さく愚痴を溢しながら、ふと窓の外を見上げる。僅かに西の稜線を赤く染める夜空に、星々が散っていた。今日は朝から雲ひとつなく風も強かったため、その光はよく目立つ。

彼は、天文学の知識など微塵も持たない無学な奴隷だったが、それでも今日の天を満たす星はとても美しいものに思えた。


「綺麗だあ……」


 そう、それはあまりにも目映く、鮮やかで、うつくしい。いっそ異様なほどに。

しばらく呆けていた男は、はっと我に返った。早く戻って休まなければ明日の仕事に響いてしまう─手にしていたランプを構え直し、廊下を進もうとする。そのとき、パチンとランプの火が弾けて、彼は一瞬反射的に目を閉じた。


「……え」


 刹那、目蓋の裏で光が瞬き、弾けた。角膜の上、眼球の中、脳の髄、そこから伸びる神経の全てで、男は鮮やかに輝く光の爆発を感じた。


─降ってくる。


─星が降ってくる。


 目の表面から、脳の隙間から、この世の全ての色を集めたように鮮やかな、爆ぜた星の輝きが降り注いでくる。

 男は目を開け、天井を仰いだ。そこにあるのは、ランプによって僅かに照らされた薄闇だけだ。

 それでも、彼の脳の奥には、未だ目映い光が次から次へと降り積もり、どこへともなく沈んでいく。形容し難い感覚に恐怖した男は、しばらく呆然としていた。


「なんだ?」

「きゃあ、なによこれ!」


 不意に、屋敷の中が騒がしくなった。他の奴隷たちや、寝着に身を包んだ主人までが部屋を出てきて、皆一様に頭を押さえて恐慌状態に陥っている。


「頭に、頭の中に、星が」


 その日の夜、ローマの全市民が、否─世界中の全ての人間が「頭の中に降り注ぐ星」を知覚した。

 このことについては、当時のローマや後漢で数多くの記録が残され、幾度となく学者やオカルティストの興味を惹くこととなる。

ある者は大規模な天文現象とそれに起因する集団ヒステリーだと考え、またある者は宇宙人のコンタクトだと主張し、またある者は神の啓示だと訴えた。


─現代においても、この「星」の正体は未だ明らかになっていない。








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