第42話
カトリーナは今から何をされるのか……考えるだけで恐ろしい。
あの二人は容赦なくカトリーナを傷つけるだろう。
カトリーナは自らを抱き込むようにして座り込んだ。
(このままだと……)
ふと、クラレンスやニナ達の顔が思い浮かぶ。
瞳から滲む涙を拭って、自らを奮い立たせるように立ち上がった。
以前ならば何もされても受け入れていた。
全てを諦めていたけれど今、カトリーナには大切な居場所がある。
もうやられっぱなしなんて絶対に嫌だと思った。
(弱気になっちゃダメ。クラレンス殿下か護衛の人達がもう邸に帰ってくるはず……)
カトリーナが出て行ってから手は加えられておらずそのままになっている屋根裏部屋。
咳き込みながらも綺麗な布を見つけて口や鼻を覆う。
カトリーナは小さな窓を開けてから、大きさを確かめていた。
(なんとか体が通り抜けられそう。問題は高さ……)
ロープや紐がないか屋根裏部屋の端から端までくまなく探していた。
それを本棚か柱に固定して窓から抜け出そうと思ったのだ。
辺りを見回してカトリーナと母のボロボロになった服が残されていることに気づく。
カトリーナは服を全て取り出して袖や服の裾を結びながら繋げようと考えたのだ。
カトリーナと母が寝ていたベッドへと向かい、埃を被ったシーツを取ろうとした時だった。
ゴトンと重たい音が聞こえた。
カトリーナは不思議に思い、その物が落ちたであろう場所を覗き込む。
「本……?」
古びた本が落ちたのを見て、カトリーナは手を伸ばす。
カトリーナは屋根裏部屋にある本は全て目を通していたはずなのに、この表紙は一度も見たことがなかった。
カトリーナは本を持ってペラペラとページを捲った。
そしてこれが物語の本ではなく、誰かが書いたものだと気づく。
日付けと書き殴ったように書かれている文字。
『病気だとずっと嘘をついていたけれど、今日あの女が押し入ってきてカトリーナを隠し通すことはできなかった。あんな思いをさせたくない。この子に辛い思いをさせないように頑張ってきたのに……!カトリーナを働かせたくない』
また次のページを捲る。
『この子だけは絶対に守ってみせる。カトリーナを守るためならば悪になってもいい。嫌われたっていい……今日もアイツは私たちを見ている。声を聞いている。だからカトリーナに冷たく振る舞わなければ……』
カトリーナはこれが母の日記だと気づく。
本を持つカトリーナの手は震えていた。
『カトリーナに私の分まで働かせてはダメ。頑張らせてはダメ。カトリーナはたくさん食べて元気でいて欲しい。なんとしても守らなければ……あの男がたまに果物を置いていく。今更、父親のフリをするなんてふざけないで。憎いけどカトリーナのために我慢する』
たまに置かれていた果物はサシャバル伯爵が置いたものだと知ってカトリーナは驚いていた。
そして最後のページには殴り書きでこう書かれていた。
『憎い、辛い、苦しい……咳が止まらない。もう私は長くないだろう。こんな地獄に置き去りにしてごめんなさい。一人にしてごめんね。ここから出て生きてほしい。幸せになって……カトリーナ』
カトリーナは大きく目を見開いて動きを止めていた。
目頭が熱くなり、鼻の奥がツンと痛くなる。
次々に頬に涙が伝う。
カトリーナはこんな形で母の本音をはじめて知ることになるとは思わなかった。
(ごめんなさい……お母様。ごめんなさいっ)
ポタポタと涙が溢れ出てくる。
母との思い出が、今になって鮮明に蘇る。
今まで辛い思い出として、心の奥底に仕舞い込んでいた。
けれど日記に照らし合わせてみると、母の隠されていた想いに気づかされる。
カトリーナに静かにするように指示を出していたのは、夫人達から守るため。
ずっと冷たい態度をとっていたのはサシャバル伯爵夫人に聞かれていたから。
カトリーナが母を助けようとしてたくさん働いた時に「余計なことをしないで」と怒られたけれど、母はカトリーナを必死に守ろうとしてくれていた。
『幸せになって……カトリーナ』
母の本当の気持ちを知ったカトリーナはその場に崩れ落ちるようにして本を抱きしめる。
確かにカトリーナは愛されていた。
(お母様……ありがとう)
カトリーナは唇を噛んで涙を堪えながら母の着ていた服と小さな自分の服や布、シーツを繋いでいく。
その一つ一つに母との思い出が詰め込まれていている。
カトリーナは肩を揺らして涙を流しながら声を押し殺していた。
服や布が解けないか確かめながらカトリーナは窓から身を乗り出して誰もいないか確認する。
端の方を柱に繋いで、もう片方を窓に垂らした。
もう少し足したら屋根裏部屋を抜け出せる……そんな時だった。
屋根裏部屋に向かって乱暴に階段を上がっくる複数の足音が聞こえた。
カトリーナは結んでいる時間はないと、母の日記を持ちながら窓から体を乗り出した。
そこではじめて邸が騒がしいことに気づく。
(急いで逃げないと……!)
カトリーナが布を使い、壁を伝いながら降りていくと、サシャバル伯爵夫人とシャルルの金切り声が聞こえた。
すぐにカトリーナが何をしようとしているか気づいたのか、シャルルが窓に身を乗り出してカトリーナの姿を確認している。
「お母様っ!こっちよ、ここにいるわ!」
「このっ……!」
カトリーナはサシャバル伯爵夫人の手に握られているナイフを見て息を止めた。
そして素早く繋げた服を伝っていくが、ここから地面まで高さがある。
(せめてあの木まで行けたら……!)
カトリーナは力を振り絞って降りていくが、それを阻止しようと窓から垂れる服をナイフで切って引きちぎろうとしている。
「お母様、早くっ!逃げちゃうわ」
「わかっているわ!すぐに切ってやるから」
「──やめて!」
カトリーナは震える手で布を握っていた。
(この高さから落ちたら……助からないっ)
カトリーナの手のひらに汗が滲む。風が冷たく感じた。
上から聞こえる笑い声……ゆっくりと顔を上げると、真っ赤な唇を歪めているサシャバル伯爵夫人と目があった。
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