第8話
頬杖をついたまま眠っていたゼルヴィアは、開けっ放しにしていた木窓からの寒風で目を覚ました。
力を掛け続けたからだろう、痛む手首を擦りつつ立ち上がって窓を閉じる。
「もう夜か……燐光石は」
窓を閉める前に探しておけば良かったと思いつつ、机の上を探る。
少し腕を伸ばした先、小皿の上に置かれた石を発見した。
中指で触れ、慣れた調子で力を注げば程好い光が満ちる。通常の灯かりとは違い、燐光石での照明は放射されるのではなく周囲に満ちる。意識的に操作してやれば部屋の中に限定して昼間の様に明るくすることも出来る。
それから備え付けの椅子へ腰を下ろして、改めて机上の物品を見詰めた。
まずは試しと機能性のみを追及した為、形状があからさま過ぎて不恰好だ。
だが、要求される能力値は満たしている。
懲りもせず頬杖をついて、指先で外殻部を撫でた。
頭に浮かんでくるのは遠ざかる車椅子の少女の背中だ。
師と仰ぐザン=デュック=スミスを追ってこの地まで来た。
彼女に接近したのも、砦で親しくしていると噂を耳にし、師との関係を繋いでくれるかもという思惑があったからだ。
なのに中途半端なことをして、悩みも払拭出来ていない内から行動を起こし、結果の出来事だった。
話すべき締めの言葉を仕舞い込んだまま。
まっすぐに夢見る少女に背負わせて。
そこまでは考えていない。
確かにジーンから問われた時、ゼルヴィアはそう答えた。
だが、可能性を見る度に思考は巡る。
それがどれほど残酷なものであるかと理解していながら、足元から伸びる影から、さっさとやれと声が響いてくる。
机の上、もう十日も前に完成させた試作品がある。
これなら。
思いつつ、思考は巡る。
後悔と後悔が鬩ぎ合い、いずれ選び取るだろう道の先に彼女が居る。
「躊躇いは先延ばしと変わらない。分かっているだろう、ゼルヴィア=エルメイア」
呟きを落とし、燐光石を手に部屋を出た。
少し夜風に当たりたかった。
吐く息が白い。
もうじき、冬になる。
※ ※ ※
アルが砦へ辿り着いた時、見慣れない少年が声を掛けてきた。
「坂を登るんですよね? 押しますよ」
地元の人間ではない。
なら、誰かの従士だろうか。
「ありがと」
困惑しながら頼むと、「失礼します」と再び声を掛けてから取っ手を掴んできた。
最初はゆっくりと確かめるように。
意外に力は強く、アルも車輪を押していたのもあって、跳ね橋前の勾配を難無く越えて行けた。門番の兵士と目が会う。
「おはようございます」
「おはよ」
「あぁ、いらっしゃい」
あれ? と何かが引っ掛かったものの、少年に押されるまま第一の郭を抜けて、奥へと登っていく。
「アンタって内地の人?」
「はい。最近来たばかりですが」
ならば新しく来た騎士の従士だ。
外地では成人した頃になる従士も、内地では誰でも、それこそアルよりも年下の、四歳や五歳の少年なんかでも成る事が出来るとは知っている。
「どの辺から来たの?」
「少し、奥の方からです。ええと、ここよりは温かな場所でした」
「最近寒くなってきたしね」
「えぇ、これからもっと寒くなるんですよね」
「そうだよ。風邪引かないように気をつけなよ」
「はい。ありがとうございます」
礼儀正しく応じる少年と共に、車椅子はいつの間にか第三の郭へ。
砦主の一族や今回のような賓客の住む居館があり、そこまで行って少年は手を離した。
「ありがと。アンタは?」
「主の所へ向かいます。もののついででしたから、お気に為さらず」
名前を聞いたつもりだったのだが、と、既に背を向けて裏口の方へと向かう、赤い髪の少年を見送る。
少しだけ薄い、赤色だった。
※ ※ ※
昼過ぎに大鐘楼が鳴り、レイナの部屋で本の読み聞かせをしていたアルは口を開けたまましばし固まった。
「襲撃!?」
驚き、確認しようと車椅子を滑らせるが、扉へ辿り着くより先に見張りの兵士が入ってきた。
強面の中年男は表情を厳めしくしつつ飛び出そうとするアルを押し留め、レイナへ向き合った。
「今のは一次警報です。確認に人を走らせていますので、ここで待機していて下さい」
言って彼が外へ出てからは、不安そうにしているレイナの元へと向かい、冷たくなっている手へ触れた。
「大丈夫、大鐘楼があるもん」
「そうね……」
アル同様にレイナも七年前の襲撃で父親を失っている。
それでなくとも、自分達を害する化け物のような連中が迫っていると聞かされて、平静で居るのは難しい。
「続き、読もっか」
「え? あ、うん?」
「やれることも無いし、ね?」
本当はすぐにでも飛び出して何かをしたい。
母は、兄は、爺ちゃんと呼び慕うザンはどこに居るだろうかと記憶を呼び起こす。
確か母は村の保存食作りをすると言っていた。兄は、アルの代わりにザンの直した鍬を届けに行くと言っていた。ザンはいつも通り小屋だ。この中なら、遠出をしている兄が最も危ない。
呼吸を整え、読んでいた所を探し出して声を通す。
最初は震えた。
けれどぐっと力を込めて、読み上げていく。
それからしばらくして、見張りの兵士が一言断った後に武装したラウロ達が部屋に入ってきた。
「この者達に中の護衛をさせます――――余計なことはするんじゃないぞ。しっかり警戒していろ」
『はいっ!!』
従士見習い達の意外にも真っ直ぐな返答にアルが驚き、その間に扉が閉まる。
残されたのは、見慣れた子どもらが見慣れない恰好で緊張した表情を見せる様だったが。
「……扉の前で棒立ちするのが護衛なの」
アルの呟きにラウロがハッとしていつもの強気さを取り戻す。
けれど、口から出てきたのは応戦する言葉ではなく、一緒に入ってきた仲間への言葉だ。
「部隊を二つに分ける。それぞれ扉側と窓側に付いて警戒するぞ」
どうやら彼が隊長らしい。
未だ緊張が見えるとはいえ、しっかりと全員に指示と注意をし、指揮をしていく。
乱暴者で、最近では嫌味や暴言の押収しかしていなかっただけに、アルも意外な姿に目を丸くした。
「従士見習い、ラウロです。護衛の指揮を任されましたっ」
やがて配置を終えた仲間を見回し、二人の前にやってきた少年が上擦った声で口上を読み上げた。
「お願いします」
「はいっ」
彼は一瞬アルへ目をやったが、すぐに背を向けて二人の側に立つ。
手には槍。
訓練用のものではなく、矛先に鉄の刃が取り付けられている。
他の者も同様だ。
自前で腰に短剣を刺している者も居るが、基本は槍。
弓を持っている者は一人だけ。
矢筒には数える程度の矢しか入っていない。
「襲撃は、確かなのですか」
「現在確認中です!」
レイナの問いにもガチガチになって返答をし、やんちゃ小僧は今この瞬間にも敵が押し寄せてくるぞといった様子で絶え間無く部屋の隅々にまで目を巡らせる。
他の少年らも同様だった。
彼らからすれば初めての実戦任務で、またアル達同様に七年前の襲撃事態を経験しているのでもない。
家族は砦の外に居るだろうし、確認にだって行きたい筈だ。
「そんなに緊張してると持たないんじゃない?」
当初は敢えて口出しをすまいと控えていたアルだが、手が白くなるほど槍を握りしめるラウロへ、見るに見かねて言った。
「何人か休憩させて、最低限で回しなよ」
最初は無視された。
「ここまで敵が攻め込んでくる前に城壁だってあるんだし」
けれど続く言葉に他の護衛がああそうかという顔をして、彼へ視線が注がれる。
「ねえラウロ」
「黙れ」
石突で床を打ち、緩みかけた空気を締める。
「どう護衛するかは俺達が決める。口出しはするな。お前達も油断するんじゃないぞっ」
結局第二報が入るまでの間、ひたすら息苦しい時間が続いた。
※ ※ ※
西へ陽が沈みかけた頃になってようやく解放された。
一時はこちらへ攻め込んでくるものと思われたが、素早く対応した各地の見張り台が守りを固めるのを見るや、接近していた異民族の集団は逃げていったという。
現在も警戒は続けられている。
夜襲に備えて各所でかがり火が焚かれ、今夜はいつでも動ける用意をするようにとの注意を受けて、アル達は砦を出た。
「冬籠もりを早めるかって話も出てるんだ、今日はお前もちゃんと準備しとくんだぞ」
「あーー…………うん」
車椅子を押すラウロから言われ、うんざりした様子のアルが答える。
護衛と称して部屋へやってきた彼は終始緊張したままで、守られている方まで息苦しさを感じるほどだった。
暴言の押収以外では久しぶりにまともな会話をしている気もするが、気疲れの方が大きくて続けようとも思わない。
授業も無くなり、ならせめて読み聞かせでもやろうかとか、レイナの気を紛らわせようとアルが動く度に止めろと言われ、ただただ座っている以外の事が出来なかったのだ。
あれが護衛というのなら、地下にある牢屋にでも入っていた方がまだ安心出来るだろう。
「あの子」
すっかり気の逸れていたアルは、押されるがままに進む車椅子の上でふと知った人影を見た。
薄い赤毛の少年。
年の頃は五つか六つ。
今朝車椅子を押して坂を上がらせてくれた子だ。
「敵か」
うんざりした。
「新しく来た騎士様の従士だよ、見習いさん」
「ちっ、内地の奴か」
成人して初めて認められる従士というものの価値を貶められた、ラウロの舌打ちにはそんな意味が込められている。
実際面白くはないだろう。
砦では従士以上の立場となれば、砦主であるレイナの祖父が率いる家臣団くらいなものだ。
学も位も無い外地の人間では逆立ちしたって成れそうにない。
それを、あんな幼子に取られてしまっているのだから。
「内地じゃ従僕とか、小姓とかって言われたりもするみたいだけど」
「じゃあ小姓でいいな。アレは小姓だ、小姓」
どうでもいいじゃない、とまでは言わなかったが。
「何してるんだろ」
少年は道を大きく外れて歩いている。
もうじき陽が暮れてしまうから、砦から離れ過ぎるのも良くないだろう。
ましてや今日は異民族の集団が接近してきたと報じられたばかり。
「森に向かってるんじゃないか、アレ?」
「えー、こんな時間に入ったら迷っちゃうよ? ちょっと声掛けてきてよ」
「知るかよ。どうせ内地の連中は森の怖さも知らないんだろ。勝手に入って勝手に迷ってろよ」
「もういいよ、ラウロは一人で帰ってなよ。私が言ってくる」
「あ、おい!」
強引に車輪を動かし、すっかり捩じくれた幼馴染を引き剥がす。
道を外れた場所は石や窪みで車輪を取られやすいから、本来ならばもっと遠回りしなければいけない。
けれど、時間を掛ければ追い付けなくなるので仕方なく強引に進んでいった。
「おーい!!」
呼び掛けに反応は無かった。
「おーい!! こんな時間に森へ入ると危ないよーっ!!」
再度叫ぶと、ようやく聞こえたのか少年がこちらを振り向いた。
森を見て、こちらを見て、駆け寄ってくる。
「すみません、呼びましたか?」
この素直さである。
同じくらいの年頃なら、ラウロもまだこんな感じだったとアルは思う。
驕ることなく健やかに成長して欲しいもんだ、などと姉ぶった思考に浸ったのも僅か、やや表情の硬い少年を見やる。
「もう陽が落ちるから、今から森に入るのは危ないよ。あっという間に暗くなるから、慣れてても迷っちゃうし」
「そうなんですか……でも、主から行って来いと言われてしまって」
ここでラウロが追い付いてきた。
「言ってるだろ、森を舐めんなって。お前が迷子になったら、どっかの馬鹿が言い出した時みたいに、また俺達が捜索させられることになるんだからな」
「うるっさいなあ」
しっかりアルのことまで当て擦り、けれどすっかり従士見習いの中で抜きんでてきた少年は続ける。
「騎士様がここのこと分かってないなら、俺か、兄ちゃんとかにも話して説得してもらうから、今日はもう諦めろ」
「……そこまでして貰う訳には」
「好き勝手されて困るのは俺達も同じなんだ。つーか、なんでこんな時間に森へ入るんだよ」
ややも強引ながら、協力するというラウロに、少年は困った様子でアルを見た。
ラウロがここまで面倒見が良いのは意外ではあったが、アルもアルで賛成だ。
自分よりもずっと年下の少年が、騎士様とはいえ無茶なことを言われている。ラウロ任せなのは大いに不安だが、解決出来るのなら解決したかった。
「主からの命令なので、その、あまり人に話すのは……それに、
「あーたいと?」
取り出された小石が少年の手の平で光を放つ。
気付けばもう暗くなりかけていたらしく、周囲がとても明るく見えた。
「あぁ……砦でたまに見る奴だ。そういう名前なんだ」
「すっげぇ……」
流石は内地の従士と言うべきか、持っているものが既に違い過ぎた。
「これなら大丈夫でしょうか。一応、昼間に何度か通っていますので」
「そう、だな。これだけ明るくなるなら」
「それと、出来れば主の機嫌を損ねたくないので、この話は内緒にして貰えますか?」
少年の頼みに二人は揃って新しく来た騎士を思い浮かべた。
一人は偉そうでやかましく、一人は偉そうでぼそぼそ喋る。
どちらだったとしても好んで話し掛けたい相手ではない。
ゼルヴィアが特例的というだけで、内地の人間は大抵あんなものなのかも知れない。
「分かった。黙っとくね」
「そうして貰えると助かります」
困ったように笑った少年は、そのまま森の中へ駆けていった。
何度か通ったという言葉通りに足取りはとても滑らかだ。
「だから放っときゃ良かったんだ」
悪態を付くラウロを放っておいて、アルは道へと戻った。
途中、引っ掛かりそうになった所で後ろから押されて事無きを得たが、敢えて礼などは言わなかった。
寄り道をしている間にかなり暗くなっていたらしく、ラウロも何も言わず車椅子を押して家路を急ぐ。昔はもっと仲が良かった筈なのに、いつからこうなってしまったのか。ラウロが変わってしまったからの気もするが、アルもアルで過激な発言が増えた。どれだけ手を伸ばしても騎士に届かない身でありながら、一人成長して強くなっていくラウロを見ていると悔しさを覚えることもある。ラウロにも何か、あるのだろうかと。
主導権を握ったラウロが強引に真っ直ぐ進もうとする度、車軸が軋む音を聞きながら、そろそろ家が見えてくるといった所で人影が近寄っていることに気付いた。
「誰だ!!」
ラウロが短剣を抜いて前へ出た。
驚いたらしい人影の後ろから、更に別の誰かが飛び出してくる。
が、
「何かと思えばお前か」
薄暗い景色によく似合う、暗く淀んだ声が染み渡ってきた。
直後に先程見たような光が周囲に満ちて、ようやく顔が見える。
金色の髪に、外地の人間と見下すことのない、温和な表情。
「武器を降ろせ」
「っ、はい! 失礼しました!!」
騎士ゼルヴィアと、その従士ジーンだ。
「すまないな、考え事をしていて灯りを付けるのを忘れていた」
彼が手にしているのは、先程の少年も持っていた小石だ。
ただ、しっかり調整されているのか、光は穏やかなものだった。
「そういうのって護衛がしなきゃいけないんじゃないの」
「ふんっ、口の減らんガキだ」
言い訳も説明もする気が無いのだろう、鼻を鳴らすジーンは片目を瞑ったまま、ラウロを一瞥して下がっていった。
「アルか……その様子だと、警戒は解除されたんだね」
「はい、異民族は逃げてったって」
警戒の為、騎士や従士は砦へ詰めていた筈だが、今戻っていることを考えればどうやら別行動を取っていたらしい。
ここがアルの家へ向かう道中で、その先にザンの住む丘があるのだから、理由などはすぐに察せられたが。
些か緊張を感じながらも、アルは適当に言ってすれ違おうとした。
話を長引かせてまた同じような事を言われても嫌な気持ちになるだけだ。
ラウロとそうしているように、距離を置いて会話しないようにすればいい。
小さな村で、嫌な相手と遭遇した時に取れる手段など限られている。
「…………アル」
なのに彼は呼び留めてきた。
また諦めろと言われるのだろうかと、警戒して表情が硬くなる。
大きなため息の後に、ゼルヴィアもまた苦しさと向き合うような硬い表情で、けれど真っ直ぐにアルを見詰めた。
手にする石から発せられる光が、少しだけ翳ったように思えて。
「もし……。もし僕なら、君が騎士を目指せるようにしてあげられると言ったら、どうする……?」
言葉は、長く置きっぱなしにされたパンみたいに硬く、どこか乾いた音がした。
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