第6話


 むっすぅぅぅぅぅ、と。

 ふくれっ面の少女が森を睨み付けている。


 先日、砦の下っ端衆を総動員して森を捜索させたものの、彼女が指摘したような異民族の痕跡は発見できず、以来砦の従士見習いからはやっかみを受けることが増えてしまった。

 その程度で落ち込むアルではないが、意地の張り合いとでも言うべきか、探し方が悪いだの手を抜いただのと暴言を叩きつけ、ここしばらくは時間があれば森へやってきて自発的な見張りを行っている。


 あれから土壁が損傷していることもなく、まして異民族が出現するでもなく、森へ入る者達が微笑ましげに、あるいは鬱陶しげに、無関心に通り過ぎていくのを何度も見送ってきた。


 とはいえ見張りというのは相当に体力を消耗する。

 適当に突っ立っている(彼女の場合は座っている状態だが)だけなら兎も角、アルは僅かな不自然さも見逃すまいと腕組み監視を続けてきた。

 近頃冷えてきた筈が、気付けば身体が火照るほどで、一度ならず頭が痛くなって兄のロイから心配される始末だ。


 やがて森狩りの発案者同様、熱心な監視者の噂が方々へ広がった結果か、彼女の元へゼルヴィアがやってきた。


「ああいうのは、失敗を前提に行うものだ。第一に作戦を決定したのは砦の主であるベレフェス卿で、公式な発案者は僕だ。君が責任を感じることじゃないよ」


 随分と考え込んだ挙句の言葉がコレで、当然ながらアルが納得する筈もない。

 ただ、いつもなら容易に流れ出る反論の言葉も、頭上の曇り空同様に重く喉の奥で凝っていた。


「実は、君がここに居ると教えてくれたのは、ベレフェス卿の孫娘であるレイナさんだ。思い詰めていないか、彼女はずっと心配していたよ」


 最後に会ったのは、ゼルヴィアを連れてザンへ会いに行った日だ。

 元より読み聞かせの授業は十日に一度程度。

 勉強のおこぼれを狙ってアルが砦へ通うこともあるが、畑仕事などが忙しければもっと日が開くこともある。


「僕も自分が提案した策で、君が責められるのも、責任を感じるのも間違っていると思う。上に立つ者が下の者に責任を押し付けるのは正しくない」


 言って、彼は掴んでいた手綱を引いた。

 珍しく従士が居ないのは、先の一件を気にしているからか。


 嘶きに少女の視線が上を向く。


 居ると分かってはいたが、意地を張っている為、安易に振り向く事も出来なかったのだ。

 並び立った四足歩行の大きな生き物に、その見事な鬣や力強い立ち姿に、今度こそ視線が釘付けになる。


「君が責めを受けてしまったのは僕の失敗だ。そこで、どうすればお詫びになるかをレイナさんに聞いてみたんだけど……アル、乗馬に興味は無いかな?」


 騎士が、何故騎士と呼ばれるか。

 貴族としての位になったのは近年の事で、そもそもの発端は騎乗する者としての兵科の名だ。


 こればっかりは易く扱えないと、昔気質なレイナの祖父では触らせてくれるのが精一杯。

 振り向いたその先で堂々たる立ち姿を見せる、騎士の象徴たる馬に、車椅子の少女の瞳は夏一番の日差しよりも強く輝いたのだった。


    ※   ※   ※


 蹄鉄が地面を打ち付ける度、心臓が蹴り付けられたみたいに跳ね跳んだ。

 流れ出た血潮は全身を駆け巡りアルの心を加熱する。

 ついた手の平には栗毛の感触。

 アルと同じか、それ以上に熱い血の巡りと、躍動する筋肉の動きが伝わってきた。

 弾む少女の吐息へ答えるみたいに、軍馬は小さく嘶いて道の勾配を飛び越える。

 ほんの、瞬くような時間だったが、たしかに身体は宙に浮き、落ちたその身をしっかりと馬は支えてくれた。

 馬の身体は強靭だ。

 道なき道すら容易く超えていける。

 見渡す限りの全て。地平線の向こうまで、何もかもが馬にとっては駆け回れる遊び場だった。

 右に人が見えたかと思えばもう後ろに居る。

 左で舞う花びらへ目をやれば、風に乗って付いてきてくれた。

 さよならを告げて前を向くと、不意に空が覆いかぶさってくるような錯覚を得た。

 細く糸引く様な雲が背後へ抜けていく。

 隙間から見える青色が強い輝きを帯びている。

 曇り空の向こうにあったのは、胸を焼くほどの快晴だ。

 その瞬間、アルの心は風になっていた。

 見慣れた景色に居る筈なのに、高い視点は世界を一変させる。そこを途轍もない速度で駆け抜けていけるとなれば尚更だ。

 車椅子に座っている時には見えなかった、遠くの景色が見渡せる。

 世界がこんなにも広かったなどと、アルは初めて実感できた。

 丘の上や、坂道で振り返って見る景色とはまた違う。

 常に見ている目線の高さが世界の広さを決めてしまう。

 これに比べれば、彼女にとっての日常とは、穴の底に身を屈めているようなものだった。

 駆け抜ける足音に驚いた鳥の群れが一斉に飛び上がり、その中を追い越していく。

 あまりに無遠慮な突破だったからだろう、一羽の翼がアルの頭を掠めた。驚きよりも怖さよりも、大丈夫かと心配になって後ろを振り向く。飛び上がった鳥達は風に乗って西へ舵を切った。落ちている者は、居ない。ほっと息をついた彼女の肩を、今度は大きな手が掴んで、元の位置へと戻させた。

 ゼルヴィアが予想していた以上の興奮ぶりに、彼もまた笑顔を浮かべていたが、危なっかしさにやや緊張を帯びてもいる。

 出来る限りやりたいようにとさせてくれているからだろう。


 あぁ、と息をつく。


 向かい風に溶けた熱を置き去りに、これで終わりと思うなよ、とばかりに軍馬が速度を上げた。

 景色が吹き飛んでいく。

 軍馬の走る様は、ただ早く走るだけの馬とはまるで違う。

 草花を蹴倒し、岩場を跳ね飛び、向かい風もなんのそのと嘶き一つで吹き飛ばす。

 落ち着きかけた心があっという間に再燃した。

 当初は遠慮がちに、歩くだけで遊ばせていたゼルヴィアを軍馬の方からせっついて速度を上げさせてきたのだ。アルは全く怖がらない。激しく揺れる背中へ縋りつくどころか、もっと行けとばかりに自ら動きを合わせて揺れてみせる。小癪な、とでも思ったのかもしれない。初めて馬へ乗った小娘に気遣われずとも、軍馬として過酷な訓練を受けてきた馬にとって、アルの体重など羽が乗っているも同然だ。戦時であれば大の男一人分にもなるような重装甲を纏う。だから軍馬は、坂降りなど児戯に思える様な速度で駆けてみせ、しがみ付かせようとしたのかも知れなかった。


「ひゃああああああああああああああああああああっ、あっはははははは!! すごいすごーい!! はやぁーっっっい!!」


 飛び上がった歓声に馬の嘶きが混じり、軍馬は坂道を物凄い速度で駆けあがっていく。

 そのまま天へと昇れそうな勢いにアルが更に大興奮の声をあげる。が、一方で彼女を支えるゼルヴィアは必死に一人と一匹を抑えようとしていた。


 軍馬なればこそ、気性は荒くて当然。

 気難しい馬も多く、最初はアルを嫌がるかと思い躊躇いがちだったのだが、今や主よりも意気投合してはしゃぎ放題だった。


 坂を登り切るや前脚をあげ、大きく嘶いて後ろ脚だけで立って見せる。


 首っ玉にしがみついたアルをもっと喜ばせてやろうと、栗毛の軍馬はそのまま前足を豪快に地面へ叩きつけた。

 実際に戦場でも行われる、堅固な敵隊列を叩き潰す攻撃だ。

 人の体重の十倍はある馬が行えば、鉄の鎧とて歪ませ潰す。

 派手に揺れる中での歓声を聞きながら、調子に乗る愛馬へあぶみで蹴りを入れ、どちらが主かを思い出させると、ようやく動きが落ち着いた。


「楽しんで貰えてなによりだよ」

「ははは!! すごーい! はははははっ、お前すっごいぞお!!」


 先日の歳不相応な思慮はどこへやら、相応と呼ぶにもやんちゃ過ぎるアルに、ゼルヴィアも胸の内を撫で降ろしていた。

 すっかり汗を掻いた馬が、再び鼻を鳴らしてもっと走らせろと要求してくるから、後ろから手を伸ばして首を撫でる。


 真似してアルも撫でるものだから普段より効き目は薄かったが、少しは落ち着いてくれたようだった。


「少し速度を下げるよ。ほら、身体が凄く熱くなってる」

「あ、ほんとだ」


 馬は極めて働き者で、時として限界を超えて人に尽くしてくれる。

 だから人の側でも、しっかりと状態を見てやらなければいけない。


「だったらあっちの麓に湧き水があるよ」

「よし、そこまでいって少し休憩させよう」


 行きとは違い、心地良く地面を奏でる様な駆け足にアルは目を閉じて聞き入った。

 この乗馬という一つ一つを、持てる全てで体感しようとするような彼女の振舞いに、提案したゼルヴィアも満足げに笑い、俺の手柄だと主張する愛馬の首を撫でた。


 駆け歩とも呼ばれるこの走り方は、動きの軽快さもあって乗馬をする上で非常に好まれる。

 ただし、小刻みに揺れるおかげで馬と呼吸を合わせるのが難しく、終わった後で腰痛に悩まされるという、初心者の壁とも言える走らせ方だ。

 ましてや先ほどの爆走状態など数分と持たず限界を迎えることもあるのだが。


「脚は全く動かないんだよね?」

「はいっ。でも馬に乗る時は合わせて動いてやらないと、馬に怪我させちゃうんですよね? だからこうやって」


 両腕を股の間へやって、腕の力で身体を揺らす。


「うまく出来てます?」

「……うん。ちょっと驚くくらいに」

「へへへ」


 嬉しそうに笑うアルの額には大量の汗が浮かんでいる。

 普通ならば脚や腰で行うものだ。

 そして腕よりも脚の方が圧倒的に筋力があり、鐙を踏めば更に効率的な動きが取れる。


 とはいえ軍馬はそこらの細身の馬とは違い、重量物を乗せての動きに慣れている。アルがそこまでせずとも大丈夫、むしろさせるつもりも無かったのだが、走った距離や激しさに比して馬の疲労度は低い。


 しっかりと呼吸を感じ取り、身体を動かしてやる能力が無ければこうはならない。

 好きなればこそ上達も早いというが、普段は車椅子に押し込められて走る事も、立ち上がる事も出来ない少女の行動だ。


「内地の女性なら、脚を広げたがらないから、片側を向いて乗せてやる必要があるんだ」

「だって私は騎士になるんだもん」


 簡潔に過ぎる解答に胸の内で何かが凝る。


「それに片側向いて乗ってたら、左右で重さが違うから馬に良くない、ですよね?」

「あぁ……そもそも普通は馬車に乗るし、同乗は別の意味も――――いや」


 首を傾げるアルにゼルヴィアは曖昧に笑って誤魔化した。


「こいつも君を乗せていつになく楽しそうだよ」


 こぼした言葉を理解しているのか、小さな嘶きが返され、振り向いたアルとで目が合った二人は一緒に笑いだす。


「風、気持ちいい」

「あぁ」

「走るとこんな風を受けるんだ」


 車椅子で坂道を降るのでも、平地を走るのでも、風は受けられる。

 けれどこの、駆けるという行為の躍動感、これだけは。


「あったかい」


 アルが身を倒して首を抱く。


「お前は凄いな。羨ましい」


 駆け歩の奏でが鼓動のように連なって、どこまでもどこまでも運んでくれた。


    ※   ※   ※


 休憩中もアルは馬から離れなかった。

 というより、馬の方からアルへ寄っていって、脚を折って寄り添ったのだ。


「ちょっと妬けるね。赤ん坊の頃から面倒見てたんだけど、僕には中々懐かなかった」

「褒めて欲しいんじゃないですか? 私一杯褒めてたら、すっごく喜んでくれましたよ」

「成程、今度試してみるか」


 生き物にはそれぞれ、習性とは別に個性がある。

 人間主観で見れば非常に分かり辛い、見落としやすいものかもしれないが、その個性に合わせた付き合い方が必要だ。


 とはいえ人間にも性格はあるもので、ズレつつなんだかんだと上手くいったりするのも、関係性の一つとも言える。


 湧き水の流れる音に耳を傾けつつ、すっかり雲の晴れた空を見上げて、けれどどこか重くゼルヴィアが告げた。


「君は、本気で騎士になるつもりなのか」

「はい」


 きっとそれは、腹の底へ受けた拳よりも重く、彼の中へと突き刺さった。


「具体的な方法をどこまで知ってる?」


「ええと」


 勉強熱心で、文字を覚え、騎士の娘に読み聞かせまでして、些細な壁の穴一つから多くを想像することの出来る少女は、書き記してきた日記を読み上げる様にして続けた。


「騎士叙勲の権限を持っているのは、領地を持つ貴族様で、早いと四つか五つの時に従僕としてお屋敷なんかに入るんですよね」

「あぁ」

 この『外地』では、成人してようやく従士として認められる。

 言葉は多少違えど役割はそう変わらない。

 従士とは言ってしまえば雑用係だ。

 本来男子であれば誰でも成れる。

 ある程度の能力は求められるが。

「そこで礼儀作法とかを学んで、十歳になったら先輩騎士の従士、従騎士になる。従騎士は騎士のお世話をしたり、戦場だと予備の武器を持ったりして付き従う。それで、成人する頃に力を認められれば主君に紹介して貰えたりして、正式な騎士叙勲の儀式を受けて騎士になる。合ってますか?」

「あぁ。それが一般的な騎士になる方法だね」


「後は特別な功績を挙げたり、凄い才能を認められたりすると、特別に騎士にして貰えるって!」


 アルは乗馬をするに当たって、ラウロの家へ寄って、彼の履き物を拝借している。

 女はスカート、男はズボン。

 壁の外へ追いやられ、鉱山のカナリアの如く扱われていても、基本的な価値観は変わらない。


 脚を揃えて馬に乗りたがるのは、脚を広げたくない、というだけの理由でもなかった。


 なのに彼女は躊躇わない。

 女騎士というのも居ないではないが、非常に珍しいのが事実だ。

 戦いに出れば雑魚寝は当たり前、便所の別もなく、部隊が違えば襲われるようなこともある。

 戦場という場所自体がまともな倫理観の存在しない環境なのだから、そこに交じった異物がどう扱われるかなど分かり切っている。

 捕虜にされれば身代金で交換されるが、一度敵に掴まった女は事実がどうであろうと傷物として認知されてしまう。

 戒律の厳しい土地であるなら、夫以外に身体を開いた女など、死ぬ以外に道が無いとまで言われる。


 ゼルヴィアは騎士だ。

 特殊な経緯はあれど、真っ当な道を辿って叙勲を受けた。

 幼い頃、まだ従僕の身分ではあったが、教団の発令に従った先輩騎士と共に巡礼軍へ参加したこともある。


 戦場の泥臭さなど説く以前の、異教徒というモノへの吐き気を催す扱いを実際に見てきた。


 彼女が夢見る綺麗なものばかりではない。

 むしろ、貴族社会などというものへ中途半端に足を突っ込み、その最下層に位置する身分であることから、悲惨な結末を迎えた同僚を幾人も知っている。


「他には騎士団へ所属するというのもある」

「え? 騎士になったら入る、騎士団? ですか?」

「いや、例えば巡礼軍については知ってるかな?」

「はい。教団が聖地までの巡礼路の安全を確保する為に、異教徒をとっちめて回ったって」


 国家間の枠組みを超えて招集された軍勢はかつて類を見ない程の規模で進軍し、最終的には失ったものの、第一回巡礼軍などは聖地を占領するにまで至っている。

 その後は様々な政治的理由により、招集はされたが出立もしない内から解散したりと、ややうまく回っていないのも現状だが。


「その巡礼軍に従った騎士達が、正しく聖地の奪還を行うものとして、本国へ帰還しないまま内海の一島を占拠しているんだよ。彼らは常に入団者を募っていて、認められれば出自や来歴に関係無く騎士として迎えてくれる」


 犯罪者まで受け入れているのが問題なのだが、新しく巡礼軍が発令された際には常に最前線で戦ってくれるとあって、教団も様子見状態で放置している。


「へぇぇっ、そんなのがあるんですね!?」

「あぁ。だから、何も主君を得ることだけが騎士になる方法じゃない」

「でも騎士って主君を守る人のことですよね? その人達は何を守ってるんですか?」

 苦笑を呑み込み。

「彼らは、立場的には教団の聖職者から叙勲を受けている。守っているとなれば、神の威光って所なのかな?」


 聖騎士と呼ばれる者達についてはゼルヴィアも詳しくない。

 教団の勢力圏には収まっているが、この地方は主流派ともややズレていて、神というより精霊への信仰が根強いのもあった。


「それが三つ目。高位の聖職者は、騎士叙勲の権限を持つ。神の先兵となって戦う気があるのなら、教団の門戸を叩くといい」

「うーん、教団って、壁の内側……内地に居るあの口やかましい人達ですよね?」


 あんまりにもあんまりな表現に思わずゼルヴィアが笑った。

「それ、内地では言わない方がいいよ。貴族社会は上に行くほど熱心な人も多いから、反教団思想だって思われると異端認定されるからね」

 笑っていられる彼も彼でそれほど信仰心は無いのだが。


「ざっとこの三つだね。一つは幼い頃から主君を定め、順当に仕えていって騎士にして貰う方法。二つ目は各所にある独立した騎士団を探し出し、団員として認めて貰う方法。三つ目が、教団に従って神の尖兵となる方法」


 この内一つは既に閉ざされていると言っていい。

 内地の民と外地の民とでは扱いが違う。

 ここには砦へ封ぜられた騎士は居ても、領主が居ない。

 本来この地を支配するべき領主は、壁の内側で日々堕落の愉悦に浸っている。


 レイナの祖父ベレフェス卿は砦を持つ騎士で、領土運営も行っているが、あくまで主から貸し与えられたものである為に騎士叙勲の権限を持たない。

 結果的に、本来であれば騎士となる年齢に従士へしてやるのが精一杯というのが現状だった。


「勿論、どこかで大きな功績を挙げて、領土を持つ貴族に気に入られたら一足飛びに騎士にして貰える。けど、騎士というのは貴族にとって自分の身を護る最後の盾なんだ。幼い頃からの関係があってこそ信頼して身を任せられる。迂闊に騎士を増やす領主は、内通者を潜り込まされて暗殺されることもあるくらいだ」


 しかも相手は自分の兄弟であったり、父親であったりする。


「最後に、騎士になることばかり考え過ぎて、闇雲に主を決めると、生涯後悔することになる。僕らは主の所有品だ。どう扱おうが直接の主以外は誰も文句を言えない。王であってもだ。土産のように贈答されることもあると、覚えておくんだ」


    ※   ※   ※


 帰りは一人で馬に乗せて貰った。

 当然傍らにはゼルヴィアがおり、調子に乗った愛馬が駈け出さないようしっかり手綱を締めていたが。


 鐙の長さを調整し、動かないアルの足を乗せもした。

 踏ん張りには利用できないが、腕の力で身体を操る彼女は時折器用に引っ掛かりを利用してもいた。

 勝手に膝が曲がってしまい、うっかり落馬した時も、言われた通りに手綱を手放さず、素直に落ちて事無きを得た。

 落馬した際に手綱を握っていれば、頭の下がった馬は必ず立ち止まってくれる。離せば、驚いた馬に踏まれて最悪死に至る。


 その後怖がるかと思いきや、アルは嬉々として再び馬へ跨り、事ある毎に「お前は凄いな」「ありがとう」と褒め、感謝を口にしていた。


 やがて森の近くへ辿り着き、ぽつんと立つ車椅子が見えた時だ。


「ぁ……」


 小さな吐息と共に、雫が頬を伝った。

 頭の中で今日一日の景色が一斉に流れていった。


 空を飛んでいるかと思えるような躍動感を得た。

 風そのものとなって地の果てまでも行ける気がした。

 坂道を蹴立てて駆け上がった時などは、そのまま天へ昇る様な気持ちになれた。


 生まれてからずっと、椅子そこがアルにとっての檻だった。


 坂道を降るのも、所詮は特定の道を進むだけだ。

 思うままに、どんな障害も乗り越えていけると思えたのは、本当に生まれて初めての経験だった。


「ありがとう……っ」


 万感の想いを込めて伝えた言葉に、そっと撫でるような嘶きがきて、アルは同じだけの優しさで以って頬擦りした。


 そんな彼女へ何も言わず、けれど陽が沈んでいくのを見てゼルヴィアは軽すぎる身体を持ち上げて、車椅子へと降ろしてやった。


「あ……」


 吐息が漏れて、目を逸らしたゼルヴィアだったが、彼の感傷を吹き飛ばす様な言葉をアルは吐いた。


「誰か勝手に触ってる」


 車椅子の、車輪の固定が外れていた。

 座っていれば当たり前に手が届く、車輪と座椅子の間にある細い棒。

 出発前は確かに固定してあった。


「アル?」

「ゼルヴィア様」


 ここまでの感傷を全て蹴り飛ばし、少女は叫んだ。


「やっぱり近くに異民族が居る。奴らがコレに触ってたんだ」


「アル」


「ホントだよっ! 今すぐ森の中を捜索しなくちゃ!! お願いしますゼルヴィア様っ、急いで――――」


「アル。分かっているんだろう? 本当は」


「違うっ。そういうのじゃなくて! 本当に!!」


 葛藤の末、彼は言うべきを口にした。

 先の作戦の失敗はぜルヴィアが負うべき責任だ。

 故にこそ、正すのは自分だと思い。


「君が功績を立てても、それが認められたとしても、騎士になることは出来ない。外地の人間は階級の変動が認められていないんだ。自由民にもなれず、壁外民として生きていくしかない。なら国を捨てるか? 脚が動かず、車椅子で生活する少女がどうやって市民権を買う? 例え金を揃えられたとしても、? 君は先天的に脚が動かない。そして、肉体の不具は子に受け継がれると言われている。君を市民として受け入れてくれる場所は無いんだ。だから、何をどうしたって、君が騎士になる道はない」


 せめて、彼女が憧れる騎士の口からと。


 勢い込んで何かを言おうとしたアルも、淡々と、我が身を刻むようなゼルヴィアの言葉に喘ぐことも出来ず絶句する。

 結局出てきたのは、馬鹿みたいに幼稚な、脆い夢の欠片だった。


「……認めてくれてると、思ったのに」


 笑いもせず、言葉をそのまま受け入れてくれたのは初めてだった。

 家族ですら困ったように諭そうとする。

 それが気遣いや心配から来ていることは理解出来ても、納得なんて出来なかった。


 脚が動かない。


 それがなんだ。


 この程度、幾らでも乗り越えていける。


 なのに想いはどこまでも空回りを続けてきた。


「あの」


 車椅子の少女は車輪を掴み、顔を俯かせたまま言う。

 目元に掛かったままの赤い前髪の奥で、瞳が見続けていたものは。


「この辺りにあった、車輪の跡が消えてるんです。私が付けた奴。まるで、後からついた足跡を隠す為に一度消して、それっぽく付け直したみたいで」


「アル」


「…………はい」


 ごめんなさい。そう言い残して、アルは車椅子を走らせた。

 あっという間に姿の見えなくなった少女を想い、騎士は顔を抑えて盛大にため息をついた。


「くそ……っ」


 愛馬の嘶きだけが、ズレた主を慰める。


    ※   ※   ※


 車椅子の車輪が噛んだ小石を蹴っ飛ばし、勢い良く坂道を登っていく。

 坂とはいっても普通に歩いていれば意識にすら留められない、言われてみて初めて気付きそうな緩やかなものだ。

 だからどうした、とアルは更に勢いを付ける。

 前以って速度を付けていたおかげで、ちょっとした障害物など軽く乗り越えていける。

 勢いは大切だ。

 以前に砦の帰り道で馬鹿な所で引っ掛かってしまったのも、考え事をしていて勢いを付け損ねていたからだ。

 それを殺さず坂道を登り切ったアルは、気持ちよさそうに息をつき、大きく吸った。


 多くの者は首を傾げ、多くの者は鼻で哂い、きっと記憶にも残らないだろうちっぽけな大偉業。


 小石に躓くのは慣れている。

 誰もが気にも留めないような坂道を、同じく何でもないさと越えていく。

 叫んだ。



「っっっ、負っけるかああああああああああああああああああああああ!!!!!!」






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