第3話
「ははは、ざまあみろだ」
夜遅くに戻ってきたゼルヴィアが、頬にしっかりと刻み込まれた赤い手跡について説明した途端の言葉がコレだった。
本来は謙るべき主を前に着座したまま、貰い物の酒を軽く煽り、従士ジーン=ガルドは珍しくも上機嫌に笑って見せる。
「それで、例のガキのご機嫌は十分に取れたのか?」
尚も続ける彼に、ゼルヴィアも咎めるでもなく椅子を引いて対面へ座る。
共に視線を向けるのは東の地、見上げる空は満天の星空だ。
幾分寒さを覚える高原からの風を受けつつ、騎士は勝手にジーンの酒を奪い、口を付ける。
「っ、っっ!? 強いな、……っ」
「ここで作った安酒だ。味なんぞ期待するな」
「しかもエグい。悪酔いしか出来なさそうな火酒じゃないか」
だがどこか癖になる強烈なものがある。
飲んでいる時には酷いものだと感じていても、忘れた頃に思い出し、飲みたくなるような。
寝室から出てこれるささやかな空中庭園で、色気も無く男二人が酒を直飲みしながら適当に味の文句を言い合い、ふと言葉が途切れた時に、そっと騎士の方から息が落ちた。
「何を尻込みしている」
それを拾って言葉を発したのはジーンだ。
ゼルヴィアは即答しようとし、けれど呑み込んで別の言葉を吐き出した。
「そりゃあ、久しぶりだからな。あんな別れ方では悩みもする」
「押しかけておいて今更だ」
「今更でも、悩みはするさ」
寒風に身を抱いて、深く腰掛けて座る位置をやや前へ。
揺りかごであれば寝に入る様な姿勢になってからゼルヴィアは続けた。
「本当に、今更だな」
表面上は主と言うべき男の傍らで、ジーンは構わず残りの火酒を飲み干して、やはり最後に皮肉げな笑みを浮かべる。
「しかしあのガキ、思っていた以上に阿呆なようだな」
脚も動かず騎士になると豪語するに留まらず、恥を晒したと相手の頬を張るような者だ。
「面白そうだ。その愉快な頬の跡が気になるなら、明日は俺が相手してやろうか」
「君は加減を知らないから駄目だ」
言って、寝息に混ぜるような声で、
「彼女に」
なのに瞳は月夜を帯びた様に強い光を秘めたまま。
「彼女に負い目が生じたのなら、それを利用するまでだ。騎士になる、という言葉は不具を持つが故の意地だろう。僕の傍らに居ることでそれが満たされれば、協力だってしてくれる」
「……おい」
「違う。そこまでは考えていない。第一、アレは並の人間で扱えるものじゃないからね。君ほどの逸材はそう居るものじゃない」
ため息が夜風に溶ける。
ジーンが言葉も返さず黙っていたら、程無くして本物の寝息が聞こえ始めた。
相変わらず寝入りは良い。
けれど、用意された、この地では明らかに上等過ぎる寝台を彼が使う事はないのだろう。
椅子か、床の上でも身は起こしたまま。
いつからか横たわって眠るということをしなくなった、立場上の主を前に、ジーンは静かに酒の残り香を愉しみながら、目覚めの時までを護衛し続けた。
※ ※ ※
物陰から顔を覗かせて、アルは教練場の様子を伺っていた。
車椅子では身を隠すことが難しく、隙だらけに身を晒しているのだが、肝心なのは気持ちだ。
先日、思いっきり頬を張ってしまった後、アルは経緯の説明もそこそこにゼルヴィアから逃げ出してしまった。一時呆けこそしたものの、彼は怒り出すでもなく車椅子を起こし、アルを座らせてくれた。互いに会話はぎこちなく、彼女にしては身を縮めて謝り続けていたように思うのだが、慌てていたので記憶がどうにも曖昧だった。謝った。確かに謝った気はする。だからもう大丈夫だ。大丈夫? と、同じような思考を繰り返す。
正直に言えば物凄く気まずい。
ゼルヴィアがアルを助けようとしてくれたことは間違いが無く、おかげで無事家まで戻ることが出来たのだが。
悲鳴をあげて頬を張った。
夕暮れの中でもはっきり分かる程に赤い手跡が彼の頬に残っていて、朝からどうにもその絵面が頭から離れなかった。
なので一度心の準備をしよう。
そう思って彼の姿を探しに第二の郭まで降りてきたアルは、後ろを通る兵士らが訝し気に、あるいは微笑まし気に眺めているのも気付かず真剣極まりない表情で隠密行動に専心していた。
「誰を探してるのかな?」
ふと降りかかった声に彼女は視線を向けない。
今は教練場を確認するので忙しい。
ただ、気配は離れていく様子がないので仕方なく返事だけすることにした。
「騎士様だよ、騎士様」
「へえ、それはここの騎士、ベレフェス卿の事かな?」
「違う違う。内地の騎士様」
「ほう。名前を聞いてみても?」
「ゼルヴィア=エルメイアって言ってた」
「ふぅん」
んんっ、とささやかな咳払いがあり、けれどアルの反応は淡泊だ。
昨日は騒がしかった子ども組、ラウロがまた実践稽古で一人を下した。
兄同様、体格に恵まれた彼は昔から同世代で一番強かった。当人も早い段階でそれに気付いたようで、行動や発言が徐々に横柄なものとなり、気付けばアルのことを馬鹿にしてくる筆頭となっていた。憎らしい相手だが、腕は確かなので参考になる。
なるほどやはり打ち合いで重要なのは間合いの取り方か、と早くも目的を忘れかけていたアルは、ふと頬に小さな風を感じてようやく振り返った。
騎士が居た。
「因みに僕の名前もゼルヴィア=エルメイアっていうんだけど、あぁ、やっとこっちを見てくれたね」
その名の通りの人物が傍らで腰を落とし、すぐ近くで首を傾げていた。
驚きのあまり悲鳴が飛び出しそうになったアルだが、すぐ周囲へ意識が向いてどうにか抑え込む。
昨日の今日だ。
悲鳴なんてあげればどれだけ馬鹿にされるか分かったものじゃない。
ただ、喉の奥では驚きが暴れ倒し、開きかけの口が徐々に大きくなって行く様をゼルヴィアが興味深げに眺めていて。
「~~っ、っ!! っ~~!!」
とうとう堪え切れなくなった衝動を発散する為に、アルは真っ直ぐ腕を突き出して彼の身を押した。
腕を振らなかったのは昨日の記憶が新しかったからだろう。
そしてゼルヴィアも、不意を打たれたのならともかくとして、幼稚な腕押しなどで転ぶほど軟弱でも無かった。
「ふふ、残念。昨日のに比べたら全く効かないね」
眩しいほどの笑みを浮かべる騎士に、アルは素早く車椅子を反転させ、レイナの居る第三の郭へ向かおうとした。坂道になる為アルだけでは登っていけないのだが、とにかくここから離れて気持ちを落ち着けたかったのだ。
「上に行くんだね、押してあげるよ」
なのにゼルヴィアは笑顔で車椅子の後ろにある取っ手を掴んだ。
もう何が何だか分からなくなっているアルは咄嗟に車輪を掴んで動きを封じる。
「だっ、大丈夫だからっ!」
「そうかい? でも、実は僕は困っていてね。まだ砦を詳しく探索出来ていないから、誰かに案内して欲しいって思ってるんだけど」
「従士長が詳しいからっ! あっちに居るよ!?」
「あーでも、彼は忙しそうだし」
「じゃあ待ってればいいかなっ!?」
「ここに一人、時間のありそうな人が居るみたいだけど」
「あー忙しい忙しい!! もうじき授業があるから忙しいっ!!」
あんまりにもあんまりな断りっぷりに、またしてもゼルヴィアが首を傾げて呆けてしまった。
意図が通じていないのか、本当に拒否されているのか。
前者はともかく後者であったなら理由が分からない。
不可解な、と内地ではそれなりに言い寄られて来た経験のある男は再度首を傾げる。
もしジーンが近くに居たのであれば、皮肉げに鼻を鳴らしていた所だろう。
そうこうしている間にアルは頼み慣れた兵士を見付け、顔の良いスケコマシの手をぺいっと引っぺがして逃げ出した。
逃げ出した後で、『あぁ、ちゃんと謝れなかったぁ……っ』と苦悩することになるのだが、男も男で今まで経験が無いほど冷たい対応を受けて、同じだけの苦悩を抱えることになっていたとは最後まで気付かなかった。
※ ※ ※
「はあ? 女子供の扱いなんぞ俺が知るか」
「でも君、こういった所だと最後には仲良くなってるよね」
「さあな」
「具体的に教えてくれないか。参考にしたいんだよ」
「兵士の扱いと小娘を同列に並べるな」
「彼女だって騎士に憧れてるんだから、効果はあるかもしれないよ?」
「……どうなっても知らんぞ」
※ ※ ※
割り当てられた時間をしっかり本の読み聞かせに費やし、用意してもらった水で熱くなった喉を冷やしていく。
砦の氷室で保管してくれていたのだろう、この地域では最高の贅沢を味わってそっと息を落とした。
「ありがとう、アル」
「どーいたしまして」
遊ぶこともあれば、こうしてしっかり務めを果たすこともある。
学ぶというのは、貧しい土地では冷たい水以上の贅沢だ。
今でこそ溝が出来てしまっているが、近所に住んでいるラウロなどは、アルが砦へ通い始めた頃は彼女の教わってきた文字を知りたいと家まで通っていたことがある。
だから、見た目や発言の印象よりもずっとアルは勉強熱心だ。
それは義務となっているレイナよりも強いのかもしれない。
「この後は?」
「ん、あぁ……礼儀作法の先生だから」
「そっか。じゃあ書庫見せて貰おうかなぁ」
アルはレイナの授業に参加し、勉強をしている。
だが誰もが彼女を受け入れてくれるとは限らない。
教練場から追い出された様に、取り分け礼儀作法の教師は平民のアルが貴族向けの教育を受けるのが気に入らないらしい。
彼女からすれば、騎士とはいえ貴族の娘相手だからこそ、自身の格を維持出来る。なのにみすぼらしい平民の子が入り込むと、都落ちの感が一際増してしまうのだそうだ。
レイナの勉強を邪魔したい訳ではないので、そういった授業ではアルも参加は控えている。
「あ、でもお爺ちゃん、今日は会議だって」
貴重な財産である本を保管する書庫には、当然ながら鍵が掛けられている。
アルに甘い砦の主であればこっそりと鍵を貸して貰えるのだが、そうなるともう一本を持っている家令に頼むしかない。
埃っぽいこの地域で、いつでもしっかり貴族らしい服を着こんだあの中年男は、平民嫌いの一人だ。
「んー、なら教練場見に行こうかなぁ」
「大丈夫? 昨日……」
「大丈夫っ、今度は石持ってって投げ付けたら逃げるからっ」
「それは止めた方が」
ともあれ今日やるべきことは終えてしまった。
一応は使った本を戻す名目で書庫へ入り込むことは出来るが、どうせあの三段腹がねちっこく睨み付けてくるだけなので、レイナの部屋へ置いたままにした。
しかし東の地で異民族の動きが活発化し、砦には二人目の騎士が現れ、砦主は連日の会議だ。
冬の蓄えが足りないからと、略奪に来る可能性は大いにある。
ラウロの兄も近く戦いが起きるようなことを言っていた。
部屋を出て、見張りの兵士と挨拶をしてから、屋根のある通路から出て車椅子の車輪が砂地を踏む。
見上げた大鐘楼は、七年前には無かったものだ。
襲撃があれば近隣の村々は即時この砦へ逃げ込んで、壁の向こうから騎士達が助けに来るのを待つ。
かつては誰かが知らせに走らなければならなかったが、あの大きな鐘ならば遠くにまで音が届くのだろう。
もう走る必要はない。
駆け抜けて、そうして死んだ、顔も覚えていない父親を想い、アルは動かない脚を握る。
騎士になりたい。
想ってもままならないことは山ほどあり、椅子から解放された今でさえ、車椅子は小さな轍一つ越えていけない。
先日ジーンという従士に言われたことをしっかり覚えている。
人よりも限界が短い。
周りを巻き込む。
出来ない事があまりにも多過ぎて、出来るようになった事が霞んでいく。
ならば、本当にただ生きているだけの人生で良いのか。
アルが生きている限り、村落は税が軽くなる。
小娘一人養って余りある恩恵は、彼女という足手纏いを許容する理由として十分過ぎた。
握った車輪が熱を持っていた。
陽を受けていたからだろうか。
部屋を出てから動かないでいたアルを見て、彼女に同情的だった見張りの兵士が何かを言おうとしたが、それは規則正しい足音に遮られた。
「やあ」
「あ……ゼルヴィア様」
気持ちが沈んでいたからだろうか、先ほどの慌てが消えていた。
「昨日は、ごめんなさい」
ゼルヴィアの方でも様子の変わりぶりに訝しんだが、しっかり話を聞いてくれるのであれば好都合だった。
「いいや。跡も消えたし、怒ってないよ」
と、後ろに回って車椅子の取っ手を掴む。
「あ」
「実はさ、ちょっと退屈してて、暇つぶしに付き合って貰えないかな?」
ひじ掛けを掴み、身を捻って後ろを見上げる。
騎士は、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「アルの得意なことで勝負してみないか?」
※ ※ ※
「………………」
「どうしたんだ、って聞いてくれよ」
「…………はぁ」
「面倒がるのを通り越してため息は酷くないか?」
「そういえばお前は友人が少なかったな」
「何を言ってるんだい? 社交界へ行けば王子派閥へ対抗できるだけの人員で傍を固めるくらいは出来るよ?」
「三下しか集まらないしょぼい社交界なら、だろう? 真っ向勝負すれば擦り潰される程度で胸を張るな。そういう付き合いしかしていないからこうなんだろうがな。で、その面だと勝負には負けたのか」
「……いや、流石に子ども相手で負けるようなことは。ただ、意外だったというだけで」
「ほう。何で勝負した」
「『算術』」
「この辺境の砦の、小娘が算術か。そういえば教師団に、精霊の奇跡にまで計算式で迫ろうとして、教団から追われた馬鹿が居たな」
「ベレフェス卿も無茶をする。いや、背に腹は代えられんか」
「自覚の無い辺りお前も相当だが、相手の強みを叩き潰して自信を失わせる作戦は、上手くいったのか」
「…………次の手を頼む」
※ ※ ※
授業の合間、レイナの部屋へ顔を出したアルはややも興奮した様子だった。
「どうしたの?」
手の甲を擦りながら聞く彼女に、車椅子を滑らせて近くへ寄る。
気配から既に察していたものの、聞いて聞いてっ、とばかりな様子のアルにレイナは触れた。
「上機嫌だね」
頬が上気し緩み切っていた。
「んふふー、騎士様に勉強教えて貰ってきたっ」
「え、あの内地からの人?」
「そうそうっ、聞いたこともない数式とかさっ、色々教わったよ! 計算勝負したけど全然敵わなかったっ!!」
「負けたのに嬉しそうだね」
「だってすっごいよ! こんなの絶対時間掛かるでしょって計算押し付けたらさ、ほんの数秒で全部解いちゃったのっ。やっぱり本物の騎士って凄いんだなあ!」
脚が動けば飛び跳ねそうな勢いで、くるりと車椅子を一回転。
勢いで僅かに浮いた足を音で察し、レイナが姉ぶった笑みで元の位置へ戻してやる。
「遠心力って言うんだって、今の」
「そういう名前なんだ」
「桶をぐるぐる回すと遠心力で水がこぼれないんだって! やってみようよ!」
「井戸の周りで遊ぶと怒られちゃうよ?」
なにせ教練場に人が詰めている時間は、頻繁に彼らが井戸へやってくる。
昨日の事を思えば足が遠のくもので、アルも無理強いはしなかった。
「それに、次の授業は歴史だから、先生も来るの早いし」
「あー、歴史かぁ、一緒に受けたいなぁ」
「習った内容は今度教えてあげるね」
「うんっ。それじゃあ早めに出てるね」
「はぁーい」
と、部屋を出た所でゼルヴィアが待ち構えていた。
「やあ」
明らかに偶然ではない遭遇に、見張りの兵士からの視線も冷たかった。
だが友人が少ないらしい内地の騎士は、それ故というか、だからそうなったというべきか、周囲の反応も気にせず提案する。
「ちょっと一緒に、砦の周辺を散歩しないかい?」
※ ※ ※
兵士を教育する方法には様々あるが、手っ取り早く、実用的と言えるものが一つある。
前提として兵士とは敵と戦う存在であり、気の弱い者には務まらない。腹が立ったから殴り付ける、くらいの気性が無ければ、隊列を組んで迫る敵を前に腰を抜かし、呆気無く刺し貫かれて死亡する。騎馬隊などを前に持ち場を堅持することの恐怖は尋常ではない。しかも、ただの狂気では戦場の雰囲気に呑まれて暴走するだけだ。
理性を持ち、どんな恐怖を前にしても怖気ず自分を貫き、暴力を叩きつける。
それが出来て初めて人は兵士となる。
ならば彼らにとっての腕っぷしは戦場に立ち続けられる根拠と言えるだろう。
だから、それを徹底的に叩き潰す。
部隊の実力者を、既に他の者達からも認められている者達を、一人残らず叩き潰し、恐怖を与える。
猿の様に喚き散らす暴力の化身達に、こいつに逆らってはいけないと、原初の本能へ植え付ける。
一度覚えた畏怖は戦場でも効果的に機能する。
立てと言われたら立ち、武器を振れと言われたら武器を振り、留まれと言われたら命懸けで留まって戦う。
恐怖の前に、人は時に命さえ諦めてしまう。
ところが一度困難を共に乗り越えてしまうと、恐怖は残るが強い共感と仲間意識が芽生えることがある。
これもまた原初の本能だと言える。
戦いを知る者は大昔からコレに気付き、時に味方へ徹底した敗北を与え、その上で共に戦場を乗り越え、信頼関係を築いていく。
昔からある、単純ながら効果的な方法だった。
のだが、根本的にそれは年の離れた少女へ取り入る方法として下策も下策。
のだが、根本的にその少女は普通の少女ではなく、騎士になりたいと強く想っていた。
なのでそもそも憧れの存在であるゼルヴィアは、ただ喋っているだけで、構ってやるだけで、自然と好意を集められるという状態にあった。
全ては最初のビンタからすれ違い、真面目に相談に乗る気の無いジーンが適当に古臭い方法論を持ち出した結果だが、その結果としてある程度の目的は果たされつつあった。
ところで、砦の主によって招待されたゼルヴィアは砦で寝泊まりをしている。
当然主とも顔を合わせるし、娘を紹介されたりもする。
だから察していたジーン同様に、ゼルヴィアも既にアルが騎士の娘でないことは把握しているのだ。
「改めて歩いてみると、舗装も整地もされていない道というのは厄介だね」
アルは車椅子でこの道を通っている。
先日の惨状を目にしたゼルヴィアにとって、彼女にとっての困難とは、この道そのものだった。
それは確かにそうで、苦労を重ねてきたものではあったが、憧れの人と散歩をする少女アルの頭は既に騎士の従士私。東の異民族襲来に備えた作戦参謀として意見具申をする気満々で周囲を睨み付けていたのだった。
「でも、敵は騎馬だから、この辺りを整地してしまうと壁に付くまでの時間も短くなっちゃうんだよ」
「成程。そういう事情もあるのか」
「食糧庫も砦の中にあって、冬の間は遠くの村から人が集まってくるんだよ。ですよっ。それでね」
因みにゼルヴィアも一度考察や思考を始めると没頭し易い性質の為、アルの調子に乗せられてあれやこれやと話を聞き、彼なりの見解を話したりする。
「一度村を見て回ったけど、金品と呼べるものは見当たらなかった。精々が、鍬に取り付ける鉄の刃とか、短剣くらいだな」
「襲われたら私達は砦に逃げ込むけど、家のものは持ってかれちゃうからね。です。本当に貴重なものは砦へ預けてるくらいだよ。ですよっ」
「例えばどんなものを?」
「うーん、収穫祭で使う道具とか? ザン爺ちゃんがね、えっと、近所に住んでるお爺ちゃんが居るんだけど、砦とかもだけど、村で使ってる金属のものは大抵ザン爺ちゃんが作ってくれてるの」
「……君のこの、車椅子もそうだけど、村で見た金具は非常に高い技術で作られたものだったよ。それも彼が?」
車椅子が坂道を軽々と越えていく。
砦の主であるベレフェス卿、レイナの祖父と比べれば身体つきのほっそりしているゼルヴィアだが、流石は騎士と言うべきか幼馴染のラウロがつっかえる様な場所でも立ち止まったりはしない。
ただ、慣れていない者の押す車椅子というのは、案外危なっかしくて無遠慮だ。
さりげなくひじ掛けを掴み、下り道で転がり出ない様にアルは耐えた。
「そうだよ。ザン爺ちゃん、すっごく頼られてるのっ。優しくってさあ、手袋とかくれるよ!」
金属とは高温で溶け、あるいは柔らかくなる。
つまり非常に熱くなる物体を器具越しであれ掴んだり固定したり、場合によっては火に触れる場面もある訳で。
そういった場面で必要となるのが、分厚い革手袋だ。
激しく回る車輪を掴んで、速度の調整を可能とする、革手袋。
これだけでザンなる老人がどれだけアルに甘いか分かるだろうか。
「…………会ってみたいな」
「なら今から行く……行きますか?」
興奮のあまり言葉が覚束ないアルを一顧だにせず、ゼルヴィアは昏く遠くを見やり、頷いた。
「そうだね。そんなに親しくしている君の紹介なら、話くらいは聞いてくれるだろうしね」
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